1-10 火蓋

「早いですね、黒田先輩」

「こんな時間で悪かったな」

「いえ、人目を忍ばなければならないことは、理解できますから」

 グレーのロングコートに軽薄な笑み。後ろ手に隠しているのは依代だろう。

「それが黒田先輩の武器ですか」

「ああ」

「随分と立派なモノをお持ちで」

「笑うな」

「これは失礼」

 言いながらも馬籠は額に手を当て、肩を揺らしている。まあ笑われても仕方ない、見かけだけはオモチャみたいなもんだ。

「ほら、マゴちゃんも見せろよ。不公平だろ」

「そうですね、では失礼して」

 そう言って。胸を張りながら後ろ手に隠したモノを振りかざす。

「どうですか! 羨ましいでしょう?」

 満面の笑みで見せびらかす、それは――傘。

 リーチはフライ返しより長く、槍のような形状はいかにも武器っぽい。小学生の頃は誰しも、武器のように扱ったことのある小道具。だが……

「ぷっ……お前、その柄なんだよ」

「なっ、僕の依代を笑うとは失礼な!」

 馬籠は拳を握って憤慨するが、男子高校生の手には似合わないのは一目瞭然。

 だって馬籠が握っているのは、リボンをつけた猫がプリントされたピンクの傘だ。それを現風紀委員長が、満面の笑みでドヤってきたら笑うだろ。いや、笑わなければ失礼だ。

「思い出、なんだ?」

「ええ、聞いて驚かないでください。この傘は小学生だった時、通学班が同じだった氷川先輩にもらい受けた、神聖なる傘なんです!」


 ――そう、それは僕が小学二年生の時。

 雨の降る通学路、氷川先輩と肩を並べた帰り道。

 その頃の僕はまだ体が小さく、運動が苦手だった。対して氷川先輩は男子に混じってサッカーをするような快活な女の子。

 先輩は雨の日が嫌いだった。雨が降ると親に持たされた可愛らしい傘を差さなければいけない。すると男友達の多い先輩は周りに馬鹿にされ、いつも機嫌が悪くしていた。

「ウチ、こんな傘似合わない。もっとカッコイイ傘がいい」

 その頃から僕は氷川先輩に憧れていた。内向的だった僕だけにでなく、誰にでも笑顔を向けてしまえる人。そんな人が僕の前で愚痴を言っている、僕は子供心になんとかしたいと思い、言ってみた。

「じゃあ……僕の傘と交換する?」

「いいの!? うわーありがとう!」

 そう言って先輩は僕の親が持たせた、シックな藍色の傘を喜んで持って帰った。

 手元に残されたのはキャラクターがついたピンクの傘。当然、馬鹿にされる役も回って来たんだけど、誇らしい気持ちでいっぱいだった。

 だから、これは僕の大切な宝物だった。


「へえ、普通にいい話じゃん」

「ですよね!? ああ……わかってくれますか!」

 言って、嬉しそうに俺の手を握る馬籠。が、途中で我に返り、咳払い。

「と、まあそういうことです」

「なるほど。そこから始まった好意が転じて闇堕ち、思い出の品を依代として昇華させたわけだ」

「言い方、なんとかなりませんか」

 鎌をかけてみたが否定されなかった、やっぱり馬籠の決意は茜関連で間違いなさそうだ。

 依代は傘、どのような能力を持っているかは、さすがに読めない。

 だが図らずとも勝利すれば、馬籠が茜へ執着することはなくなりそうだ。口約束の”言うことを聞かせる”必要もない。

 馬籠は茜に恋をした事実を失う。茜への好意を失った馬籠へと、生まれ変わるということ。

 ……それは、とても恐ろしいことだ。

 同じ気持ちを抱えて明日を迎えられないということは、今日の自分が死を迎えることと変わらない。翌日、すべてを忘れて目覚める自分は、今日の先にある自分ではない。能力者の敗北とはそういうものだ。

「ヒトの心に闇は馴染まない。世界に定義された刻から、滅びの道を歩んでいるのだ」

 ハデスの声が心に響く。

「主は成就の可能性がある。だが、世界から見れば決意の成就とは闇の肯定、世界の修正力さえ相手にすると云う事」

 うるせえ、俺は負けないからな。

「心意気は買う。善戦するがいい、主よ」

 不敵な微笑。

 なにが心意気は買う、だよ。生意気な。

 お前の言いたいことはわかってる。応援も期待もするが、成就をハナから信じていない。

 根拠はないが、闇の決意を管理するヤツの言うことだ。……気にはかかる。

 それでも負けることは許されない。

 少なくとも、婚姻届に香織のサインをさせるまで。それが叶わなければ、ざくろはまた香織の奴隷に戻る。


「そろそろ、始めるか」

 所詮、決闘とは自我の押し付け合い。自分の気持ちが硬いときにこそ戦うべき。

 こちらの気配を察したのか、馬籠の表情が引き締まる。

「……不意打ち、とかしないんですね」

「普通はする。でも、今回は場が整い過ぎた」

 対面時は後ろに茜がいた。

 馬籠は初戦にもかかわらず、正確にルールを把握し、賭けまで発生した。いまさらの不意打ちはナンセンス。

「ハンデですか?」

「まさか。ハンデも手加減もしない」

「思い切り、叩きのめしてやるということですね」

「別に。決闘なんて、したくてするもんじゃない」

 本音。どちらかが失うだけの戦いに、楽しみなんてない。けど馬籠はその言葉に不意を突かれたようだ。

「本当ですか? 僕は、これから起こることが楽しみです」

「意外だな」

「先輩こそ、本当は戦いたいでしょう? 僕みたいな後輩に好き放題言われて、仕返しのひとつもしてやりたいって思うのが、普通じゃないですか?」

「そんなことないぞ。マゴちゃんは風紀委員、いつも頑張ってて素直に偉いと思ってるよ」

「であれば、もう少し真面目に登校して欲しいものですが」

「俺にも俺の事情ってのがあるんだよ、悪いけどね」

「そうですか、では仕方ないですね。黒田先輩には膝をついてもらい、僕の言う通りにしてもらいますよ」

「……言うじゃん」

 不覚にも口端が上がる。

 あまりに面白いことを言うものだから、俺も少し口を滑らせてしまう。

「じゃあさ、俺がもし――いまから謝って、明日から真面目に登校する。茜と関わるのやめると言ったとして、さ」

 冬の夜は長い。すなわち暗闇がこの世界に長く存在できる季節。

「闇を抱えた者同士の決闘さえ、絶対ではないとしたら」

 朝を迎え、ニグリが振り払われる頃。同時に一つの決意アルケーがこの世から姿を消していく。

「マゴちゃんは俺との決闘デュラム、やめられるか?」

 常人が目視出来ない、漆黒の世界の中で――

「そんなの……無理に、決まってます!」

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