29 秀麗な面輪が、不意に近づく
「行商人でもない村人の馬車がなぜ襲われたのか……?
小さな領は基本的に自給自足の生活だ。塩や町でしか手に入らない
賊としても、小麦や薪を狙うより、高価な品を運ぶ行商人を狙った方が効率的だろう。
「意外に荷が残ってますね」
荷台をのぞいたアドルが呟き、ひらりと身軽に荷台に上る。言う通り、荷台にはまだいくつもの布袋が横たわっている。
アドルがその内の一つを開けた。
ごろりと中から出てきたのは。
「パタタ?」
「っ!」
アドルの呟きを耳にした途端、足元が泥沼に変わったように地面にくずおれる。
「フェリエナ!?」
アドルが荷台から飛び降りる。
地面にぺたりと座り込んだフェリエナは、アドルが目の前に膝をついたのにも気づかず、震える声で呟いた。
「わ、わたくしがパタタを取り寄せたせいで……?」
新大陸原産の珍しい植物であるパタタを取り寄せるためには、それなりの金額がかかっている。人によってはこの荷車が宝の山に見える者もいるかもしれない。
全身に冷や水を浴びせられたように震えが止まらない。
と、不意に両手を強く握られる。
「
アドルが強く断言する。
「偶然です! おそらく、目についた荷車を襲っただけでしょう」
「でも……っ」
自分のせいで傷ついた者がいるのだと思うと、心臓が締めつけられる。固く目を閉じたままかぶりを振ると、大きな手に両頬を包まれた。
「落ち着いて。目を開けて、しっかりとわたしを見てください」
心の奥まで響くような深みのある声に、おずおずと目を開ける。
アドルの秀麗な面輪が、すぐ近くでフェリエナを見つめていた。群青の瞳には、いたわるような光が宿っている。
「貴女がパタタを取り寄せたことと、賊に襲われたことは無関係です。そもそも、見た目に惑わされず、パタタの価値を知っている者は、我が領でも一部の者だけです。賊がパタタを狙って荷車を襲ったなど、ありえません」
力強くアドルに断言されると、思わずその言葉に
「アドル様のおっしゃることはわかります。けれど……」
だが、無邪気にアドルの言葉を信じて、自分は無実だと信じることはできない。
アドルが困ったように眉を寄せた。
「それに、
「そんな! それこそ、アドル様のせいではありません!」
反射的に言い返し、アドルの腕を掴もうとして、己の血にまみれた手に気づく。
手伝ってくれたアドルも汚れているが、直接、傷にふれていたフェリエナはアドルの比ではない。手だけではなく、ドレスのあちこちも血で汚れている。
「も、申し訳ございません。アドル様に汚れを……」
弾かれたように手を引っ込めようとすると、アドルが慌てた声を上げた。
「いえ、すみません。わたしそこ、貴女の花の
両頬をはさんでいたアドルの手が離れる。
かと思うと、不意に、秀麗な面輪が近づいた。
「ひゃあっ⁉」
突然、頬を湿ったものに
「な、何を……っ」
「す、すみません。頬を血で汚してしまったので思わず……」
無意識の行動だったのか、アドルがしどろもどろで弁解する。が、だからといってフェリエナの動揺が収まるわけではない。
「こ、このようなこと……」
思わず左手でごしごしと頬をこすってしまい。
「あ」
アドルの声に、さらに顔が血で汚れたのだと知る。
「……他の者が戻ってきたら、先に出て、途中で井戸に寄りましょう。お互い、今の格好では、侍女達を驚かしてしまうでしょうから……」
「は、はい……」
頷いたところで、馬蹄の音が近づいてくる。街道の向こうから駆けてきたのは、ギズと何人かの従者達だ。
「申し訳ございません。追いましたが、賊の姿はどこにも見えず……。逃げられてしまいました」
馬から下りたギズが、申し訳なさそうに頭を下げる。
「ご苦労だった。逃げられたのなら、仕方あるまい。明日にでも、領内に賊が出たと通知を出しておけ。怪我人は手当をして運ばせた、今後も治療が必要だろうから、運んだ者から家の場所などを聞いておけ。あと、荷車は任せたぞ。どうやら城への荷物らしい」
フェリエナのみっともない姿を見せぬためだろう。フェリエナの前に立ったアドルがてきぱきと指示を出す。
「わたしは先に出て、フェリエナと井戸に寄ってから城へ戻る」
「かしこまりました。ですが、日も暮れてまいりました。お二人だけでは危険では?」
眉をひそめたギズに、アドルがきっぱりとかぶりを振る。
「これだけの人数で探して見つからなかったのだ。賊はもう遠くへ逃げてしまっただろう。近くに潜んでいるなどという事態はあるまい。二人で大丈夫だ」
「アドル様がそうおっしゃるのでしたら……」
「では、後は任せたぞ」
近くの木の枝に結びつけていた馬の手綱をほどいたアドルが、
「失礼します」
と、断る間もなく、フェリエナを抱き上げて馬に乗せる。続いてフェリエナの後ろにひらりと
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