2-2 あゆかさま

 築地塀ついじべいに囲まれた昔ながらの日本家屋。俺はインターホンを押してカメラの前に立つ。

「はい、黒田」

「母様、いま帰りました」

「あれ、剣一。早かったね、いま開けるよ」

 素っ気ないやり取りを交わし、門のオートロックが外れる音。瓦屋根までついた門にインターホンやオートロックがついてるのは、いつ見ても違和感というか温故知新というか、不思議なものを感じさせる。

 勝手知ったるざくろはいち早く門を開け、二十メートルほど先にある玄関へ一人、突っ走って行く。

「転ぶなよ~」

 まったく持って、聞きやしない。それほど早く母様に会いたいのだろう。

 ざくろの後ろ姿を眺め、悠々と玄関までの道を歩いていく。

 高級料亭を思わせる枯山水かれさんすいからなる日本庭園。小石の散りばめられた庭に大小様々な景石けいせきが点在し、静が息吹く空間を松の緑が密やかに彩りを映す。どうやら年に四回来る造園業者は松の剪定せんていを終え、仕事納めをしたらしい。一月前に来た時より枝の根がよく見えている。

 二年前、母様は婆様の介護のために実家へ戻った。

 だが、この敷地は婆様のものですらない。母様の兄――叔父さんの敷地と建物だ。

 叔父さんは地元の政治家とのコネクションが強く、地域に根差した事業で成功をし、大きな財を成した。

 それは黒田家の中でも異例のことだった。母様も含めて黒田家は金運に恵まれず、その中で一人だけ突出した形での大成功。そして婆様とは何度もお金のことで揉め、家族仲はあまりよろしくない。

 だが婆様もだいぶ歳だ。体を悪くされてからは寝たきりの生活を余儀なくされている。仲が悪くとも家族が放っておくわけには行かない。特に叔父さんは地元に依存した事業をするにあたって、家族に厳しく当たっているなんてウワサはなんとしても避けたい。

 だからこそ、叔父さんは二重の目的でこの日本家屋を構えることにした。

 一つは婆様の実家、もう一つは接待用の煌びやかな邸宅として。

 現にお客様がいらっしゃる時、婆様たちは離れの方に身を移さなくてはならない。寝たきりの婆様がそこに移るのは大変だ、だがそこに住まわせてもらってる以上、大きな文句を言うこともできない。

 母様は現在、そんな婆様の介護と邸宅の維持を兼ねて、叔父さんに給金をもらっている。家族とはいえ世話になっている色が濃いため、二人の肩身は狭い。

 俺と母様は元々いまのアパートに二人暮らし。いまでこそ俺が結納金と合わせて生活費を稼いでいるが、元々の稼ぎは母様が夜の仕事で稼いでくるお給金のみ。

 だが婆様の世話をする以上、そこの生活費は叔父さんに見てもらえる。母様は夜の仕事を辞め、婆様の介護をするだけで良くなった。

 本当は俺も叔父さんの家に世話になる予定だった。だがざくろとこれから生活していくことを考えたら、誰かに縋って生きていくなんて耐えられなかった。

 そう言った事情があり、俺と母様は別々に暮らしている。

 それぞれの譲れない事情が交錯した結果、いまの生活がりなされたというわけだ。


 と、着物姿の母様が玄関口に姿を現し、ざくろと抱擁を交わしている。麗しい光景だ。

 母様の風体は高校生の息子を持つ女性とは思えぬほど若い。切れ長の目に透き通るような白い肌、ほっそりした体でありながら肩や腰回りが強調されるしなやかな歩き方には芸妓げいぎのような華やかさがある。

 父親がいなくなってから引く手あまたと聞くが、本人はいまのところ再婚するつもりはないらしい。

 俺もガキじゃないし、本人にそのつもりがあるのなら再婚して欲しいと思う。なによりこんな素敵な母様を捨ておく男なんて、存在するはずがない。

「母様、帰りました」

 俺がそう呟くと……母様はざくろへ回していた腕をだらりと垂らし、目を見開く。


「けん、いち? あんた、本当に剣一なのかい……?」

「母様。あなたの一人息子、剣一です。いまここに帰りました」

 母様は口元に手を当て、瞳を潤ませる。

「こんなに大きくなって……」

「母様……!」

 俺と母様はどちらからともなく、ひしと抱き合う。

「剣一、剣一ィィィ~!」

「母様ァァァ~! 会いたかったよおぅ~!」

 声を張り上げながら人目……いや、ざくろ目をはばからず感動の再開を演出。先ほどまでじゃれあっていたざくろも、生暖かいジト目で俺たちを祝福してくれていた。

 恒例行事となる抱擁を一分ほど済ませ、少し離れると母様はリアルに涙を流している。演技派女優だ。

「ったく、もうあんたは見るたびにイイ男になってぇ。息子じゃなかったら囲いちまいたいくらいだよ」

「俺もだよ、母様。もし実の母親じゃなければ俺はきっと熟女属性に目覚めていた」

 ――目の前に火花が炸裂し、額に激痛が走る。

「っつぅぅぅ~!!」

 俺は額を抑えてその場にうずくまる。母様の瞬速デコピンが決まったのだ。

「誰が熟女だって? ヌかすんじゃないよ。アタシわね、十七になった時から年齢が止まってんの。剣一より年下なんだ、部を弁えな」

「……年下なのに遠慮なさすぎる、あーマジで痛ぇ」

 相変わらず骨にまで響く体重の乗ったデコピンだ、これを食らうと四割の確率でたんこぶが出来る。俺の頭が悪いのはもしかすると母様のデコピンが原因かもしれない。

「鮎華さん、わたしの剣ちゃんをイジめないでください」

 しゃがみ込む俺の前に、仁王立ちのざくろが立ちふさがる。

「やめろっ、そいつはざくろの敵う相手じゃない。相手は十七歳歴……千三百年の楊貴妃ようきひだぞ!? まだ十七歳を経験していないお前には、十七歳じゅうななさいりょくが足りないっ!!」

 だが、ざくろは物怖じする様子なくドヤ顔を振り向かせ、言った。

「安心して剣ちゃん。わたしはまだ十六歳。十六歳は……十七歳より、っょぃ!」

 ――黒田邸に電撃、走る。

 母様は顔を青ざめさせ、一歩後ろに下がる。

「な……あんた、十六歳……だってぇ!?」

 母様は裏返った声で叫ぶ。

「ざくろ……そうか、お前はまだ十六歳! 楊貴妃がいくら十七歳を主張しようと、にじみ出るBBA臭を隠すことはできない!!」

 俺の気付きにざくろがゆっくりと頷いて答える。

「うん、だから任せて。わたしには十六歳がついている。鮎華さんがどれだけ十七歳を主張しようと……十七歳はしょせんBBA! わたしの敵じゃない!!」

「ざくろ、前」

 俺に言われて前を向く。が、時すでに遅し。視線を戻すと同時、十六歳は十七歳のワキワキした手に捕らえられる。

「きゃあっ!?」

 触手のような指に捕らわれた、ざくろは抵抗空しく母様の手に堕ちる。

「ざくろぉ~!? よくもアタシに向かってババアなんて言ってくれたねえ? 十七歳がババアだったら、実年齢でアタシは何者なのさぁ!?」

「ううぅ~、白骨死体?」

「ほほう、こうして弄ばれても心は屈してないと見える。であれば白骨死体の楊貴妃が十六歳の肉を喰ろうてやろうぞ?」

 そう言って母様は艶めかしい紫の唇から蛇のような舌を出し、ざくろの首筋にしゃぶりつく。

「ひゃぁああぁ!?」

「お前の若さ、この楊貴妃が血肉にしてやろうぞ?」

「きゃ、わっ、ン……鮎華さん、やめて、正気にもどってぇぇぇ~」

 俺はしゃがみ込んだまま、十六歳の純潔が、十七歳のBBAに取り込まれて行く様を真剣に眺めていた。

 ――ああ、子供だったざくろも、こんな色っぽい声が出せるようになったんだなぁ。と感慨深い思いを込めて。

「剣ちゃん、見てないで助けてよ~」

「いや、だって俺が母様に勝てるはずないし」

「そ、そんなぁ! わたしが剣ちゃんを助けようと、鮎華さんに立ち向かったのにぃ!」

「ざくろ、俺は……黒田鮎華の息子なんだぜ?」

 その一言に、ざくろは言葉を失い、青ざめる。

「一体いつから――剣ちゃんが味方だと錯覚していた?」

「なあ、剣一。これいつまで続けんだい?」

「……母様が飽きるまでに決まってるじゃないか」

 自分から始めておいて、よく言う。

 俺の一言に母様も飽きたのか、ざくろを開放して最後に髪をひと撫で。

「さ、早く家に入んな。なにが好きでこんな寒い中を遊んでなきゃいけないんだい?」

 悪びれた様子なく、真顔で母様は家に引っ込んで行った。

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