2-3 自由と制約と性欲

「悪いけど婆様は寒さで体調が悪くてね。挨拶は控えてくんな」

 母様はそう言うと俺たちをリビングに押し込んで、軽くなんか作るといってキッチンに引っ込んで行った。

 日本家屋にリビング、というとなにやら違和感があるかもしれない。だが近年は必要以上に和風を意識する家づくりは減っていて、どちらかというと障子や木目付きのタイルを使った和風リビング的なものがほとんどらしい。

 当然、お客様の接待には畳部屋の大広間を利用するが、母様や婆様の生活空間は一般家庭と変わらない、造りの部屋を使っている。

「相変わらず鮎華さんのおうち広いねえ」

「叔父さんのだけどな、いつかはこういう家に住んでみたいよな」

「ここまで大きくなくても、いいけどね」

 ソファに座った俺の膝に、ざくろが座る。適当にテレビを映しているが、時計の差す針は十六時。

 面白い番組はなく、県地域情報番組しか見るものがない。自然と目線が目の前にある小さな頭に移る。

 黒くて長い髪に、青のカチューシャ。鼻を寄せると仄かなシャンプーの匂い。

 少し柔らかくなった体は、昔に比べれば重くなったが、それでも一人の人間としては軽い。勝手に膝に乗る様も合わせて、まるで飼い猫のようだ。

 奔放な生活をするざくろ、けれど自身を縛り付けるものに文句を言うことはない。出会う人や与えられた環境はすべて最高のものだと信じている。外界への好奇心も強いけど、知らないものとの接触はあまり好まない。

 それも一つの生き方だと思うが、ざくろにはもう少し外の世界を見て欲しい。

 制約の中に生きることも、自由の中に生きることも間違いじゃない。だが、片方しか知らないのに、それが幸せだと決めるのはあまりに性急過ぎる。

 俺は決意成就のため、ざくろを外に出すことを勧めるが、制約がそれほど悪いものだとも思っていない。自由でありすぎるほど苦痛であることも事実だ。


 ――お菓子を買いにスーパーに行くとする。

 コンビニに比べたらラインナップは膨大、選べるお菓子は山ほどある。コマーシャルにでないお菓子だってどんとこい。

 馴染みのお菓子を選ぶ人もいれば、新しいお菓子に挑戦する人もいるだろう。 けれど、もし言葉を覚えたばかりの子供が、母親に「好きなお菓子を一つ選んでごらん」と言われたらすぐに選べるだろうか。

 コンビニだったらラインナップは少ないので、十種類くらいの中からすぐに選べるかもしれない。だがスーパーには陳列棚がたくさんあり、お菓子と呼べるものは百種類をゆうに超えている。その中からたった一つの好きなお菓子を選ぶことは難しくもある。

 もし、なんとか一つ選んだとして「どうしてそのお菓子を選んだの?」なんて聞かれても答えられるはずがない。きっとパッケージのデザインくらいでしか選べないんだから。

 多すぎる選択肢は人を悩ませ、ときに苦痛でさえある。選ぶ時間が無駄といってもいい。もしお菓子の例で言えば、子供が自分で選びたいと思うまでは母親が決めたお菓子を与え続けるだけのほうが、子供にとって幸せかもしれないのだから。

 だから制約だって悪いものじゃない。でも、ざくろにはもう……制約の安寧あんねいは必要ない。

 自分でなにかを掴もうとせず、与えられたものだけを信じてきた。そこに押し付けでも親の愛があればいいが、香織は自分が楽するために、生き方を縛り付けただけだ。

 だから俺はこうしてざくろを膝に抱いている。

 少しでも外を知ってる人間として、ざくろに少しでも自由を知ってもらいたいと願っている。

 そうして外の世界を見て、自由を知って、やりたいことを見つけて。それで考えた結果、小さな世界に生きることを選んでもいい。

 でも制約の中にだけ生き続けるのはダメだ、声を上げることを知らないざくろは、誰かが守っていないと香織だれかに使い潰されてしまう。

 だから俺は香織の元から、ざくろを奪い取る。そうして本来得られるべきだった自由な世界を見せてやる。それが俺のすべきこと。

 ……そして俺もそんな制約の中に生きる人間だ。

 ハデスがやってきたあの日、俺はいくつもの選択と失うものの重圧に押し潰され、決意という名の封印で自分の世界を押し込めた。

 ざくろを救えるのは俺しかいない、そう思い込むことで選ぶ自由くつうから逃れ、決意に依存した二年間を生きているのだから。


「あれ、二人ともそんなにくっついて。仲がよろしいこと」

 夕飯を作り終えたのか、母様はお盆を持ってリビングに戻ってきた。

「うん、わたしと剣ちゃんは仲良し。ふーふになるんだもん」

「それを母親のアタシに見せつけるなんて、いい度胸じゃないか。しゅうとめとしてみっちりイジメてさしあげるからねえ」

「きゃあ、こわい」

 嬉しそうに答える、ざくろ。

 それでも膝から降りようとしないのは、ある意味キモが据わってるともいえるが。

「……にしても、あんたたちがそうやってるのを見てるとアレだねえ。夫婦というよりは兄妹にしか見えないよ」

「確かに」

「確かに、じゃないよ剣ちゃん。ここは剣ちゃんが否定してくれないと」

 ざくろが振り返り、ぷんすかとしている。

 なんとなくそれが微笑ましくて……母様に気づかれないように、少しだけざくろに回した腕を強くする。

「ぁっ……」

 急に腕を回されたざくろは小さく声を上げた後、顔を俯けて大人しくなってしまった。

「そうやってくっつくのはいつでもできるだろうに。ささ、せっかくこの母様が若人わこうどのために夕飯を作ったんだ、性欲の前に食欲をたんと満たしてくれ」

「せ、性欲なんてないもん!」

 ざくろは急に恥ずかしくなったのか、膝の上から降りて配膳の手伝いに行ってしまった。

「あらあら、あれじゃ孫の顔はしばらく期待できそうにないね。……剣一も、頼むよ」

 母様が顎でざくろの方を差す。

「安心して母様、俺にだって性欲はある」

 使う予定は見渡す限りない。だが、性欲がない男なんて言われるのは母様が相手でもしゃくだ。

 母様はそんな俺の言葉に眉をひそめる。

「そっちを頼んでんじゃないよ、あんたも自分の飯くらい、自分で運べって言ってんだ」

「そ、そうか。それは失礼いたした」

 ふんぞり返って母親に性欲があるなんて言ってしまった。さすがに恥ずかしい。

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