34 わたくしの呼び名を、ご存知ですか?


「ギ、ギズにゆだねたのは、わたくしの宝飾品です!」


「――は?」

 アドルがフェリエナにふれる寸前で、止まる。


「わ、わたくしが実家から持ってきた宝飾品を売ったお金で水車を修理しました! 取り寄せたパタタの代金もわたくしが……っ!」


「なぜそんなことを!?」


 告げた瞬間、硬直していたアドルの時間が動き出す。

 群青の瞳に浮かんだ困惑を、怒りで塗りつぶしたアドルが怒鳴る。


「持参金のみならず、貴女あなた個人のお金にまで手をつけるなど……! 許されるはずがないっ!」


 えるように怒鳴られ、息を飲む。

 だが、フェリエナはありったけの意志の力を振り絞ってアドルを見上げた。


「アドル様はそうおっしゃられるだろうと確信していました! ですから、ギズにゆだねたのです! ヴェルブルク領のために使ってほしいと!」


「貴女個人のお金にまで手をつける気はありません! ギズも何を考えて引き受け――」



「――手をつけた分の持参金を補填ほてんしなければ、離縁できないからですか?」



 発した声は、フェリエナ自身が驚くほど、冷え冷えとしていた。


「だから、本当はまだ修理しなければならない所があるのに、最低限、必要な分だけ持参金を使って、後は手をつけぬままにしてらっしゃるのでしょう?」


「それ、は……」

 アドルの眼差しが揺れる。


 肯定したも同じの仕草に、胸の奥で、かっ、と怒りの炎が燃え上がる。

 激情のままに、フェリエナはアドルを睨みつけた。


「いずれ離縁されるとしても、ヴェルブルク領の現在の領主夫人はわたくしです! ならば、わたくし個人のお金を領民のために使っても、何ら問題はございませんでしょう!?」


「大ありです! 何を考えているんですか!? 返せる当てなどないというのに……!」


「返していただく必要など、ございません」


 きっぱり言い切ると、アドルが目をむいた。

「そんなわけにはいきません!」


 生真面目に言い募るアドルの言葉を振り払うように、フェリエナは激しくかぶりを振る。


 胸の奥が、ひどく痛い。

 アドルが反対すると確信した上で、あえてフェリエナはギズに話をもちかけた。アドルを罠にはめたも同然だ。


 それも全て――。


「アドル様。わたくしがネーデルラントで何と渾名あだなされていたか、ご存知の上で求婚してくださったのですか?」


「……え?」

 突然の話題の転換に、アドルがほうけた声を出す。


 呆気あっけに取られた声に、アドルは知らずに求婚したのだと確信する。


 でなければ、いくら持参金が高かろうと、こんな忌まれた娘など。


「アドル様がご存知なのは、令嬢にふさわしくないこの手のことだけでしたのね」


 告げる声が、自分のものではないように、冷たく響く。

 床についていた右手を、アドルの眼前に突きつけ。


「わたくしは、ネーデルラントでは『修道女殺し』とさげすまれていたのです。この手の傷は、その時のものですわ」

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