1-13 点と線

「マゴちゃん」

「その呼び方はやめろと、何度も言ってます」

「実は、マゴちゃんに聞いて欲しいことがあるんだ」

「僕に自分の決意を聞いてもらおうとでも言うんですか? 生憎ですが、あなたにどんな境遇にあろうと僕は手加減なんて――」

「俺、実は婚約してるんだ」

 馬籠の顔に走る、動揺。

 当然、思い浮かぶのは渦中の人物。

 ありえない――そう思い込んでも、馬籠はその可能性を無視できない。

 茜が剣一に向ける笑顔は、自分には向けない類のもの。信愛が垣間見える、言葉の数々。互いに付き合っていないと公言しながらも、近すぎる不思議な関係。

 去年だって風紀委員長でありながら、剣一には他の生徒とはかけ離れた不当に甘い判断。

 その釈然としなかった、心を焼いた想い。だがそれがずっと二人に隠された事実であれば……納得してしまう。

「でも安心してくれ、それは茜じゃない」

「……当然です。良識のある氷川先輩が、おいそれと婚約なんて結ぶはずがない」

 言葉と同時に吐き出す、安堵のため息。

 二人が恋愛関係になくても、自身の立ち位置は変わらない。それでも茜に恋人がいないことを嬉しく思う、歪んだ感情。

「俺の婚約者はね、俺以上のどうしようもないヤツだ。ま……それに入れ込んでる俺もバカなんだけどね」

 心底、どうでもいい。

 馬籠の胸中にはそんな感想しか浮かばない。

 いや、強いて言うのであれば不登校でアルバイト、そしてその金が女に貢ぐためであれば馬籠としては最高の結果だった。

 自身の憎んでいた人間がそれほどに愚かで、そして人生を無駄にしていることが愉快でたまらない。

 剣一が暗黒を手にした理由は、馬籠の至った経緯よりも遥かに愚かだった。それに対する優越感が、馬籠の中に込み上げてくる。

「――だからこそ、茜には助かってるよ」

 継ぐ言葉を聞くまでは。

「俺が隣にいるだけで機嫌を伺い、好かれようとして、癒してくれる、最高の女だ」

「……なにを、言っている」

「茜とは婚約も付き合いもしない、そう言ってるだけだ」

「だから、なにを言っていると聞いてる!」

 馬籠の顔に浮かぶのは、先ほどの比ではない程の狼狽。もう既に終わってしまっていることへの、恐怖。

 それを聞いて自分がどうなるかわからない、けれど聞かなければどこにも行くことができない。

「ガキの馬籠にはこう言わないと、わかんないか」

 剣一は呆れたように、見下すように言う。

「――茜は遊ぶにもってこいの女だって、言ってんだよ」

「殺してやる」

 三度みたび、荒れ狂う光弾。隆起する岩塊。

 決意の分だけ肥大化する能力。馬籠に表出した怒りに比例し光弾はスピード・質量を増し、敵を呑み込まんと圧倒的物量が闇を裂く。

 だが馬籠に現実を破壊することは叶わない。剣一の繰り出す岩塊は、微動だにせず散弾銃の光を次々と飲み込んでいく。

 能力使用による反動、互いに隙を見せること約五秒。その隙は相手にとって圧倒的な好機でありながら、必殺を必殺で相殺する以上、戦況に変化は訪れない。

 矛盾一体アエギス・バレットは攻守一体、かつ長射程の能力。剣一は現実浸食インフェクションで岩塊を生み出すも、主能力メインスキルの使用は実質不可能。

 剣一の分断ディバイドは必中が条件。広大で邪魔の入らないフットサルコートであろうと、射程が無限では無意味。

 ここにボールの一つも転がっていれば、妙案で一つの打開策も練れたかもしれない。が、それは架空の話。

 剣一が接することのできる現実は脚に接する大地のみ。現実浸食インフェクションは最強の防御だが、馬籠を不利に追い込むことは難しい。

 加えて二人の移動は同速。剣一が踏み込んだとして、馬籠は同速での回避、間合いを維持したままに長射程の能力を維持することが可能。

 どれだけの時をかけてか、この間合いを活用していけば、痺れを切らすのは剣一であることは必至。剣一が策を編み出さないことは打開できない、膠着した展開であった。


 ――だからこそ、策は実行に移されていた。

「よくも……よくも、氷川先輩に、下種な真似をっ!」

 踏み込み、全体重を乗せた渾身の刺突。

 強化された目でも終えない、頭を狙った一点攻撃。攻撃者と依代の軌道予測で躱しつつ、後退するも馬籠の追行は止まらない。

 馬籠の目的は既に決闘の勝利ではない。剣一への報復、攻撃。それ自体が目的と化している。

 だからこそ馬籠は長射程の攻撃に頼らない。間合いを利用した攻防一体の策には頼らず、攻めてこないのであれば自らの手で剣一を叩き潰す。

「僕の声が氷川先輩に届かなくても構わない。だが、貴様が先輩を汚したことだけは、なによりも許せないっ!」

 ――瞬間、剣一の意識が震盪。

 自由の利かない体は地面を転がり、かろうじての受け身を取る。

 自身の負けを危惧するも、決意はまだ胸の内。馬籠に視線を戻し、状況を理解した。

 馬籠が突き出しているのは左手の拳、能力も依代も利用しない生身の殴打。

 その着地点に追行する馬籠。剣一は咄嗟に剣を突き立て、岩塊での防御に回る。馬籠の視界から剣一の姿が消え、眼前には障害物。高速で現実に衝突するは致命傷、馬籠は三角飛びの要領で岩塊に足を乗せ、そのまま後方へ跳躍。

 やや冷静さを取り戻した馬籠はその場で待機、怒涛の攻勢が一時的に深夜の沈黙へと立ち戻る。

 だが優劣はますます明確になった。剣一は近接戦闘に現実浸食インフェクションで防備を構えた。つまり剣一が一方的に隙を見せたということ。かろうじて不意打ちとなる発動で馬籠を後方へ退かせたが、もし正面突撃ではなく回り込まれて、散弾銃でも放たれていたら勝敗は決していた。

 剣一の策は、間合いが維持された戦闘の回避。

 相手の能力は長射程かつ全方位へはしる散弾銃、能力利用の防備では埒が明かない。そのため乱戦に持ち込んだものの、近接戦闘でも後れを取ってしまった。

 冷静さを欠かせ、戦意が高揚したため能力は向上。剣一の目論見通り狂戦士バーサーカーと化した馬籠だったが、冷静さを取り戻された現在、敵に塩を送っただけの結果となった。

 まだ希望を捨てない。なぜなら剣一は相手を知っている。

「おい、来いよ。ネクラ野郎」

 岩塊の脇から姿を晒し、相手を鼻で笑う。

 選ぶ言葉は油。冷やされた硬い鉄には歯が立たない。であれば原型を留めぬほど熱い状態こそ、叩く価値がある。

「茜のそそる泣き顔も知らないなんて、かわいそうに」

 闇を抱えるほど譲れない想い。それを侮辱され続けた馬籠に、分析的思考を続けることなどできない。

 矛先に全体重を乗せた、特攻。速度は当初の比ではない。

 神速の一点攻撃に対し――剣一は回避行動を取らない。フライ返しの先端をてのひらで抑え、刺突を正面から受ける行動に出た。

 点の攻撃に対し、線の防御。

 そのような防御で、点の攻撃を受けられるはずがない。

 防御は範囲の広さによって攻撃を防ぐ確率を高め、その硬度によって受けられる力を増す。

 剣一の握る剣は――フライ返し。

 そのフライ返しは、驚くべきことに黄色のパステルカラーで、ドチャクソ可愛い。しかも税込百八円だ。

 暗黒によって強化されたフライ返しは、当然ながら最高の硬度。しかし防御として受けられる範囲は線、安心して命を任せられる代物ではない、あまりに心許ない防御手段。

 点での攻撃が僅かでも逸れれば、致命傷。

 万一、受けられたとしても馬籠が不利に陥ることはない。それは確信ではなく当然のことだった。

 ――勝った。馬籠の胸中にその思いが込み上がる。

 長年、風紀委員を悩ませてきた不良生徒。

 自身の想い人を苦しめ続けた、卑劣漢。

 剣一の決意は消滅し、茜から引き剥がせる。

 結果、氷川先輩の心を手にできるとは思っていない。それでも最低の状態からは救った。

 自身の勝ち得た結果が、氷川先輩の人生に影響を与えられる。それだけで十分だ。

 そしてこれからも適わぬ思いを茜に告げていく。結果を求めての行動ではない。

 彼女が困り、心を少しでも占有できれば、それでいいのだから――


 点と線の、衝突。

 剣一は見事、線での防御に成功した。

 現実に干渉できる能力者は刺突を受け、轍を作りながら十メートルほど後方に地を滑らせる。

 だが馬籠は不利にならない。次の攻撃のため依代を引き寄せ……られなかった。

「――っ!?」

「残念」

 剣一の持つフライ返し。

 先端には食材を返すための幅広な受け口。

 それは防御として僅かに機能し、点からなる攻撃を受け止めることに成功した。が、馬籠が不意を突かれたのはそこではない。

 その返しに刻まれている、油落としの穴。馬籠が手にするは円錐状の傘。

 超硬度かつ神速の刺突は、受けられた返しの穴に強く食い込み、引き寄せようとも微動だにしない。

 突然の逆転に動揺し、馬籠は咄嗟の判断ができず、その場で引き抜こうと腕を引く他できない。

「悪い、マゴちゃん。俺、ウソついた」

 剣一はその超近距離で傘を加え込んだままの依代に、自身の決意を込めて振り被る。

 馬籠は動揺の中にあり、抜けない依代を離しての退避ができない。

 なぜなら、依代を手離すことは実質の敗北で……茜の贈り物を自ら手放すことは、魂の敗北だから。

「茜は潔癖だ。心優しい、俺にはもったいない女の子だ」

 分断ディバイド――ゼロ距離で放たれる暗紫色の一閃。

 依代の傘を砕きながら、分断ディバイドが馬籠を纏う暗紫色の光を切り裂いていく。

 二人の鼓膜には、風船が割れるような小さな音。現実には聞こえない、何処にも届かない残響を残し、一つの淡い決意が、いま闇に消えていく。

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