28 襲われた荷車で


 フェリエナを乗せ、馬を疾走させていたアドルが手綱を緩めたのは、街道が村外れに差しかかった辺りだった。


 街道といっても、荷車が一台通れるほどの幅の土の道だ。

 フェリエナがこの街道を通ったのは、ヴェルブルク領へ嫁いできた時、一度だけだ。


 近隣諸領と同じく、ヴェルブルク領のような小さな領は、いくつかの村々で構成されている。

 村と村が細い道で結ばれ、さほど広くも豊かでもない耕地が村の周囲にある他は、未墾の鬱蒼うっそうとした森ばかりだ。平地が少なく、丘陵地が多いことも開墾を困難にしているのだと、アドルから聞いた覚えがある。


 茂る木々に両側を挟まれた街道は見通しが悪く、枝葉が夕陽を遮っている分、いっそう陰鬱いんうつに見える。


 アドルより先に城を出たギズの姿は見えない。おそらく賊を追っているのだろう。


 城の従者二人が、荷車に繋がれた馬をなだめようと苦心している。

 御者ぎょしゃ台では、一人の青年が突っ伏していた。


「状況はどうなっている!?」


 みつくように尋ねたアドルが、ひらりと地面に降り立つ。

 アドルが手を出すより早く、フェリエナは滑り落ちるように馬から下りた。たたらを踏んだところを、アドルに支えられる。


「ありがとうございます」

 礼もそこそこに、御者台の青年に駆け寄ろうとして。


 踏み荒らされた草の匂いに混じって届く、血の臭いを嗅いだ途端、身体が凍りつく。


 木々の隙間から差し込む夕陽よりも、なお紅い血。


 全身が、恐怖に震える。

 心の奥からあふれ出す血濡れた記憶に悲鳴を上げそうになり――。


 ばちん!


「フェリエナ!?」

 突然、右手で自分の頬を思い切り平手打ちしたフェリエナに、アドルが目を見開く。


「大丈夫です」

 じんじんと、右頬が痛い。


 自分に言い聞かせるように告げ、今度こそ、御者台の青年に駆け寄る。


「どこを斬られたんですか?」

 御者台に上りながら尋ねる。


「うぅ……」

 口を開こうとした青年が痛みにうめく。

 青年が左手で押さえた右肩から背中にかけて、血でぐっしょりと濡れている。


「わたしも手伝おう。服が邪魔だ。すまんが切るぞ」

 フェリエナの反対側から御者台に乗ったアドルが、短剣を引き抜き、手早く青年の服を切り裂く。


「お前達は馬をつないだら、近くの家から人を運べる板を借りてこい!」

 アドルの指示に、従者達が駆け出す。


 血で貼りついていた服がはがされたとたん、露わになった刀傷を目の当たりにして、フェリエナは息を飲んだ。


 ひるみそうになるのを、唇をんでこらえる。


「すみません。痛いでしょうが、我慢してください」


 清潔な布で血をぬぐい、持ってきた薬を塗る。

 出血は多いが、傷はさほど深くなさそうだ。


 痛みに呻く青年は、はじめ、自分を手当てしてくれているのが、領主夫妻だと気づかなかったらしい。気づいた途端、ぎょっと目を見開く。


「す、すみません……っ。ご領主様だけでなく奥方様にまで……っ」


「何を謝ることがある。傷はそれほど深くない。気をしっかり持て」

 痛みに呻きつつも詫びようとする青年に、アドルが力強く応える。


 青年の顔は血の気が引いて、頬に散った血飛沫の濁った紅が、嫌でも目を引く。


「そうですよ。ちゃんと薬を塗りますから、安心してください」


 青年を励ましながら、アドルに手伝ってもらい、包帯を巻く。

 騎士として怪我には慣れているのか、アドルの手際はフェリエナが感心するほど良い。


「少しは、痛みがましになるかもしれません」


 持ってきた包みの中から、芥子けしの粉で作られた丸薬を、半ば無理やり青年の口へ押し込む。


「すみません。このくらいしかできなくて……」

 簡単な手当てしかできない己の無力さが恨めしい。


「何をおっしゃいます……」

 かぶりを振ろうとして、青年が痛みに呻く。


「申し訳ございません。大切な荷を賊に……」


「荷のことなど気にするな。それより、お前の命があってよかった」

 アドルが心の底から安堵あんどした様子で青年に告げる。


「それより、いったい何があった? 賊など、貧しいこの領には、滅多に出ぬというのに……」


「わかりません。もうすぐ村へ着くというところで、急に襲われまして……」


 青年が答えたところで、従者達が戸板を持って戻ってくる。

 アドルも手伝い、傷にさわらないよう青年をうつぶせに寝かせる。


「ゆっくりと運べ。無理はさせるな」

 従者達がそろそろと青年を運んでいく。それを見送ってから、アドルがフェリエナに向き直り、頭を下げた。


「ありがとうございます。貴重な薬まで使っていただき……」


「とんでもありません。薬は使ってこそのものですもの。アドル様こそ、手伝ってくださってありがとうございました。わたくし一人では、あれほど手早く手当てできませんでした」


 頭を下げると、「礼などいりません」とアドルがかぶりを振る。


「これでも騎士の端くれですから。傷には慣れています。しかし……」


 アドルがいぶかしげに眉を寄せる。

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