2-6 身柄拘束
「知り合いか?」
運転席の社長が聞く。
「ええ、そうですが……」
バックミラー越しに茜と目が合う。
けれど茜は隠れる様子もなく、肩をいからせながら助手席に向かってくる。
もちろん昼休みの終わったいまは授業中、茜がここにいるということは授業を抜けているということだ。
……どういうつもりだ?
仕方ないので俺は軽トラから降り、茜を迎え出ることにする。
「茜? どうしたんだ」
茜は事情を知った上で、学校に行かないことも黙認してくれている。その茜が、仕事で抜けたのを理解した上で、俺の前に現れた。一体なんの為に――
「黒田くんっ!」
「……はい?」
黒田くん?
「授業中に、学校を抜け出して、こんなところでなにをしてるんですかっ!」
は――?
「いつもいつもふらっと学校からいなくなって! しかもいまは授業中ですよ、いますぐ校舎に戻りなさい!」
「え、あ、は?」
……茜はなにを言っているんだ。なにが起きているかわからなくて、上手く反論が出来ない。
「ほら、ボーっと突っ立ってないで、行きますよ!」
茜に肩を掴まれて、引っ張られる。え、ちょっと待て。ほんとになんだこれ?
頭にクエスチョンマークを浮かべながらも、俺はなんとか疑問を声に出し、足を止める、
「ちょっと待って、茜。急にどうしたって言うんだ?」
「どうしてもなにも、ウチは風紀委員! 学校の風紀を乱す生徒を放っておくわけにはいきません!」
よく見ると茜の腕には少し色褪せた”風紀委員”の腕章が巻かれていた。
「ウチは風紀委員の一員として、黒田くんを授業に出席させる義務があります!」
「なに言ってるんだ、茜はとっくに引退――」
「義務があります!!!」
両手を腰に、一際大きい声を張り上げる茜。
人気の少ない雑木林通りとはいえ、これだけ騒げばさすがに目立ってしまう。
あまりオープンな仕事をしていない俺と社長にとっては、あまり好ましくない状況だ。
そんな俺の心境をわかってるのかいないのか、茜は運転席を覗き込み、社長に指を差して言い放つ。
「トラックの中の方も! いいですね!?」
社長も話しかけられると思ってなかったのか、いつもの細目を見開き、コクコクと頷いた。
そのままエンジンをかけ、そそくさと走り去る。
状況にも軽トラにも取り残されてしまった。
去っていく軽トラを呆然と眺めていると、俺の手に柔らかい感触。
「帰るわよ」
有無を言わさず引かれる手。
「……どうしたんだよ。いったい」
茜は答えない。このまま突っ立ていても目立つので、仕方なく連られて校舎へ足を向ける。
だが、この一連の行動は、説明なしには受け入れがたい。
「なんか、言えよ」
答えず、振り返らない。
そのふてぶてしい態度に、苛立ちが胸中に渦巻く。
だが、あれだけの啖呵を切っておきながら、引く手に込められた力は弱々しかった。
振り払おうとすれば振り払える。でも、その茜の言動の不一致が、逆に振り払うのを
これまで文句こそ口しても、邪魔をすることはなかった。けどその均衡を振り払い、黙認し続けてきた行動に対して、初めて横から入ってきた。
風紀委員長を務めてきた時期でさえ、こんなことはしなかったのに。
だから、この行動にはなにか意味があるはず。
一定の信頼があるからこそ、俺は苛立ちながらも手を引かれるままに茜の後についていく。
――今更だけど、俺はいま茜と手を繋いでるんだな。その温かい感触に、ふと懐かしい思いが胸をくすぐる。
たまたま吹き抜けた風のような想い。いまの俺には必要ないものの、はずだった。
***
裏門から昇降口へ。当然、
「茜」
呼ばれた茜はだんまりを決め込み、
「そろそろ答えろよ、なんでこんなことしたんだ」
「……」
「昔の腕章なんて取り出して、学校抜けまでしてさ」
どうしても物言いがキツくなってしまう。
「茜はもう風紀委員じゃない、こんなことしたって意味ないだろ」
それは風紀委員の仕事だ、茜がする意味はない。
俺は欠席しても大方、卒業の見込がある。茜が取り計らってくれたことだ。
逆に心配なのは、茜のほうだ。
茜は推薦入学を取った特別な生徒だ、変な行動を起こしたら推薦が取り消される可能性だってある。
頭のいいこいつだったら、当然そんなことわかってるはずだ。
「先に言っておくけど、俺は怒ってない。……いや、頭を下げるのは俺のほうだしな」
言い方を緩め、声を抑えて言う。対し、茜はなにも言わずに俯いている。
「もしかして、なにか風紀委員に言われたのか?」
先日、風紀委員にマークされたことが影響してるのかもしれない。去年の汚名を払拭とか? でも、そのために授業を抜け出してなんてありえるか?
ダメだ、わからない。
茜はなにごとにおいても効率重視。
推薦獲得のルートも、ゲームのプレイスタイルだってそうだった。無駄なことは決して――
「……サンマしたかったの」
「え?」
「だから剣一と一緒にサンマしたかったの! ……だから連れ戻した」
視線は斜め下に落ちたまま。
いま気付いた。
茜が表情を隠してたのは怒ってるわけでも、落ち込んでるわけでもない。
耳を赤くして必死に表情を隠してた、だけだった。
「そんな、ことのために?」
「そんなこと、じゃない。……昨日からずっと楽しみに待ってたんだから」
昨日、俺がハデス持ってるのに気づいてから、今日のことがずっと楽しみだったって?
「最近、全然かまってくれないし」
「それは……」
「言わなくていい。……でも、いいじゃん。学校に来ることだって少ないんだし、家でも仕事でもないときくらい、ウチと遊んでくれたって」
熱が籠り過ぎたのか、少しばかり声が震えている。
「剣一が、悪いんだぞ」
「俺?」
「ウチのために、決闘なんかするから。いろいろ考えちゃうじゃんか」
先日の、馬籠のこと言ってんのか?
「ウチを勝手に賭けなんかに出して! 負けたらサンマだってできなくなったんだぞ」
俺の袖口を、強く握る。
「話だって、できなくなったんだから……」
決闘には勝った。
結果、馬籠は引くことになった。
俺は変わらぬ日常を過ごせることになった。
でも茜の中では、それだけじゃなかったのかもしれない。
「……授業、どうすんだ」
「行かない」
「評点、落ちるぞ」
「通知表の10が、9になるだけ」
「さすが、優等生」
「どうでもいい」
そう吐き捨てつつも、ずっと自信なさげだ。
いつもなら両手を腰に当てて、無理やりにでも頭を縦に振らせるというのに。
悪いことをして、親に怒られている子供みたいに、肩を落としている。
「……やっぱダメ、かな」
ここまでしておきながら「だよね?」って笑って引っ提げられるように。
「剣一には
授業をサボり、風紀委員のフリまでして、俺に怒られることも覚悟して。
「剣一は賭けに勝っても
それでやりたかったことが、俺と遊びたかっただけだって?
そんなの……
「どうなっても、知らないからな」
「え?」
茜が顔を上げると同時、袖にぶらさがったままの手を引き、歩き出す。
「ついて来い」
「ちょっと、なに――」
「黙って」
手のひらではなく、手首を掴む。途中で逃げたりできないように。
「どこ、行くの剣一。……ちょっと怖い」
「いいから」
渡り廊下を通り、特別校舎に移動する。使われていない空き教室に茜を連れ、
灯りを点けなければ昼間でも薄暗く、人の出入りも少ないせいか埃っぽい。遠くからは教師のくぐもった声、いまごろ皆は机に座って、歴史や数字を追っているだろう。
「カーテン、閉めろ」
俺は茜の背後にある、赤と黒の遮光カーテンを差す。
「外から見られたら、困るだろ」
「困るって……」
「いいから」
「……うん」
茜は逃げられないと悟ったのか、自分から空き教室を密室に変える。
連れ込んだのは俺。でも作業に協力させれば、茜も共犯者だ。
「閉めた」
「そうだな」
気だるく言って、茜に近づく。
少しばかりの身長差に、見上げるような形で俺の顔を伺う。
茜は一歩後ずさり、閉めたばかりのカーテンに背を預ける。状況が進んでしまえば、後に引く勇気の方が大きい。いざという時に引っ込む茜も、事が進めば黙って受け入れるだろう。
締め切られた教室に、得も言われぬ熱気。上着の下に蒸した空気が纏わりつき、額に汗が伝う。カーディガンを羽織っている茜は、第一ボタンを外しており、押し下げられた胸元のリボンが締まりなく垂れている。
目の前まで近づいた茜の肩に、右手を乗せる。
俺を外から引っ張った強気の風紀委員も、暗闇では物言わぬ
「ねえ、待って。ホントに……」
壁に追い詰められた茜は、消え入りそうな声で言う。
けど俺はそれに答えず、場を進める。
「暑いだろ」
「えっ?」
「脱げ」
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