31 貴女と二人で、出かけたら


「傷がふさがってきましたね」


 フェリエナが花のような笑顔を青年に向けるのを、アドルは鞄から包帯を出しながら眺めていた。


 ヴェルブルク領に賊が出てから約二十日。賊はいまだ捕まっていないが、四日と空けず、アドルとフェリエナは賊に襲われて怪我をした青年の傷の具合をに来ている。


 フェリエナの微笑みを目の当たりにした青年の顔が、れた林檎りんごのように真っ赤になる。


「本当にありがとうございます! 奥方様は、俺の命の恩人です!」

 意気込んで言う青年に、フェリエナがくすくす笑う。


「大げさです。傷の治りが早いのは、若くて体力があるからで、わたくしのおかげなどではありません。さあ、包帯も巻いてしまいましょう」


「包帯なら、わたしが巻きましょう。わたしの方が手慣れています。貴女は先に手を洗っていてください」


「アドル様、いつもありがとうございます」

 アドルの感情に気づいた様子もなく、フェリエナが無邪気に礼を言う。


 決して、フェリエナに気づかれるわけにはいかない。


 たとえ手当のためであろうと、フェリエナが他の男の素肌にふれるのを見たくないなど。


「では、先に外の井戸で手を洗ってまいります」

 フェリエナが頭を下げて出て行くのを見送ってから、アドルは青年に向き直る。


「ご、ご領主様にも、ご迷惑をおかけして、誠に申し訳ございません……」


 青年が軽く頭を下げて詫びる。本当はもっと深く下げたいのだろうが、傷に障るのだろう。若々しい顔は、怪我のせいではなく、微妙に青い。

 アドルは一つ吐息して、できるだけ穏やかな声を出す。


「お前が謝ることは何もない。領主として、領民を守るのは当然のことだろう」


「で、ですが、ご領主様夫妻にわざわざ手当に来ていただくなど……」


「……フェリエナが、一度診た者を途中で放りだすことなどありえんのは、最初からわかっていたことだ。心配するな。動けるようになれば、お前の方から城へ来てもらう」


「そ、それはもちろん、お許しいただけるのでしたら……」


 顔を強張らせている青年は、自分がアドルの不興を買っていると、うすうす気づいているらしい。


 包帯を巻き終えたアドルは、怪我をしていないほうの肩をぽんと叩く。


「別に、お前に負の感情を抱いているのではない。……怒っているのだとしたら、わたし自身にだ」


「え?」

 青年の声に、沈黙だけを返し、立ち上がる。


「見送りは不要だ。ゆっくり養生しろ。四日後に、また様子を見に来る」


「は、はいっ。ありがとうございます……!」

 礼を言う青年に一つ頷きを返し、フェリエナの鞄を持って外へ出る。


 戸外へ出た途端、アドルは陽光のまぶしさに目を細めた。

 八月の午前の光が、短い夏を惜しむかのように、木々をあざやかに照らしている。


 歩くアドルを見た村人達が、笑顔で挨拶を送ってくる。中には、畑の隅に植えたパタタの芽が出たと、笑顔で報告してくれる村人もいた。

 襲われた荷車に載せられていたフェリエナがネーデルラントから新たに取り寄せたパタタは、希望する村人達に配り、畑の隅に植えてもらっている。


 お辞儀をする村人達に笑顔を返しながら向かった先は、村の共同井戸だ。


「アドル様!」

 井戸の所でおかみさん達に囲まれていたフェリエナが、アドルの姿を見とめた途端、小走りに駆けてくる。


「すみません。鞄をいただきます」

 アドルが渡した鞄の中から、薬草の束を一つ掴んだフェリエナが、おかみさん達の所へ戻っていく。


「熱があるのなら、これを煎じて飲ませてあげてください。水もこまめに飲ませてあげて……」


 渡されたおかみさんが何度もフェリエナに礼を言っている。

 こんな光景を見るのも、いつものことだ。


 なぜ、ごく自然にこれほど人に優しくできるのか。

 アドルにはフェリエナの心根こころねまぶしすぎて、感嘆と同時に、胸中に苦い想いが湧き上がる。


 彼女の人生を、こんな貧しく辺鄙へんぴなヴェルブルク領で浪費させていいのかと。


 井戸のそばの木に繋いでおいた馬の手綱をほどいていると、フェリエナが小走りにやってきた。


「すみません! お待たせいたしました」

「いいえ、待ってなど。御用はお済みですか?」


「はい。もう大丈夫です」

 頷いたフェリエナを抱き上げ、馬に乗せる。


 いつまでも慣れぬのか、抱き上げるたび、フェリエナが薄く頬を染めるのが愛らしい。

 アドルはフェリエナの後にまたがり、手綱を引いた。

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