1-18 闇の決意
「――氷川茜に、心を寄せているのであろう」
底冷えするような声が、直接脳に響く。
「無理もない。あれ程の
黙れ、消え失せろ。
「余の前で虚勢を張っても詮無いこと。
お前に愚痴れってか。
「口にするのであれば、付き合おうぞ?」
安心しろ、お前に愚痴ることなんてない。
「
ふざけんな、俺を誰だと思ってる。スーパーヒーロー、黒田健一様だぞ?
「これは不敬を働いた、主は禁欲にこそ快楽を見出すのであったな」
殺すぞ、コラ。
「相違あるまい。主が馬籠雄一郎に自ら云うたではないか」
不幸自慢のこと、言ってんのか?
「敗北者でありながら彼奴は聡明だ。主が
でも、ざくろは幸せを掴み取る、それは間違いない。
「婚姻制度に救われ、その後に捨てられる女が
その通り、俺は外道だよ。死んだら冥界で世話になるよ。
「して捨てる女のために
そろそろ、本当に黙れよ。
「決意を成し遂げ、早乙女ざくろと別離した後はどうするつもりだ。氷川茜を迎えに行くか?」
茜とは切れてる、そんな選択あり得ない。
「しかし想い合う者は必然、惹かれ合う。主が必然と決意を手にしたようにな」
茜の隣には別の男が現れるだろ、あいつモテるし。それに卒業したら茜との縁は、全部断つ。
「それを許す女か、氷川茜は」
……できるだろ、徹底的に拒絶すれば。
「呵呵! 余を主に憑き従えて、
それだけを言い残し、ハデスの姿は霧散する。
廊下にはもう誰の姿もなかった。
日没の
……救うためには、婚約するしかなかった。
ざくろにとって香織は恐怖で支配する神だった。
香織の意志に反することを、ざくろは選択できない。
ざくろを連れ出すには、香織の許可が必要だった。それが結婚という建前――七百万円だ。
世間知らずな、少女。
入れられたのは箱ではなく、檻。
そんな少女を俺は結納金という名目で購入した。奴隷のような境遇から解き放つために。
だが、その男が心からざくろを求めたら、どうなる? ――主人を変えた、新しい奴隷になるだけだ。
逆らえない、逆らえるはずがない。これまで命令も、暴力も、受け入れることしか知らなかったのだから。
ざくろには、自分の意志が必要だった。
社会に出て、常識を学んで、友達を作って、暴力に抵抗する。そんな人間として最低限のこと。
俺はざくろを見届ける保護者、それ以外であっちゃいけない。
そしていつの日か、自立できたら……婚姻を解消するつもりだ。
茜にも、母様にも言っていない。言えるわけがない。反対されるのがわかってて言うのは、ただのバカだ。
建前は別れる時まで、崩せない。
俺がざくろを好いている前提の元に、この保護者関係は成り立っている。
ざくろが香織の元を離れたのは、婚約という名目で送り出されたから。ざくろが香織の暴力から逃げる意思を見せたわけじゃない。
香織という神はまだ生きている。ざくろが昔に戻る可能性はゼロじゃない。正式に婚姻が結べたら適当な理由をつけて、ざくろと遠くへ引っ越すつもりだ。ざくろと香織が二度と、関われないようにするため。
それが二年前に立てた、計画のすべて。そして土台になるのが、俺の決意。
黒田剣一の決意――それは、早乙女ざくろを旅立たせること。
雛はいつか外へ飛び出す。
当然だ、俺はざくろの好意に応えてはやらないのだから。
ざくろはいつしか気づく、俺が単なる保護者だということに。
外の世界は広い。檻の中で出会った少年なんて所詮はつり橋効果。すぐに忘れてくれるだろう。
ぬるま湯に浸かり続けることも、考えた。
だが、それは決意をあきらめ、喪失させることになる。それだけはダメだ、
決意が降りたあの日から、俺は自分を信用していない。失った俺が、どんな行動を取るか保証できない。
劣情のまま、ざくろを奴隷にするかもしれない。
稼いだ金が惜しく、ざくろを香織に返すかもしれない。
ざくろを捨て、置き去りにした恋をやり直そうとするかもしれない。
俺がざくろに優しくあろうと思えるのは、
そして、なにより俺は……決意を失うのが怖い。
決意の喪失は、明日へ意志を継承できないということ。すなわち今日の自分が迎える……死。
その恐怖が俺を突き動かし、ここまで勝ち続けてきた。
いまの俺にとって、決意を失うことなんてありえない。自ら呪いの道を突き進む他、ないのだ。
ざくろが一人立ちする、その日まで――
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