2-5 こおりばの反撃

「剣一、なんでハデスなんか連れてるの」

「え、あ――」

 呼吸は止まり、額に玉のような汗が浮かぶ。

 目の前に立ち尽くす茜は、腕を組みながら眉間にシワを寄せている。

「……なんの、ことだ?」

「とぼけないでよ。こんだけ堂々として、バレないとでも思ったの?」

 いつ、気づいた。

 ちょっと待て、気づいたということは……どういうことだ?

「なんでウチに隠してたのよ」

「別に、隠してたワケじゃ」

「ヒドいじゃない、ウチらってそんな関係だったの?」

 茜は怒って……悲しんでいる?

 それも、そうか。だって俺たちは仲間だ。

 互いの環境に大きな変化が起こったのに、それを黙ってるのは道義に反する。

「だから、さ」

 茜は自席の椅子を俺の真隣に寄せ、ニヤリと笑いながらこう言った。

「……魔属性限定SSSクエスト、一緒に行ってくれるよね?」

「わかった、わかりましたよ。せいぜい足引っ張らないでくれよな」

「そーこなくっちゃ♪」

 ご機嫌な茜を尻目にスマホを開く、そしてサンマのアプリを起動。

『こおりば さんからマルチクエストの招待が来ています』

 俺はその招待を承諾し、魔属性パーティを選択。メインに据えるキャラクターは……冥王ハデス。

 昨日、サンマは早くも冬休みに向けて大型アップデートを実施し、新たな高難度クエストを多数導入した。

 だがその中の一つ、魔属性限定SSSクエストは屈指の難易度を誇り、しかもガチャで手に入る守護神ハデスの有無が、クリア難度を大きく左右する。

 だがハデスはガチャでしか手に入らない守護神で、入手確率は一パーセント以下。

 現在進行形でハデスのピックアップガチャが開催され、それを入手せんと全国のプレイヤーが阿鼻叫喚の声を上げている。

 そんな注目のハデスだが、俺はガチャを無料で回せるアイテムを使ったところ、あっさりと出てしまった。

 もちろん嬉しかったけど、いまゲーム内で見せびらかすのはよろしくない。なぜなら課金しても手に入らなかったプレイヤーに、怨嗟のコメントを浴びせられ、ハデス持ちのフレンドを作って楽をしようとする、ゴマすりがたくさん湧いてくるからだ。

 だから俺は手に入ったことを言わなかったんだけど……

「茜、また人の編成パーティー画面に張り付いたのか」

「……たまたま見たとき映ったのよ」

「ウソ言え。レベル上げのタイミングしか編成してないのに、そのタイミング覗けるってことはな?」

「ハイハイ、剣一の言う通りですぅー! ウチはまた人のアカウントをネクラしてましたぁ~」

 開き直って、逆ギレ。

「でも教えてくれたっていーじゃんか! ハデスなしでもウチとマルチ行った方が剣一も楽でしょ」

「そりゃ、そうだけどさ」

「隠してた!」

「言うつもりだった」

「手に入った時、カンドーを共有してくれなかった!」

「……ごめん」

「もういい」

 顔を背けながら、そっぽを向いている。

 全然よくないって態度だ。こうなったら仕方ない。

「ていてい」

 茜の肘をつつく。

「おこった?」

「…………おこってないよ」

 まだ顔はこっちに向けない。

「ていてい」

「おこった?」

「……わかったわよ。ホントに怒ってない、ってか剣一のハデスないとクリアできないし」

 茜はしょうがないわねと向き直り、SSSクエストを――アプリの画面が消え、社長の文字が現れる。

 電話だ。

 俺はノータイムで電話に出る。対面の笑顔は、消えてなくなる。

「仕事ですか?」

「いや、違う。ただ仕事の相談ではある、直接会えるか?」

「事務所に行けば?」

「実はね。たまたま君の高校の近くまで来てるんだ」

「近くですか?」

「ああ、いつもの軽トラだ。中で話そう」

 返事をする間もなく電話は切られる、俺が断らないことは共通認識だ。

「……行くの?」

 呆れたように聞いて来る。

「ああ、悪いけど救援はまた今度だ」

「今日中に、できる?」

「わからない、でも時間が空きそうだったら連絡する」

「あっそ」

 茜は顔を背け、頬杖。

 姫の機嫌は絶望的。

 ――今回ばかりは、ちゃんと埋め合わせをしなきゃなあ。

 心の中でそう謝罪しながら、裏玄関から学校を抜け出した。



***



 裏玄関から少し離れた雑木林沿いの道に、社長の軽トラは止まっていた。運転席には白みがかったオールバックの男が一人、どうやら社長一人だけのようだ。いつもは誰かに運転させているのに珍しい。

 俺は助手席のドアを開け、隣に腰掛ける。

 隣にいる社長はこちらを見ようともせず、手元のタブレットを操作し続けている。

「相談ってなんですか」

 挨拶もなしに要件に入る、社長にお愛想は必要ない。

「これを見たまえ」

 言ってタブレットを俺の前に差し出す。

「数年前に印刷されたホテルのチラシだ」

 趣旨はまったく見えないが、おそらく仕事に関係あるのだろう。とりあえず目を通すと、ホテルの場所とオープン日、それに休憩・宿泊・サービスタイムの料金が記載されている。いわゆるラブホテルだ。

「このホテルはオープンして十年も経っていないのだが、不幸にも殺人事件が起きてから客足がぱったりと途絶えたらしくてね」

「ああ、数年前にあった」

 その事件は覚えている。地元で起きた殺人事件だ、忘れるはずがない。

 ホテルに入った女が死亡、一緒に部屋を借りた男が女を殺し、男は行方不明になり現在も逃走中。確か指名手配にもなっていたはずだ。

「それからは商売あがったり。近々取り壊しが決まっているのだが、なにやら不思議なことが起こっているらしくてね」

「不思議なこと?」

「ああ、ここのオーナーは何度か業者に解体の依頼を出しているのだが、事前調査、つまり下見の段階でなぜか業者の方から断わってくるのだそうだ」

 なにやらキナ臭い話になってきた。

「建物は五階建てのホテル。だが既に三社に断わられ、依頼先がないと私に相談を持ち掛けられたのだよ」

「事故物件に、立て続けに断ってくる業者。……出る的なアレですか?」

「そう、出る的なアレだよ」

 手をポンと打ち、それが言いたかったとオウム返し。

「だから君にその下見をして欲しいというわけだ」

 なるほど、いつも通りアヤシイ仕事というわけだ。

「別にするだけならいいですけど……いいんですかね。下見をするのにも色々免許とか資格が必要なんじゃないんですか?」

「そんなの当たり前だろう」

 表情一つ変えず、しれっと言う。

「俺、そんなの持ってませんよ」

「構わないさ。会社には解体工事登録許可、要は市の認可を得ている。……まあ、本当はこの許可だけじゃ問題あるんだがね」

 自分で言ってほわっはっはと高笑いを始める、そこは笑うところなのか。

「細かいとこは任せておきなさい、君は後程渡す資料に従って下見をしてくれればいい」

「そうは言いますけど、警察が出てくるようなことはやめてくださいよ」

 逮捕なんてされたらシャレにならない。結納金どころではなく、すべてが水の泡だ。

「そこは安心したまえ、内部にもツテはある」

「そういうことを聞いてるんじゃないんですが」

 やっぱ、ヤバイんじゃないか。さすがに断るか?

「で、社長。もし俺がそれを受けたらいくら出るんですか」

 それでも金額は気になる。なんだかんだ言って、お金が欲しくて仕事をしてるんだ。背に腹は代えられない。

「そうだね。成功報酬だが……このくらいはイケるだろう」

 電卓が弾いた数字を見て、俺は息を呑む。

 だってそこに表示されている額は、俺の想像していた倍、いやそれ以上の金額だった。

「……ウソじゃ、ないですよね?」

 口の中はカラカラだった。

 だって、その金額が嘘じゃなければ、この一回で目標金額にまで届いてしまう。そこに表示されているのは、そんな金額だった。

「君に金のことで嘘をついたことがあるか?」

 愚問だった。決して潔癖な関係ではないけど、社長には一定以上の信用を置いている。特にお金関係においては。

「これは失礼しました。……いつから取り掛かりましょうか?」

「頼もしい、それでは明日から頼む。オーナーからは最短で依頼を受けている、今回のパートナーは武田君だ、どの階層を下見するかは彼と打ち合わせてくれ」

 武田か……

 先日、運転代として中身を抜かれたことを思い出す。変な弱みを見せれば、また適当なことを言われてお金を要求されるだろう。しかも今度は額が額だ、高い金額を吹っ掛けられるかもしれないから、弱みは一切見せられない。

「下見時にチェックが必要な書類は…………後ほど事務所に取りに来てくれ」

 社長はバッグの中を漁っていたが、急に手を止めて話を切り上げた。いま正にその書類がバッグから出され、俺に手渡されようとしていたところだったのに。

「いま受け取るんじゃ、不味いんですか」

「君の学校の生徒が、こっちに向かってきている」

 細められた社長の視線、バックミラー。そこには確かにウチの冬服を着た女生徒がいた。

 って、あれは。

「……茜?」

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