1-15 冥途の土産

「……それが、黒田先輩の決意」

 芝生に転がった馬籠の、消え入るような声。

「本当は高校も辞めるつもりだった。けど、茜がそれだけはやめろって」

「当然です。捨て鉢になった先輩にだって将来があります。卒業を薦めるのは風紀委員として、いえ人間として当然のことです」

「そっか。なんか、ありがとな」

「僕はなにもしてない。それにあなたからお礼なんて、気持ち悪い」

「先輩に向かって、ひどい言い草じゃん」

 軽く言って馬籠の笑いを誘うが、無反応。馬籠は神妙な顔つきで、漆黒の曇天を眺め続けている。

 俺としては笑って欲しい、できれば爆笑とか、そんなレベルで。

 せがまれたとは言え、自分の不幸語りなんてしてしまった。言いようのないモヤモヤが頭を痒くさせ、ボリボリと毛根を爪で削り取る。

 ――主よ。

「出たな?」

 鳴りを潜めていた決意の管理者――宙に浮いたビジュアル系の異形が、背後からぬうっと浮かび上がる。

「その姿……」

 馬籠の焦点はしっかりとハデスに合っている。取り憑かれていない者がハデスを目にできるのは、能力発現時と喪失時だけだ。

「会っただろ、闇の管理者。そろそろハデスも待てないってさ」

 最後まで馬籠は取り乱さない。決意を失うことを、心から受け入れきっていた。

「ところで、黒田先輩は普段から管理者が見えているのですか?」

「ちょっとな。二年も決意を引き摺ってると、そういうこともあるらしい」

「随分と適当な理由だ。……まあ、この世界と無縁になる、僕の感知することではありませんが」

 俺と馬籠の世界は、もう交わらない。これからはいままで通り風紀委員長と、一介の生徒でしかない。互いの決意バックボーンを語り合ったとしても、それが俺たちの友情に代わったりはしない。

「余は敗者の罪状――失う決意を読み上げに貴様の前へと姿を現した。貴様が自らの敗北を聞き入れた時、決意に紐づいた記憶は、現実に影響ない形で変革される」

「そうか、それは……助かる」

 助かる。

 馬籠は一体どういう気持ちで、それを口にしたのだろう。

 恋は盲目。どんなロジカルな問題をも、感情論で上書きしてしまう人間の大きなバグ。

 きっと馬籠みたいな愚直な人間は、その感情論の声に大いに悩まされたことだろう。

 失恋を認める。

 だが茜への恋心とは半生の時をも過ごしてきた。それを諦めるということは、いままでの自分を否定することと同じ。

 その葛藤は苦しみの日々、わかっていても受け入れ難いものだったはずだ。

 茜の笑顔に心奪われ、生徒会や風紀委員として過ごした青春時代。

 ただ茜と一緒にいたい、笑顔を見たい、話しかけて欲しい。小さな願いの連続の中で、馬籠は茜への想いを育て、いつか隣に並べる日を願ってきた。

 そのすべてが、なかったことになる。

 どれだけ茜への想いを叫んでも、それがなにか形として残ることはない。その積み重ねは明日から失恋という一言でしか、思い出すことができない。

 過ぎ去っていく日々をそんな単語に当てはめられ、馬籠の長く育てた恋心は消滅する。

 その苦しみは年齢や経験と共に薄めることはできるのかもしれない。でも、馬籠にとってはいまが一番苦しい時なんだ。

 そして同時に、苦しみの時から解放される。

 決意こいごころを、失うことによって――

「馬籠、二つの約束だけど」

「ええ、覚えてます。僕は今後、氷川先輩に関わりません。……そして僕と茜さんが、風紀委員室で顔を合わせることもなくなるでしょう」

 つまり、それは馬籠が俺の仕事を黙認するということ。

 そもそも、茜自身は風紀委員室に用がない。それでも俺に同伴していた理由は、呼び出された俺を庇うためだった。元風紀委員長は俺の生活事情に重きを置いたが、現生徒会長は周囲の悪影響を懸念した。

 そして、決闘にかこつけた馬籠の要望は ①俺が真面目に登校すること ②茜と関わらなくすること、だ。

 重なる形で考えれば俺の要望は ①馬籠が不登校を黙認すること ②茜に言い寄るのをやめること、になる。

 ①が叶えば残りの数ヶ月、俺は楽に学校生活を過ごすことができる。②については、馬籠の決意が消失すれば自動で達成される。

 ……それって、おかしくないか?

「僕は黒田先輩の決意を聞き、氷川先輩があなたを庇う理由を理解しました。あなたには大切な婚約者がいる。それを理解した以上、僕もあなたが学校より優先するものがあると――」

「ちょっと、待て」

 話しの腰を折られ、馬籠が不服そうな顔をする。

「なんですか」

「それって、おかしくないか」

「……気づきました?」

 馬籠は残念そうに肩を落とす。

「せっかく先輩の願いを一つ削れると思ったのに、意外と頭が回るんですね?」

 この野郎。

 先ほどの殊勝な態度はどこへやら。馬籠は「お前の蛮行は僕が揉み消してやる、だから安心しろ」とでも言いたげだ。

 気に食わない。

 そもそも俺たちは犬猿の仲。

 風紀委員とはいえ、拳を交えて互いの実力を認め合い、なかなかやるなと称え合う。そんな関係が成り立つ仲じゃない。

 語ってやったとはいえ、こいつに俺の決意を理解されてたまるもんか。わかった風な態度を取られるのも気に食わない。

 せがまれたから話しただけで、墓まで持っていくことはできた。乗せられて話しちゃったけど、馬籠が失う決意に冥途の土産のつもりだったんだ。

 急に湧き上がる反骨精神。

 俺がこいつに望むのは、そんな都合のいい現実じゃない。本当に後輩へ言い聞かせたいことは――

「俺が願うのは、①茜をあきらめること。そして――②新しい女に惚れること。以上だ」

 最高の、嫌がらせだ。

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