2-7 誰にも言えないこと

「上着持っててやるから。ほら、カーディガンも」

 意味を理解した茜は、暗闇の中でもわかるくらい顔を赤く染めた。

「待ってよ、ホントに?」

 泣きそうな、困ったような、声。でも……

「なに、ニヤけてんだ」

「うぅぅ……」

 指摘され、悔しそうな声。反論はしない。

 お腹のあたりに両手を当て、上着のボタンを外し、顔を背けながら脱いだ衣服を俺に手渡す。

 続けて、カーディガン。学校指定の黒ニットは動くたび肩や脇腹のラインが強調され、伸びた生地の合間からはワイシャツの白を覗かせる。腕からカーディガンを抜く際に、上体を反らすと、否応なくワイシャツの皺を張った両胸が突きだされる。

 茜は俺の視線に気づきながらも、黙って脱いだカーディガンを寄越す。

「脱ぎ、ました」

 と、弱々しく告げる。

「そうか」

 近くにある机の埃を払い、茜の衣服を置き――俺自身も上着を脱いで、茜の衣服に重ねる。茜は横目に唇を一の字に結んで、衣服が覆い被される光景に釘付けになっていた。

「ぁっ……」

 許可を取らず、茜の右肩に手を乗せる。

 熱に浮かされた、恍惚とした瞳が俺を映す。

 暗闇に際立つ、二つの白いワイシャツ姿。

 外界とを遮る暗幕から赤黒い光が漏れ、逃げられない空気は容赦なく室温を上げ続ける。

 放課後まで、二時間強。

 誰にも邪魔されない二人の時間。

 俺は掴んだ茜の肩に、力を入れ――

「座ろうぜ」

「……」

 真下に力を込める。

 茜の体はするすると床に導かれ、おしりを地につける。

「いまから二時間、一周回を十分でいければ十二回は潜れるだろ」

「…………」

 窓際を背に、俺と茜は並び、腰を下ろす。

「ほら、やるんだろ魔属性限定SSSクエスト」

 スマホを開き、サンマを起動。暗闇の中で煌々こうこうと光り続けるPUSH STARTの文字。

「……どうせ、そんなことだろうと思ったわよっ」

 ぱす、と弱々しく俺の肩にジャブを打ち込む、フレンドこおりば。

「だって、お前がやりたいって言ったんじゃないか」

「そーだけどっ、そーなんですけどっ!」

 茜はブツクサりながら、勢いよく俺の肩に頭を乗せる。

「……茜、暑い」

「ワガママ言うな」

「ワガママはどっちだ」

「絶対に、ウチじゃない」

 文句を言いながら、片腕になにかが巻き付いてくる。

「……拒否権、ないから」

 返す言葉を持たない俺は、プレイヤーの要望に応える抱き枕botと化す。

 けれど無機質な存在に成り切っても、シャンプーの香りは否応なく鼻腔をくすぐり、花緑青エメラルドグリーンの髪飾りが、目の前で揺れる。

「ねえ、剣一」

「うん?」

「ありがと」

「なんの礼だよ」

「馬籠クンとのこと、まだちゃんとお礼言えてなかったから」

「……ああ」

 茜はスマホに視線を注ぎ、損得デジタルな協力関係に礼を言う。

 馬籠の決意は茜関連だった。だから賭けなどせずとも、同じ結果になった。

 俺にとって茜を解放することはスローガン足り得たが、結果を変える要因にはなっていない。

「ウチ、嬉しかった」

 視線を落とし、肩に転がるフレンドの頭を眺める。

「剣一の中に、ちゃんとウチがいるってわかったから。隣の席が静かなんだって、気付いてくれて嬉しかった」

「そりゃ、わかるだろ。長いし」

「見てもらってる自信、ない」

「相変わらず、臆病なのな」

「うっせ」

 預け切った体、目の前でさらりと揺れる髪。

「剣一ってさ、男なのにお母さんやざくろちゃんのことが好きなの、隠さないよね」

「いきなりなんだよ」

「いーから」

「てか、男とか女って関係あるのか」

「ふふ、そうだね、関係ないね。でも好きな人のこと『好きだー』ってオーラ出しながら話せるの、すごいなって思う」

 どうだろう。でもそう言われればそうかもしれない。

 マゴちゃんにもウホらない範囲で、好きって言うのも抵抗ないし。もしかするとこれは普通の感覚じゃないのかもしれない。

「でも、ウチの話って剣一しないじゃん。だからウチのことなんて、どうでもいいんだろうなって思ってた」

「勝手に、そんなこと思うな」

「うん、ごめん」

 茜は穏やかな声で言う。

「だから気にかけてもらえて嬉しかった。そーゆー話」

「……って言うか、本人に、本人の話するヤツなんていないだろ」

「え?」

 茜が丸い目をする。

「ざくろにだって、ざくろの話なんてしない。茜だって、俺に向かって俺の話なんてしないだろ?」

「……そういえば、そうかもね。たはは、そっか、当たり前か。なんでそんなこと気付かなかったんだろ」

 茜は顔を上げ、困ったように笑った。

 ――その笑顔に、胸が締め付けられる。

 普段、歯を見せてからっと笑う茜が、こんなにも遠慮した笑顔を見せることに……腹が立つ。

 俺たちは二人とも、ブレーキを踏んでいる。

 俺は持っているものを壊さないために踏み、茜は相手の物を壊さないために踏む。

 なんだよ、その差は。

 結局、俺は茜に生かされてるだけじゃないか。

 茜がいなければ、高校にだっていられなかった。ざくろを守ってくれた日もあった。

 なのにお前はどうしてそんなに自分を卑下ひげして、俺がお前のことどうでもいいだなんて思えるんだよ。

 どうして、いまにも消えてしまいそうな、笑顔を見せるんだよ……?

「じゃー美少女あかねちゃんの話は、ざくろちゃんやお母さんにもたくさん触れ回っているんだね、関心関心!!」

 湿り始めた空気を払う、おどけた口調。

 空気を読むのが上手い優等生は、体重を預けるのをやめ、同じく壁に背を預けるフレンドとしての位置に戻る。

「話さない」

「うん?」

「茜のこと。ざくろにも、母様にも話さない」

 空気を読まない発言に、茜の笑顔が止まる。

 俺だって本当はこんなこと言いたくなかった、でも止まらない。

「茜……話しやすいんだよ。なんでも聞いてくれて、めちゃくちゃ安心するんだよ」

 言いたくなかった。

 ブレーキを踏み込んだままでいるべきだった。

 でも、無理だった。

「ざくろと母様には、仕事やる、結婚する、卒業もするって言った手前、都合のいい話しかできなくてさ。おまけに学校にも部活にも行かず、年齢の離れた人たちと仕事してるから……話聞いてくれるヤツなんて、いなくてさ」

「それ、って」

「茜、さっき軽トラに乗ってた人、誰だかわかるか?」

「社長さん……? 前に聞いた通り、オールバッグで細目で、特徴がぴったりだった」

「正解。俺の封筒から金持って行くヤツの名前は」

「タケダ?」

「そう。母様が前に働いてた職場の友達で、小遣いくれる――」

「ミヤコさん……」

「全部、知ってるの茜だけだ」

 茜は、口元を両手で抑え始める。

「俺にとってなんでも話せるヤツって、茜だけなんだ」

 茜は喉から溢れ出したこえを抑え、うずくまる。

「こんなどうでもいいことばかりだけど、茜なら全部聞いてくれるから」

 現にいまこうして、胸の内を開いたのだって、決意を抱えてから初めてのことかもしれない。

「だから茜をどう想ってるのか話せるのも、本当は茜だけなのかもしれない」

「ぁんで、そんなこと言うのよぉっ……」

 怒りさえ滲ませた、こえ

「そんなこと言われたら……ウチ、嬉しくて泣いちゃうじゃんかぁ……」

 綯い交ぜになったボロボロの顔を、俺の胸に押し付ける。

「どうしようもないのにっ……」

 再度、胸に重みが戻ってくる。

 片手が宙を彷徨ったが……なんとかブレーキを踏みしめた。


 俺がしたのは、褒められないことなんだろう。

 でも、無理に決まってる。

 俺が進めるようになったのは茜のおかげだ。

 それなのに恩人を置き去りにして、前に進むなんて……絶対にできない。


 魔属性限定クエストは一周もできなかった。

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