2-4 ひざまくら
俺たちは早めの夕食を摂る。
食卓は毎度のことながら賑やかだ。主に母様がざくろをからかって、ざくろが笑ったり怒ったり拗ねたり。
俺がそれをなだめたり、母様と一緒にからかったりして、話題がなくても会話は止まらない。
知人の多くないざくろにとって、こうしてみんなで談笑できる場なんてほとんどない。
他にいるとしたら茜くらいか。けどざくろとも仲が良いからって、男から仲のいい女友達を呼ぶというのはさすがにマズい。
すると母様頼りになってしまうことは免れない。
母様もそれをわかってくれてはいるし、ヒマだからもっと来いと行ってくれている。本心なのは間違いない、でも厚意に頼りきるのも違うと思う。
「わたし、食器洗ってくる。剣ちゃんと鮎華さんはテレビでも見てて」
一番最後に食べ終えたざくろが立ち上がる。
「あら、気の利いた嫁だこと。それじゃ遠慮なくお願いするとするかねえ」
いつものように片づけはざくろの役目。俺たちは止めたり手伝ったりはしない。
これはざくろの気遣い。
俺は一人で母様に会いに行ったりしない、必ずざくろと一緒だ。だから必然と三人でいることが多い。でもざくろなりに気にしているのだろう、俺と母様が二人で話す時間がほとんどないことに。だから何度かの訪問を重ねる内、ざくろは必ず一人で食器洗いに向かうのだった。
その変化は俺にとって嬉しいこと、ざくろが自分からなにかをしようとする意思を持つ。その積み重ねこそが、ざくろを少しずつ大人に変えていくのだから。
「剣一、おいで」
母様がソファに座り、俺もついていく。母様は端に腰掛け、俺は母様の膝に頭を乗せ、ソファの上に寝転がる。
「かわいいかわいい剣一よ。最近は手前の生活はどうだい?」
母様は俺の頭に指を這わせ、甘やかな声で聞く。
「悪くないよ。学校もなんとか卒業できそうだし、仕事もぼちぼち。結納金もあと少しで七百万、そしたらいまの仕事とは手を切る予定かな」
「そうかい。アタシにもっと金策があったら、楽をさせてやれたのにねえ」
「やめてくれ、母様だったら危ない仕事だって平気でやるだろ」
「剣一がそれを言うかね」
「俺はいいの、まだ若いから」
「また若いのどうのって口にして。アタシだってねえ、まだ……」
「わかってるよ、でも母様はもう頑張ってくれたじゃないか。あとは俺がやるから」
「あら、頼もしいこと。じゃぁここは男のアンタに任せるかね」
「絶対だよ。いつか俺も真っ当な仕事で稼げるようになったら、母様に楽をさせてあげるから」
「本当にアンタには過ぎた子だよ、あんたみたいな子が生まれてきたことがアタシの一番の幸せさね」
「俺もだよ。母様みたいな素敵な人の元に生まれて来れたのが、俺の一番の幸運だ」
母様は若い頃からヤンチャな人で、キャバクラやスナックなんかで働くことが多かった。特殊な飲食業への嫌悪感はないが、仕事の延長上に危険は付きまとう。家族としてはできればやらないで欲しいのは本当のところだ。
そもそも母様がそういう仕事に着いたのも、婆様から厳しい教育からの反発だった。
叔父さんも母様も元々は自由に対する好奇心が強い人で、婆様は自分の教えた通りにならないと気が済まなかった人だ。
起床、食事、外出、勉強、風呂、就寝。すべて時間で管理しようとし、反発しても決してそれを認めようとはしなかった。
母様は持ち前の高いコミュニケーションで、仕入れたクラスメートの家庭事情から、自分の家庭が異常であることを悟り、思春期に猛反発。それが高じて髪の色は変わり、家に帰らなくなり、婆様のいうことと反対に突っ走る。要はグレたということだ。
叔父さんも婆様に対する反抗心は持っていたが、それを爆発させることなく大人になり、そして成功を収めた。だが婆様への反抗心が大人になってから爆発し、金銭トラブルも相まって婆様への嫌悪感をむき出しにするようになった。
子供は大人の縛る制約の中でしか生きていけない。
母様は自分が厳しい家庭に育ったせいか、あまり厳しいことを俺に言わず、やりたいようにさせてくれた。
だが自由そのものが良いわけではない。だって母様はその反発心から、自由になり過ぎてしまった。学校からは徹底的に逃げ続け、悪いことには一通りを手を出し、どことも知らない男との子供を出産した。
母様は反抗心から飛び込んだ自由の海に、溺れた。
自由は毒でもある。子供に限らず無尽蔵な自由の波に押し流されれば、元居たところへさえ帰れなくなってしまう。
だから、制約と自由の両方を知らなければいけない。どちらかだけでは、ダメなんだ。
母様はその実体験、人生をもってそれを学び、笑い話として小さい俺に少しずつ話してくれた。まるまる人生をもってしないと学べないことを。
俺はそんな母様の元で育ち、その話をほぼ鵜呑みにした。言ってしまえば母様の経験を自分の知識にして、生まれ変わることができたと言ってもいい。もちろん、母様よりはいくらかは愚かだけど。
そんな母様でも、解決できなかったこと。
……それが隣の家で行われていた、早乙女家の歪んだ親子関係だった。
「どうしたんだい剣一、眉間にしわなんて寄せて」
「寄せてるわけじゃないよ。ただ歳を重ねると、そういう跡が残っちゃうだけだ」
「なにが歳を重ねるだい。まだ十八のクソガキのクセして」
「十七がババアなんだから、十八はクソジジイさ」
「剣一、あんたよう言った」
「ひたひよ、はあさま」
母様の細い指が頬の肉を引っ張る。
「でもあんたはここ数年で確かに大人になった、それは認めてやる。だがね、腐ってもあんたはこの黒田鮎華の一人息子なんだ。自分を疎かにするような真似をしたら容赦しないからね」
「それは、もう。肝に銘じて」
「あんた自身が幸せにならなきゃあ、意味がない」
母様は俺の頭を固定して、半笑いだけれども、目を見ながら本心を口にする。
「アタシは若いころ充分に楽しんだし、これからも一人で勝手に生きていく。だから剣一、あんたは決してアタシに縛られない生き方をするんだ」
母様の言いたいことはわかる。
「剣一にはよく昔を語って聞かせた。それはあんたのためでもあるが、所詮はアタシが話したかったから、話しただけだし大真面目に聞いてくれる剣一が嬉しかったから話しただけなのさ」
視線を彷徨わせ、懐かしむように過去を歌う。
「だから、剣一。アタシの言葉に呑まれるな。あんたには時勢の新しい生き方がある。頭の固まったババアの戯言になんて流されるな」
「もちろん、わかってますよ。母様」
それだけを言って、まぶたを閉じて会話を遮断する。
最近、母様は自分を打ち消すようなことを言い始めた。……まるで自分の行いを恥じるように。
けどなんでも鵜呑みにする俺は、それに
「あー! 剣ちゃん、また鮎華さんと赤ちゃんプレイしてる!!」
「……ざくろ、変なことばかり言ってると、タブレット取り上げるからな」
その語録の出元は間違いなくテレビじゃない、ネットだ。
「だってじじつじゃん! わたしには甘えてくれないのに、鮎華さんには甘えっぱなし!」
「しょうがないじゃないか、母様のお膝元はとても暖かいんだから」
「わたしの膝もあたたかい! 剣ちゃん、こっちにいらっしゃい」
対抗心を燃やしたざくろが隣に座り、自分の膝をポンポンと叩く。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
俺は体の向きを変えて、ざくろの膝に頭を乗せる。
「お、ホントだ。ざくろの膝もなかなかに暖かい」
「でしょ~? へへ、剣ちゃん、よしよし」
食器洗いを済ませたからか、小さな指は少しふやけている。
まだ少し幼さの残る指先は、赤ん坊のように柔らかく、頬に触れるたび胸奥をくすぐるような甘やかさを感じる。
「……なるほど、これはこれでよきかな」
素直に褒めるのが照れ臭い俺は、少しふざけた口調でざくろの膝枕を批評してみる。
「まったく姑の前で膝枕とは見せつけてくれるじゃない」
「む、先に剣ちゃんを甘やかしていた鮎華さんに言われたくありません」
「ほほほ、いいじゃないか。母親が子供をいくら甘やかしたって」
「鮎華さんは甘やかしすぎです。剣ちゃんも甘えすぎ。ちょっと、こわい」
「剣一、ダメじゃないか。自分の嫁を不安にさせちゃあ」
「ごめんよ、母様。母様がそういうなら、ざくろを不安にさせないよう頑張ります」
「ほら! だからそういうのが~!」
「ひたひよ、はふろ」
今度は少しやわこい指が俺の頬をつねる。
目を開けると少し頬を膨らましたざくろが、ほっぺの肉を弄んでいた。
「ああ、うちの息子になんてことするんだい。ほら剣一、鬼嫁の元にいないで実家に帰っておいで」
「そうするよ、母様」
体を半回転させて、母様の膝元に帰る。
「あ~もうなんで行っちゃうの! 剣ちゃんのマザコン! ていしゅかんぱく!」
「なに言ってんだい、このおこちゃまが。亭主関白の意味を辞書で引いてから出直すんだね」
言ってまた母様の手が俺の頬に飛来する。
「も~なんなの! 剣ちゃんはマザコンだし、鮎華さんもいい年してムスコンだしっ!」
なんだ、ムスコンって。言い得て妙だけど。
「アタシが剣一を生まなけりゃ、ざくろの旦那はいなかったんだよ。アタシに可愛がる権利が優先されて当然さね」
「む、むむぅっ、そんなこと言うの、卑怯だし……」
ざくろは歯ぎしりをし始める。
「なんて言うもんかい、ざくろ。あんたもアタシの娘だ、とことん可愛がってやる」
「きゃあっ! あ、鮎華さん、くすぐったい、くすぐったいです!」
母様はざくろの体もひっぱって、膝枕されてる俺の上にざくろを乗せ、体をまさぐり出す。
「はは、ははは! くすぐったい、鮎華さん!」
「ざくろ、俺の上で暴れるな! げふっ、おふっ」
ソファの上はもうしっちゃかめっちゃか。暴れるざくろの重みで、俺は内臓が圧迫され死ぬほど苦しい。
けれども人の温かみで溢れるこの空間。
夫婦と姑なんて言葉でまとめられない、暖かい関係。
この暖かさに流されてしまっても、いいのかもしれない、と度々思う。
でも、俺にだけは見えている。
無表情で
その表情は俺とは無関係に見えて、どこか俺の心を代弁している――そんな風に思えて、ならなかった。
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