1章 どいつもこいつもストーカー

1-1 二年の経過

「起きろ、黒田」

「……あ、すいません。着きましたか」

 運転席から胴間声、軽トラックのエンジン音。

「ったく、先輩に運転させて自分はお昼寝かよ。偉くなったもんだな」

 浅黒い肌のホームベース顔が嫌味を吐く。今日のパートナーだった武田たけだだ。

 年齢は三十を越えてるいいオッサンだ。犯罪歴があるらしく、まともな職に就けないためこの仕事をしているらしい。

「ほら黒田、今日の取り分だ」

 なにも書かれていない茶封筒を手渡される。中身を確認するが予想通り一枚足りない。駄目元で一応聞く。

「社長に聞いた金額より、少ないんですが」

「おいおい、こちとら往復で四時間も運転してんだ。そのくらいもらったってバチ当たんねえだろ?」

 今日は県外での特殊清掃。都内から高速で二県跨ぐため、武田に運転を任せて眠っていた。その間に俺の封筒から一枚抜いたらしい。

「……はあ、わかりました。いいですよ」

「ため息は余計だ」

 武田は当前、と言った顔で封筒を胸に押し付ける。

 クソ、これだからこいつとは仕事をしたくないんだ。毎度理由をつけて俺の取り分を減らそうとする。

「ほら、取るもん取ったらさっさと降りろ。いまから車返しに行くんだからよ」

 運転できるヤツはそんなに偉いのか――言葉を呑み込んで、車を降りる。

 武田は乱暴にドアを閉め、寝静まった町を走り去る。間延びする排気音を耳に、ポケットに封筒を突っ込んでアパートへの道を歩く。

 もう十八歳になったので免許は取れるが、取るための金も時間もない。

 スマホを開く、午前零時半。

 あと一週間で十一月も終わり、そろそろパーカーだけの生活も辛くなってきた。

 いまから帰って寝れば、明日は学校に行けるだろうか。出席日数が微妙だからできれば登校したい。無論、いまから社長に呼び出される可能性もあるんだけど。

 俺はいつでも扱き使える黒田くろだ剣一けんいち、だからこそ学生とは言えど大人と同等の給金をもらえている。

 俺の働き先は表向き、引っ越しや運送業を営む会社だが、実際は社長のヤクザなコネを使ったなんでも屋だ。

 よくあるのは夜逃げ手伝いや、探偵の真似事など。

 今日の仕事は特殊清掃。とはいっても今回はホトケさんの後片付けではなく、ゴミ屋敷だった。

 通常、ゴミ屋敷の清掃は少なくとも三日はかかる、だが今日の依頼人はワンルームマンションで、かつ捨てることに抵抗が少なかったため当日で片付いた。要は自分で片づけるのが面倒だっただけだ。

 俺たちにとってありがたいお客様だ。掃除に金を払う感覚は理解できないが、そのおかげで仕事は成り立っている。

 ただ意外だったのは――相手がだったことか。

 ふと、電信柱を背に眠りこけているスーツの男が目に入った。往来で大股開きに座り、バッグを横倒しにしながらいびきをかいている。

 醜い大人、そして腐った世の中を象徴する姿。

「現世も業が深いものだな」

 意識の外にいたハデスが、酔い潰れた彼を見て言う。

「あんな風に泥酔してるのは、別に彼が悪いわけじゃないだろ」

「ほう、あるじ彼奴きゃつの行動の意味がせるのか?」

「解せないさ。でも彼をあんな風にさせたのは……世の中のせいだろ」

 ここで眠りこけている彼自身はなにも悪くない。よく見れば大人とはいえ、俺と年齢はさほど変わらないように見える。大学を卒業したばかりの新入社員といったところか。彼をこの時間に、ここまで泥酔させてしまうことにこそ社会の闇がある。

 仕事を始めてから色々な人を見てきた。

 家族に暴力を振るわれた人、過酷な労働を強いられる人、愛する人に裏切られた人。社会を憎んで復讐した人。

 誰もが被害者でありながら、被害者のままではいたくない。その気持ちは被害者を、不器用な加害者へと変貌させる。

 暴力に耐える心は正義、逆境からの返り咲きは美しい、軽い愛こそが世の真理。そんな歪んだ良心を他人に押し付けて、世の中は成り立っている。

 そんな世界にいれば誰だって壊れる。スーツの彼がどういう経緯でそこにいるかはわからない。だが自制できない理由は必ずある。

「ほら、起きてください」

 膝を曲げ、彼の背中を揺する。手を振り払われ、顔を俯けたまま動かない。

「このまま寝てると、財布パクられますよ」

 そう言われるとパタパタと自分のポケットを叩きだす。傍らに転がっているバッグを引き寄せ、財布が残ってることを確認すると、なにも言わず千鳥足で去っていく。

「主の行動に、意味はあったのか」

「さあ」

 ままならない世の中。だがどんなに不満を垂れようと、結局その中で生きていくしかない。

 俺だって大人にいいように使われる子供だし、社会の隙間をターゲットにした社長から金をもらっている。

 それに加担する一人ひとりは悪とは呼ばないだろう。だがその集合体となった社会を、果たして善とは呼んでいいものか。

「若くして現世を嘆くか、主よ」

 白塗りの表情に、嗤いが浮かぶ。

「嘆くなんて、そんな大層なもんじゃない」

「感情の度合いに大も小もない。考えに至れば其れは貴様の物だ」

 俺の煮え切らない感情と反比例するように、ハデスの言葉はやや浮ついている。冥王とはいえ、その辺はやたらと人間臭い。

「主との付き合いも長くなったな」

「初めてハデスに会ってから二年。契約を交わして一年半……くらいか? 気味の悪い顔にも慣れるもんだな」

「は――変わらずに向ける不敬な言葉も、今となれば鈴音に勝る心地良さ」

「悪趣味」

 宙に浮き、守護霊のように張り付く冥界の王。

 その姿は俺以外に見えず、声を出さなくても通じ合える。

 もちろん嬉しくはない。ビジュアル系の怪物に憑かれて、喜ぶほど酔狂じゃない。どうせなら見た目を巨乳の美女に替えてくれればよかったのに。

「けど、まさか今日の依頼人も能力者だとはね」

「世には数多くの能力者がいる。ましてや主の稼業であれば闇を抱えた者との交わりも多い。必然に能力者の可能性は高いと云えよう」

「とは言っても今年に入って五人目だ、さすがに多いんじゃないか」

「度し難き事に闇を抱える者は年々、その数を増すばかり。だからこそ余がこうして現世に赴いているのではないか」

「お疲れさん」

「主には感謝している。二年も決意を維持できるとは」

「舐めんな?」

 褒められて悪い気はしない。

 勝つことになんのメリットもないが、男にとって勝つというのは胸を張れること。母様からもそう教わっている。


 ニグリ決意アルケー

 人は自らの内に歪んだ決意・根源となる感情を芽生えさせた時、段階的に人の道を踏み外し、いつしか世全体に害を齎す。

 世界せかいはそれを望まない。故に世界に自浄作用が働き、決意を失う運命を与えるという。

 しかし、決意を発露させる者は年々増加し、失う運命も即日には与えられない。そのため冥王が現界に赴き、決意を消滅させるシステムを構築した。

 能力スキルの付与。

 闇に魅入られ、決意を心に宿した者は冥王に能力を与えられる。

 しかし与えられた能力には、現実を捻じ曲げる効果を持たない。では、能力とはなにか。

 能力は能力者にしか作用しない。そして能力者同士が出会うと、互いが能力者であることに必然と気付く。対面した能力者同士は本能的に勝敗を決することを望み、敗者は決意を失う。それがハデスの言う決闘デュラムによる浄化カタルシスだ。

 要は決意を賭けたサバイバルゲーム。だが、新しい能力者は現れるので勝利によるゲームの終わりは来ない。あるとすれば抱える決意の成就だ。そして俺がいまも決意を維持しているということは、この二年負けなしということだ。


「二年も決意を維持出来る者は、先ずいない。主は万人に一人の逸材と云えよう」

「任せろ」

 口ではそう答える。だが、勝ち続けるのはあくまで維持で、プラスはなにもない。

 当人からすればニグリ決意アルケーは、正義だ。

 自分が正しいと信じたからこそ、胸に発露した。

 だが、その思いは害を齎すと世界に定められ、喪失と決闘の運命を背負わされる。決闘の勝利とはただの現状維持で、能力を与えられるメリットは一つもない。強制的に失う可能性を与えられただけ。

 自分の正義が奪われるなんて、許せるはずもない。だから負けるわけにはいかない――そうやって俺は他者の決意を奪い続けてきた。

「主の決意は維持型ではなく、達成型。成就によって失われる刻まで、この縁が続くと良いが」

「負けねえよ、俺は。……必ず、果たしてやるから」

「期待している」

 会話に満足したのか、ハデスは靄のように姿を消す。

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