1-18 闇の決意

「――氷川茜に、心を寄せているのであろう」

 底冷えするような声が、直接脳に響く。

「無理もない。あれ程の佳人かじん献身けんしんされ、心揺るがぬ男などおるまい」

 黙れ、消え失せろ。

「余の前で虚勢を張っても詮無いこと。ただでさえ闇の深い主が、不要に溜め込むことも無かろう」

 お前に愚痴れってか。

「口にするのであれば、付き合おうぞ?」

 安心しろ、お前に愚痴ることなんてない。

神以かみもって、主は度し難い。能力を手にした者は得てして、自らの境遇にれるモノだと云うのに」

 ふざけんな、俺を誰だと思ってる。スーパーヒーロー、黒田健一様だぞ?

 現実浸食インフェクションがあっても、決闘以外では使用しないお利口さんだ。ざくろが解放されるまで、俺は俺じゃないの。

「これは不敬を働いた、主は禁欲にこそ快楽を見出すのであったな」

 殺すぞ、コラ。

「相違あるまい。主が馬籠雄一郎に自ら云うたではないか」

 不幸自慢のこと、言ってんのか?

「敗北者でありながら彼奴は聡明だ。主がニグリ決意アルケーを成し遂げても何一つ残らないとも見えている」

 でも、ざくろは幸せを掴み取る、それは間違いない。

「婚姻制度に救われ、その後に捨てられる女が仕合しあわせか。心かられ口にしているのであれば、主は真の外道であるな」

 その通り、俺は外道だよ。死んだら冥界で世話になるよ。

「して捨てる女のためにみさおを貫く。此れ程の歪んだ決意があればこそ、現実浸食インフェクションの秘儀が手に収まるのも道理だな」

 そろそろ、本当に黙れよ。

「決意を成し遂げ、早乙女ざくろと別離した後はどうするつもりだ。氷川茜を迎えに行くか?」

 茜とは切れてる、そんな選択あり得ない。

「しかし想い合う者は必然、惹かれ合う。主が必然と決意を手にしたようにな」

 茜の隣には別の男が現れるだろ、あいつモテるし。それに卒業したら茜との縁は、全部断つ。

「それを許す女か、氷川茜は」

 ……できるだろ、徹底的に拒絶すれば。

「呵呵! 余を主に憑き従えて、まことたのしいぞ……!」

 それだけを言い残し、ハデスの姿は霧散する。

 廊下にはもう誰の姿もなかった。

 日没の残紅ざんこうを浴び、伸びる影は一筋。


 ……救うためには、婚約するしかなかった。

 ざくろにとって香織は恐怖で支配する神だった。

 香織の意志に反することを、ざくろは選択できない。

 ざくろを連れ出すには、香織の許可が必要だった。それが結婚という建前――七百万円だ。


 世間知らずな、少女。

 入れられたのは箱ではなく、檻。

 そんな少女を俺は結納金という名目で購入した。奴隷のような境遇から解き放つために。

 だが、その男が心からざくろを求めたら、どうなる? ――主人を変えた、新しい奴隷になるだけだ。

 逆らえない、逆らえるはずがない。これまで命令も、暴力も、受け入れることしか知らなかったのだから。

 ざくろには、自分の意志が必要だった。

 社会に出て、常識を学んで、友達を作って、暴力に抵抗する。そんな人間として最低限のこと。

 俺はざくろを見届ける保護者、それ以外であっちゃいけない。

 そしていつの日か、自立できたら……婚姻を解消するつもりだ。

 茜にも、母様にも言っていない。言えるわけがない。反対されるのがわかってて言うのは、ただのバカだ。

 建前は別れる時まで、崩せない。

 俺がざくろを好いている前提の元に、この保護者関係は成り立っている。

 ざくろが香織の元を離れたのは、婚約という名目で送り出されたから。ざくろが香織の暴力から逃げる意思を見せたわけじゃない。

 香織という神はまだ生きている。ざくろが昔に戻る可能性はゼロじゃない。正式に婚姻が結べたら適当な理由をつけて、ざくろと遠くへ引っ越すつもりだ。ざくろと香織が二度と、関われないようにするため。

 それが二年前に立てた、計画のすべて。そして土台になるのが、俺の決意。


 黒田剣一の決意――それは、早乙女ざくろを旅立たせること。


 雛はいつか外へ飛び出す。

 当然だ、俺はざくろの好意に応えてはやらないのだから。

 ざくろはいつしか気づく、俺が単なる保護者だということに。

 外の世界は広い。檻の中で出会った少年なんて所詮はつり橋効果。すぐに忘れてくれるだろう。

 ぬるま湯に浸かり続けることも、考えた。

 だが、それは決意をあきらめ、喪失させることになる。それだけはダメだ、

 決意が降りたあの日から、俺は自分を信用していない。失った俺が、どんな行動を取るか保証できない。

 劣情のまま、ざくろを奴隷にするかもしれない。

 稼いだ金が惜しく、ざくろを香織に返すかもしれない。

 ざくろを捨て、置き去りにした恋をやり直そうとするかもしれない。

 俺がざくろに優しくあろうと思えるのは、ニグリ決意アルケーが縛り付けてくれているから。

 そして、なにより俺は……決意を失うのが怖い。

 決意の喪失は、明日へ意志を継承できないということ。すなわち今日の自分が迎える……死。

 その恐怖が俺を突き動かし、ここまで勝ち続けてきた。

 いまの俺にとって、決意を失うことなんてありえない。自ら呪いの道を突き進む他、ないのだ。

 ざくろが一人立ちする、その日まで――

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