1-3 氷川茜

 教室の扉を開け放つ。

 少しばかりの空席と、名前も知らないクラスメートの視線。乾いた教室の空気と、どこかよそよそしい異様な光景。

 ……ん、おかしいな。俺の知ってる3年B組は、もうちょっと談笑に満ちた、和やかな場所だったはずだけど? おまけに予鈴前だというのに、みんな机にかじりついている。これはどういうことだ?

 手前の生徒の机に置いてあるのは、赤い辞書のようなモノと大量の単語帳。ああ……そういうことか。

 受験シーズン。

 一ヶ月前(か、どうかは定かではない)に登校した時とはうってかわり、クラスメートの大半は立派な受験生へと変貌していた。

 その光景は少しずつ教室に浸透していったのかもしれないが、ぶつ切り状態で学校へ来ていた俺には、突然にも思える変化だ。

 やってくる最期の審判に向け、少しでもいい結果を出そうとみんな必死だ。邪魔にならないよう、静かに自分の席へ向かうと……知らない顔が俺の席に座っている。

 名前を知らないので呼びかけられずにいると、座っていた男子が俺に気付き「こないだ席替えしたから、黒田の席はあっち」と教えてくれる。

 席の場所と俺の名前を覚えててくれたことに礼を言う。でも彼から見たら悪目立ちする不登校の生徒だ、名前くらいは知ってるか。俺が善良なクラスメート三十人全員を、並列に見るのとは違う。

 言われた席に向かうと、確かに俺が置きっぱにしていた教科書たちが眠っている。これを移動させた人はさぞ重くてつらかったろう、どうもお手数おかけしました。

 さて、それじゃ昼休みまでひと眠りしますか、社長の呼び出しはいつ入るかわからない。そのために寝れる時はしっかり寝溜めしておかないと。

 机に突っ伏し、意識のスイッチを落と――そうとした瞬間、椅子を蹴っ飛ばされる。

 寝ぼけ眼で顔を上げると、そこには予想通りの顔。

「ちょっと、剣一。ウチになんか言うことない?」

 眉を吊り上げた、見慣れた……あかねの顔。

「椅子は蹴飛ばすもんじゃないぞ」

「はっ倒すわよ」

「女が押し倒すなんて言うな、そういうのは嫌いじゃないけど」

 腕を組んで立つ女生徒の額に、青筋が浮かび上がる。

「難聴にでもなったの? 耳元で大声で怒鳴るから」

「それは周りの受験生たちに悪いからやめた方がいいぞ」

「……はあ、呆れる。馬の耳になんとかね」

 隣の椅子を引き、ため息を一つ。

 ハーフアップに纏められたココアブラウンの髪を後ろに払い、頬杖を突く。

「匙投げんな。ごめん、マジでわからん」

「イベント」

「ん?」

「サンマのイベント。せっかく期間限定の高難易度クエスト来たのに、なんで全然ログインしないのよ」

「え、そんなのあったのか」

「あったわよ。珍しく歯ごたえのあるイベだったのに、剣一がマルチの招待無視するから雑魚と組まなきゃいけなかったのよ!? もっと周回する予定が全部パーになったじゃんか!」

「茜、計画というのは常に最悪を想定して立てないとだな」

「これ以上舐めた口きくと、ノート移させてやんないかんね」

「申し訳ない、ジュースでもなんでも奢ります」

「ジュースなんてシケたこというんじゃないの。そーね、焼肉だったら許さないでもないわ」

「……ま、いいよ」

「え、ウソ。ほんとにいいの!?」

 俺の側に体を乗り出して、天から降ってきた焼肉に目を輝かす。

 いくら茜とは言え、目鼻立ちの整った顔にここまで接近されると、さすがに照れが混じる。

「よっしゃ、言質げんち取ったかんね。今年中にはよろしく」

「タイミング合えばな」

「優柔不断はイリマセン、剣一がウチに合わすのよ」

「はいはい」

「ハイは一回」

「とりま始業まで時間あるし、デイリーもかねて一回マルチ付き合って」

「さすが大学推薦のお姫様は余裕があるねえ」

「ま、風紀委員長とか、成績上位くらいは取ってたしね。最後に楽するの目的で頑張ったんだから、それくらい当然よ」

「相変わらずの効率こうりつちゅうだな」

「あたぼーよ」

 胸を張ってしたり顔。

 ボリュームのある胸を、横目でガン見。厚手の冬服でなければ、もう二十点くらいはあげたくなる。

 そんな茜は腰掛けた隣の机から、一限目の教科書とノートを取り出している。なにも言わないが席替え後の自席なんだろう、それくらいわかる。だって俺と茜は三年間同じクラスで、席が離れたことは一度もないのだから。


 氷川ひかわあかね

 高校に入ってからの腐れ縁。きっかけは”サンマ”こと”査問マギア”というスマホRPGゲームだ。

 ゲーム自体は検事や弁護士の属性を与えられた召喚獣を従え、事件を解明していくといった謎コンセプトのゲームだ。だが、なかなかどうしてシナリオが面白い。たまに極端にギャグに走ったりもするのだが、毎回一定以上のクオリティを見せるので一部の固定ファンに支えられている。強いて言うなら謎過ぎるので新規のプレイヤーがなかなか増えないところか。

 そんなマイナーに部類されるゲームだが、休憩時間に俺がサンマをプレイしていたところ「黒田君、サンマやってんの!?」とだいぶ食い気味に話しかけられたことが発端だ。

 女友達などいなかった当時の俺は、キョドった。「まさか、氷川さんも……?」なんて返したのだが、いまでも「あん時のまさか、ってなによ」と揚げ足を取られ続けている。

 だって、しょうがない。氷川茜はクラスの中でも、スクールカースト上位のクラスメートだ。

 容姿端麗、文武両道。明け透けのない性格で、誰とでも仲良くやれるテンプレ勝ち組。その茜がサンマをプレーしてるだけで、そこまで食いつくなんて思うわけがない。

 でも、同志としてならわかる。

 サンマは確かにマイナーだ。だがそんな隠れ神ゲーだからこそ、同志を見つけた時の喜びは計り知れない。しかもこのゲームはやり込めばやり込むほど、ゲームバランスの完成度にも気づかされる。しかもプレーヤーランクが100を超えると、その面白さはさらに倍増する。だから俺は試しにその時、聞いてやったんだ。

「プレイヤーランク100まで行くともっと面白くなるよ。よかったらそこまで頑張ってみなよ?」

 この質問は暗に俺は100まで行っている、お前はどうだ? の意味を含んでいる。茜はその質問に瞳に蒼い炎を輝かすことで応えた。それがすべての答えだ。

 あとから知ったことだが茜はプレイヤーランク180で、俺より20も上だった。廃人乙。

 俺と茜はサンマを通して、休み時間によく話すようになった。それを見た他の男子生徒も「俺も始めたんだ~!」と後を絶たずやってきたが、長続きするヤツはいなかった。

 百の周回が前提のイベントクエスト、小数点以下のドロップ率を上げるための手段の研究、暗記した攻撃力計算式。誰一人ついて来ようとするクラスメートはおらず、結局サンマ仲間を増やすことはできなかった。

 あれから二年経つが、茜はいまも現役の上位プレイヤー。一方、俺は仕事を始めてから中の上くらいだ。茜としては自分について来ない俺が気に食わないらしく、なにかとあれば俺をサンマ沼に引きずり戻そうとしている、らしい。

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