2章 ニーディー・ガールズ

2-1 引き締まっていて、柔らかい

 十二月は師走しわす

 昔の人は忙しいこの時期をそう呼んだ。

 でも十二月が忙しいなんて本当はウソで、師走という名前が十二月を忙しくさせたんじゃないか、なんて思うことがある。

 師走という名前がなんとなく生まれ、そこに走という字が入ってしまったことで、自然と忙しいような気がしてしまったんじゃないか、なんて。

 ニワトリが先か、タマゴが先か。語源にたどり着いても知的好奇心が少し満たされるだけの、意味のない疑問。

 けれど他の月に比べれば、十二月が世間を忙しくさせているのは疑いようもない。俺がこんなことを言ったって「中二病が自説を唱え始めたよ、フヒ」としか言われないだろう。故に沈黙を守る。

 こんなくだらないことを思ったのも、今日は仕事が入らなかったからだ。年末に行うような大掃除と、仕事の特殊清掃は無関係であるらしい、あるに決まっている。

 ということで、先日キャンセルになってしまったご実家への挨拶に向かっている。もちろん、ざくろと一緒に。

 隣を歩くざくろは黒いジーンズに、少し子供っぽいピンクのもこもこコート。真っ白な手袋をこすり合わせ、首をすくめている。

 だいぶ暖かい恰好のはずだが、引き籠りがちのざくろには、外の気温は堪えるらしい。

「剣ちゃん、寒いねえ」

「おー寒いな、でもこれからもっと寒くなるぞ? 少しは表に出て耐性つけないとな」

「いやでーす、わたしに必要ありませーん」

「そんなんじゃ高校通えるようになった時、スカート穿いて歩けないぞ?」

「ぐっ……剣ちゃん、ジェイケーを天秤にかけるなんて卑怯だよっ!?」

「卑怯もなにも世間のジェイケーはそれに耐えてんだ。だからざくろもこれくらいの寒さは我慢しないとな?」

「その意見はおかしいっ。みんながそうだからって、そうしなきゃいけないなんて思考の停止だよ」

「生意気言うな、ざくろ。スカートは制服だぞ? それ以外を穿いたら校則違反だ」

「わたし、寒かったらスカートの下にジャージを穿いちゃうもん」

「な!? き、貴様。なんてことを……」

 ざくろが口にしたのは、すべての男の夢を打ち砕く終末ファッション……通称スカジャー。

 この世に顕現した混沌カオスの一つで、学校生活の彩りを音もなく蝕んでいく、正に存在悪。


 スカートの色は黒や紺、灰色と落ち着きの払った色が主となっている。その落ち着き払った色と、おみ足が見せる肌色とのコントラストが一つの完成形を保っている。通称、絶対領域。

 スカートは制服。ひいては学校の規律で定められた、秩序を具現化した存在。言い換えればそこに制服の生徒が揃っているからこそ、その場所は学校足り得ているのであって、施設そのものが学校なのではない。

 そこにスカートを穿いた、いや肌色とスカートのコントラストが存在するからこそ、そこは学校なのである。

 だが……スカジャーはすべての秩序を破壊する。

 そもそも色合いもダメだ。互いの色を殺し合い、致命的に終焉を迎えている。

 ジャージはそもそもが運動を前提に考案されたものだ。パステルカラーの赤や青、学校によりその色合いは異なるが、基本的には強めの色をしている。

 なぜそのような色をしているか? それは色による作用で筋肉の興奮や集中力を促すため。

 これはこれで十分語るべき価値のある問題だが、いまここで問題にしているのは運動時の話ではない。

 どの色について語るかというと……それはベージュ、もとい肌色だ。肌色は視覚が筋肉を弛緩させるライト・トーナス値において、一番安心と弛緩を与えるという色だということが証明されている。

 そしてその彩りをサポートするのがスカート、秩序の番人色ばんにんしょくだ。ウチの高校で定められているスカートは黒と青のチェック柄、一般的な制服の色合いだ。それらが見せる印象は安定感、落ち着き、堅実さ、など学校という引き締まった場に相応しい色だ。

 だがベージュと相見あいまみえた時、それらは奇跡の化学変化を起こす。

 お堅い印象と、人の与え得る最高の安心感。それが人に与える印象は……とても、引き締まっていて、柔らかい。

 繰り返す。引き締まっていて、柔らかいのだ。

 絶対領域の魅せるコントラストは、存在こそがギャップ萌えの境地。

 普段、真面目な人が自分だけしか見せる笑顔に心ときめかせるように、それはそこに存在し得るだけで我々の心にときめきを与えるのだ。


「ということで、スカジャーは絶対に駄目だ」

 僅か一秒における脳内講義を終え、強い決意アルケーもってざくろの愚考を否定する。

「え、なんで。寒くて死んじゃうよ」

「本当に死にそうになったら止むを得ない。だが死なないのであれば、可能な限りがんばってほしい」

 現役男子学生の夢のため、もしくは遠目に見守るサラリーマンの淡い思いをくすぐるため。ジェイケーに託された使命は大きいのだ。

「ん~よくわかんないけど、わかった」

 ざくろはさして興味がなさそうに頷く。

 まあ、こいつに思春期特有の嗜好を説明しても理解できるとは思えない。

「ま、ともかく寒かろうが一日一回外に出る。買い物でもいいから日光には当たらないとな」

 雑誌かテレビで見た知識だが、日光に当たらない日が多いほど、骨折のリスクは上がるらしい。知らんけど。

「ええ、めんどくさいよ」

「そんなんじゃ俺が風邪引いて外に出れない時、誰が食材を買ってくるんだよ?」

「ママゾンで注文する」

「いや、いくらママゾンの配達が早くても半日以上かかるから」

「じゃあ店屋物?」

「ばっかり食べてたら、すぐに金が無くなるっつうの」

「そっか」

 お金の話を出すと、ざくろは腑に落ちたような表情で、おもむろに胸元のトグルボタンを外し、コートの前を全開にする。

「さむ~い!」

「アホか。耐性つけるっても、わざわざコートを脱ぐ必要はない」

「そっか?」

 わかってるのか、わかってないのか。

 俺はざくろのボタンを留め直し、ファー付きのフードを頭にすっぽり被せてやる。

 ただでさえ長めの前髪に、フードを被せてしまうと前が見えているのかさえ怪しい。俺は向き直って屈み、ざくろを正面から見つめる。

 僅かに顔を上げたざくろと目が合う。

 俺の顔が近くにあったことに少し驚いた様子だったが、小首を傾げて控えめに笑った。

 ――その儚い笑いに、胸が痛む。

 名もない公園に咲く、シロツメクサのような目立たない存在。

 与えられた環境でただ生きていこうとしているだけなのに、それすら満足にできず、消えてしまいそうなざくろ。

「……まだ寒いか?」

「ううん。さっきより、いい」

「そうか」

 俺は再び、ざくろの隣に立つ。

「剣ちゃん」

「ん」

「手、つないでもいい?」

「繋ぎたいなら」

「つなぎたいっ」

 俺の素手が、もこもこ手袋に包まれる。少しゴワゴワとして正直、繋ぎやすいとはいえなかった。

 お互い素手の方が繋ぎやすいし、素手のほうがきっと男女のそれっぽい。

 けれども繋ぐことだけに意味を求めるフィアンセは、歩幅大きく上機嫌。

 そんな微笑ましさと、ゴワゴワした暖かさが、そのままの俺たちの関係だ。

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