1-2 冥王にとり憑かれても、幸せだが?

 気づけばアパートは目の前だ。自分の住む二〇一号の窓からは灯りが零れている。……先に寝ろって言ってるのに。

 嬉しい反面、厳命に逆らったので甘い顔はしない。

「ただいま」

「おかえりなさいっ」

 玄関に入るや否や、胸元に飛び込んでくるざくろ。

「おい、今日は臭うからやめとけ」

「いいのいいの、剣ちゃんの匂い好きだから」

「違う、今日はゴミ清掃だったんだ」

「ほんとだ! 剣ちゃんからゴミの匂いがする~」

「どういう意味だ、こら」

 まとわりつく小動物の肩を抑え、少し距離を置く。

「剣ちゃん、剣ちゃん。今日は剣ちゃんの好きなカレーだよ!」

 長い前髪から覗く目を瞬かせながら、さも得意げに言う。

「お、やった。いつもありがとな、でも早く寝なかったから減点イチだ」

「えーなにそれぇ! じゃあ剣ちゃんには食べさせてあげない!」

「ざけんな、カレーを目の前にして引き下がれるか」

「じゃあ減点はなし! 代わりに百点をあげなさい」

「百点かあ」

「……なによう。せっかく剣ちゃんと一緒に食べようと思って起きてたのに、怒ってるの?」

「違う、プラス千点にしようか二千点にしようか迷ってたとこだ」

「きゃー剣ちゃん、だいすきぃ」

「こら、だからくっつくな」

 ダメだった、俺はどこまでもざくろに甘い。

 はしゃぐざくろをたしなめ、俺は靴を脱ぎ、その足ですぐ風呂へ入る。

 熱いシャワーを浴び、今日一日の汚れを落とす。外でばい菌をもらってきてるかもしれない、あまり表に出ないざくろが風邪にかかったら百パーセント俺のせいだ。……今日に関しては手遅れかもしれないが。

 脱衣所に戻ると、出し忘れたはずの着替えがちょこんと置いてある。綻ぶ口元を抑え、用意されたパジャマに袖を通す。

 髪をドライヤーで梳かして居間に戻ると、ざくろがこたつに足を突っ込んで待っていた。

 卓上には、カレーに福神漬け、ミニサラダ。

 俺の舌はいつまでも大人にならない。だからざくろもハンバーグとか、オムライスなんかをよく作る。

「剣ちゃん、今日も一日お疲れ様」

「ああ、ざくろも家を守ってくれててありがとな」

「いえいえ~鮎華あゆかさんにも、しっかり剣ちゃんのお守をするように言われてますから」

「ち、母様め。いつまでも俺をガキ扱いしやがって」

「こら、剣ちゃん。鮎華さんにそんなこと言ってはいけません。あとハイは一回!」

「まだなにも言ってねえよ」

「先回りしたのっ。いっつも剣ちゃん二回言うんだから」

 子供を叱るように言うざくろ。母様の真似ではないだろうから、テレビの受け売りか。

 婚約してからというものの、母様はすっかり俺よりもざくろラブだ。頻繁にメッセージも送り合っているらしい。……若干、いやかなりのジェラシーを感じる。

 連絡手段となっている中古タブレットは、値段以上の働きをしてくれた。母様の連絡以外にも、レシピアプリでざくろのレパートリーが広がり、食卓をより華やかにした。

 居間にあるテレビは会話中もつけっぱなし、寝る時以外は消さない。ざくろが住み始めてからの、黒田家の決まり。テレビをつけていれば情報は勝手に入ってくる。そうやって外への興味を少しでも広げようという作戦だ。

 ざくろは……明るくなった。二年前とは別人と言ってもいいくらい。バラエティを好んで見てたせいか、明るくなり過ぎた気もするけど。

「剣ちゃん、学校の方は大丈夫なの」

「たぶん」

「たぶんってなに。わたしを学校に行かせるために、剣ちゃんが留年するなんてダメだよ?」

「その辺は……まあ、大丈夫だろ」

「また、てきとー言うんだから」

「てきとーなんかじゃない。ちゃんと出席日数は見てるし」

「ほんとかなぁ」

 疑わしげな眼でカレーを頬張っている。少し膨れた頬は血色の良い、もちっとした綺麗な肌色。

「ざくろはそういうこと気にしなくていいんだ、家だけ見ててくれれば」

「また子ども扱いしてっ。わたしはもうジェイケーにもなれる歳なんだよ?」

「でも、まだパンピーだ。来年こそ立派なジェイケーなりたいんだろ?」

「それは、そうだけど」

「だったら楽しみに待ってろ。そのために俺、がんばるからさ」

「……うん」

 首をすくめて、前髪で表情を隠しながらも、慎まやかに笑う。その笑みには、やがて来る希望に溢れている。

 ざくろはもう普通の女の子だ。これまでみたいに卒業証書が郵送で届くようなことはない。教科書代や授業料を渋ったりも踏み倒したりもしない。ざくろに胸を張って学校へ行かせてやる。

 そしてそれは来年、実現する。絶対に実現させてやる。

 周りよりも一つ年上かもしれないけど、いまのざくろならちゃんと友達が作れる。それだけは絶対に信じられた。

「わたしも、茜さんみたいないけてるジェイケーになれるかな」

「……茜、か」

「いいよね、剣ちゃん。茜さんみたいなステキな人と三年間も同じクラスなんて」

「そんなにいいことはないさ」

「またまた、そうやって~。わたし、また茜さんに会いたいな」

「タイミングが良かったらな」

「それ、前も聞いたよ」

「タイミングが合わないんだろ」

「なにそれぇ、優柔不断なオトコはモテませんよ?」

「お前は俺にモテて欲しいのか」

「うん! そしたら自慢できるじゃん。こんなにモテるオトコがわたしの旦那です、って!」

「ばかやろう、そんな恥ずかしいこと絶対すんな」

「へっへ~剣ちゃん恥ずかしいの? わたしのこと絶対に幸せにするって言ったくせに~」

「おい、やめろ」

「剣ちゃん、変なとこで恥ずかしがりなんだから」

「からかうお前だって、顔真っ赤だぞ」

「いいの~恥ずかしいと、嬉しいは、一緒でもいいんだからっ」

「……バカ」

 ほんっと、いい性格に育ってしまった。嬉しい誤算だ。

 誰にでも愛される、可愛らしい女の子。

 あと、ざくろに必要なのは社会経験くらいだ。

 学校に行ったり、友達を見つけたり、アルバイトをしたりして。そうして立派な大人になるだろう。

 その時こそ、俺は――

「剣ちゃん」

 スプーンを置いたざくろは潤んだ瞳を向け、たどたどしく言う。

「隣に座っても、いいかな?」

 会話の流れをぶつ切りにした、空気の変化。時折口にする、甘えた言葉。

「いいけど、今日はゲームやんないぞ」

 テレビに接続されてるゲーム機に目を向ける。

「ゲームは……別にいいよ」

「ちょっと今日は疲れてていつもより眠いんだ、明日学校にも行こうと思ってる。出席、実はヤバいし」

「そっか。そうだよね。剣ちゃん遅くまで働いてたんだもんね」

「ああ、だから今日はさっさと寝るよ」

「うん。わたし食器片づけておくね」

「悪い。いつもありがとな」

「ううん」

 首を振り、食器を重ねてキッチンに戻るざくろ。

 俺は布団の敷かれた寝室に入り、少しばかり遠退いた眠気を手繰り寄せる。

 壁越しには機械的に流れる水道の音。壁一つだけ挟んだ、世界で一番近くにいる存在。

 社長に呼ばれては仕事に駆り出され、惰性で通う高校生活。加えて道端で能力者と合えば、決意を賭けて戦う日々。負ければ俺とざくろの生活は壊れる。

 それをひたすら、二年繰り返してきた。だが、その生活もようやく節目を迎える。

 ざくろの母親、香織へ支払う金額の七百万円まで残り五十万。 

 支払いを終えれば俺とざくろは結婚ができる。稼ぎの進捗的には卒業と同じくらいに七百万円が揃うだろう。

 卒業したらいまの仕事から足を洗い、一般の企業へと就職するつもりだ。いままでは香織とざくろを引き離すために、駆け足で金を集める必要があった。だが、結納後は生活費とざくろの学費だけ稼げれば十分。グレーな仕事に足を突っ込む必要はない。

 ――香織からの親権喪失。それが目標の第一段階。

 いつか俺の決意は成就を迎える。

 少なくともざくろが高校を卒業するまで。だから最低でも四年、長ければ十年以上かかるだろう。

 決闘にも、世界の運命にも負けない。

 でも、必ず成し遂げる。

 本当にざくろがすべてから解放されるためには。

 暗い寝室に差し込むのは、二年前と変わらない月明り。

 そして俺が背にする壁は、二年前に決意を抱えた時と同じ場所。

 俺はあの時から、なにも変わっていない。

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