1-16 闇との境界
「……な!?」
「お前はもう茜に関われない。ウジウジ悩んだって仕方ないんだ。そんなことより違う女にコクって来いよ、恋愛脳。そしてまたフラれて来い。ネクラ野郎はゴメンです、ってな」
想像すると、笑いがこみあげてくる。長身で自信満々のイケメンがにべもなくフラれるのだ。気持ちいいこと、この上ない。
「茜よりいい女なんて、この世にたくさんいる。ナルシストの馬籠でも数打ちゃ、そのうちどっかで当たるだろ」
馬籠は口を開き呆然としている。自分がなにを言われたのか、わかってないかのように。
「そんなことして、先輩になんの得があるんですか」
「俺を度々呼び出す馬籠に、②の進捗を聞く嫌がらせができる。それで十分だ」
「違う! あなたの仕事を認めなければ、僕は風紀委員長としてあなたに改善を求め続けるんです。先輩はそれでいいんですか!?」
「なにが?」
「約束がその二つでいいのなら、僕はあなたとの関係を変えません。あなたの素行不良を見逃しはしないし、何度も呼び出して生活指導の先生とお灸を添えてやります。先輩はそれでも……」
「バカヤロウ。そもそも風紀委員が問題児を黙認するなんて、やっていいことじゃない。そんなヤツは風紀委員失格だ」
茜は俺を卒業させるために、風紀委員長になった。けど俺はそんなこと望んじゃいなかった。
もちろん感謝はしてる。でも本当は俺なんかに振り回されず、茜の生きたいように生きて欲しかった。
全部忘れて、自由に、傍若無人に、生きて欲しかった。
だから、そんなことのために風紀委員長をするヤツなんて、あとにも先にも一人で十分だ。
馬籠はいけ好かない後輩で、闇の決意は失ったかもしれないけど。その代償が現実に影響を残すなんてダメに決まってる。先に帰るのであれば現実の芯は、しっかりと貫いて欲しい。
「風紀委員失格のヤツなんてさっさと忘れろ。女のケツばかり追いかける男が一番モテないんだからな! ……俺はモテたことないけど」
「は、はは、あはははは!」
馬籠は、高笑い。
そして笑いに笑って……一人で感極まっていた。
俺にその気持ちは全く理解できない。馬籠だってきっと理解されたくもない。男の感傷に、男が寄り添ってもキモチワルイだけなんだから。
「戯言は、いい加減済んだか」
しばらく口を
というか俺たちは冥界の王に空気読ませていたのか、半端ないな。
「はい、もう大丈夫です」
馬籠の表情は冷え込む深夜だというのに爽やかでさえあった。こいつにもう闇なんてものは似合わない。
「
ハデスが両の手を開き、病的に長い骨張った指を馬籠の前にかざすと、馬籠の体とハデスが血のような
「余は冥界の王、ハデス。現界においては
いま、ここに馬籠の暗黒が失われる。
「闇の能力者、馬籠雄一郎よ。貴様は想いを寄せる者を罪悪感で蝕み、彼の者に不要な傷と苦悩を与え続けた。そして自らの行いを顧みることなく、
馬籠が闇を手にした理由。
結果だけ見れば、それはどうしようもなく愚かな行い。
……でも、それに至る経緯を知ってしまうと、自然と仕方のないことかもしれない。
「貴様の求めたモノは愛ではなく、自己愛。闇に染まった愚かなヒトよ。立ち返れ、貴様に闇は馴染まない――」
そう詠み上げると、少しずつ馬籠を纏う赤が天に立ち昇っていく。
ペテルギウスのような儚く小さい光、だがそれは俺という他人が見ているから小さく見えるだけなのかもしれない。
「黒田先輩」
天に光を返す馬籠が真面目な顔で言う。
「あなたは間違っている」
それは敗者からの負け惜しみなのか、それとも暗黒を抱えたよしみなのか。
「あなたの選択はとても立派で、僕の歪んだ決意なんて霞むほど神聖なものだ」
歪んだ決意に神聖もクソもない、あるのは自分がそうすることが正しいという思い込みだけだ。
「だが、その決断は誰も幸せにせず、誰に対しても優しくない。そしてなによりその選択は……あなた自身を一番苦しめる」
決意が成就した先に幸せはない、そんなことはわかり切っている。
けれどわかっていても先に進むしかない。だからこそ俺の決意も歪んでいると定められたのだろう。
「だから先輩、あなたは……」
言いかけ、継ぐ言葉を口にできず……棒立ちのまま、意識を失った。
目を瞑ったまま、けれど足取り確かに、黙ってフットサルコートを立ち去っていく。
「眠っちゃったな」
「決意喪失に伴っての記憶整理は
こんな時間に馬籠がフットサルコートにいるのもおかしい。だから無意識で馬籠は本来自分がいるべきところ、自宅へと歩を進める。
「彼奴は現実に戻った。目覚めと同時に決意の記憶を失うだろう」
馬籠はまた俺のことを呼び出すだろう。でも、構わない。それが本来の風紀委員長の姿なんだから。
厚い雲がにわかに白み始めている。雪でも降り出しそうな鼠色の空が、吐く息を白に変えた。
「寒っ! うわ、なんだこれ」
いきなり裸で北極に放り出されたようだ。寒さに体を震わせ、両腕を抱える。
「
ハデスの冷ややかな視線が俺を刺す。さすがにもうパーカーだけで出かけるのは無理だ。いい加減に衣替えをしよう。
「なんだかんだで朝になっちゃったし、帰ってさっさと寝るか」
「待て、後始末がある」
俺を引き止めたハデスは黙って競技場の中央を指さす。
「あ……」
その指さした先には、四つの岩塊が聳えたボロボロのフットサルコートがあった。
本来、現実には影響を与えない暗黒同士の決闘。だが、俺の能力は規格外にもそのルールを無視し、現実にありえない爪痕を残していた。
昨夜は何事もなかった競技場に原因不明の岩塊が聳えているのだ。ニュースの一面を飾るかもしれない、捜査の手も入り、怪しい人物の洗い出しが行われるだろう。
普通なら。
「今回は、どう辻褄合わせるんだ?」
「無論、主が
官憲。役人、つまり警察のこと。
「……」
「冗談だ」
「冗談は笑いながら言え」
たまに現界へ馴染もうとして、失敗する。
自分の冗談が受けなかったことが不服なのか、無表情なりに機嫌が悪そうだ。
「ほら、ハデス。早くしてくれ、凍えて死にそうだ」
「岩塊の出現に理屈が通っていれば良いのだろう?」
言いながら頼もしき冥王様は、表情を変えずに指を鳴らす。
同時に、なにか引き千切られる音――競技場に設置された照明塔が斜めに倒れ、岩塊の方向に吸い込まれてゆく。
そして落下。粉塵、ガラスを巻き散らしての轟音。
照明塔の落下地点である地面は抉れ、見事に岩塊が隆起した事実を覆い隠してくれた。大事故という上書きを経て。
「ごめんよ、スポーツクラブの職員さん。フットサル愛好家の皆さん」
「何をしている、主」
「へ?」
「早く去らないと、あらぬ疑いをかけられるぞ」
「……っ、早く言え!」
全然、あらぬ疑いじゃないけど――どうでもいい言葉を仕舞い、フェンスを乗り越える。
駆け足に猫が驚き、床屋の止まったサインポールに身を隠す。冷えた汗が頬を伝い、電柱に止まった鳩がひと声鳴いた。
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