26 指先が、融けそうに熱い


「フェリエナ。皆に料理を」


「は、はいっ」

 アドルに促され、我に返ったフェリエナは、慌てて頷いた。


 合図するとメレや城の侍女達が、外に出されたテーブルの上に、大皿を持ってくる。


「百聞は一見に如かずだ。これは全部、パタタを料理したものだ。パタタが我らの恵みとなるかどうか、自分達の舌で確かめてくれ」


 アドルが勧めるものの、料理に手を出す村人は一人もいない。


 アドルが苦笑して、皿の一つに近づいた。以前も食べた、でたパタタにバターを落としたものだ。


「やはり美味いな。ほくほくしていて、栗のようだ」

 つまんだアドルが満足そうに頷く。


「肉と一緒に煮たものや、焼いたものもあるぞ」


 肉という言葉に、何人かが反応する。村人にとっては、肉は年に何度かの祭りの時にしか食べられないご馳走ちそうだ。


「アドル様……。後で、腹が痛くなったりはしないんですか……?」

 おずおずと尋ねた村人の言葉に、アドルは柔らかな苦笑を返す。


「当たり前だ。わたしは以前もパタタを食べたが、悪いことなど、何一つ起こらなかったぞ。そもそも」

 アドルが八月の陽射ひざしよりもまぶしい笑顔で、村人達を見回す。


「ふだん、お前達のために薬を煎じているフェリエナが、身体に悪い物を勧めるはずがないだろう?」


「アドル様のおっしゃる通りだ! フェリエナ様が用意してくださったっていうんなら、あたしゃ、何だっていただきますよ! フェリエナ様は、うちの息子の命の恩人ですからね!」


 尻込みする村人達の中から進み出たのは、みすぼらしい服を着た一人のおかみさんだ。

 顔に見覚えがある。一カ月ほど前、高熱を出した彼女の息子に熱さましの薬を出したはずだ。


 村人達が見守る中、目をつむって「えいやっ」とパタタを口にしたおかみさんは。


「なんだい、こりゃあ! 栗みたいにほくほくしていて、ほんとにおいしいねえ! アドル様のおっしゃる通りだ!」


 目を丸くして歓声を上げる。

 演技とは思えない様子に、興味を引かれた何人かが、


「じゃあ、俺も……」

 と料理をつまみ、


「ほんとだ! こいつは美味い!」


「形からどんな味かと思ってだが、ほっくりと甘いんだな……」

 パタタがおいしいと知った村人達が、料理の皿に寄ってくる。


「皆、食べながらでよいのだが」

 アドルがよく通る声を張り上げる。


「皆に食べてもらっているように、パタタは味もよく、小麦と違って脱穀の必要もない。茹でたり焼いたりするだけでよいため、かまどらん。しかも、一つのパタタから数個の実が採れ、寒さにも強いという。……まあ、見た目が悪いのが難点だが」


 まだ皮を剥いていないパタタを手に苦笑したアドルにつられて、村人達が笑い声を上げる。


「わたしは――」


 パタタを握りしめたアドルの顔が引き締まる。

 痛みをこらえるような、厳しい面差おもざし。


 群青の瞳に固い決意と真摯しんしな想いを乗せ、アドルが告げる。


「わたしはもう、我が領に暮らす者達を、飢えで苦しませたくはない。そのために……皆、パタタを畑の片隅に植えてもらえぬか?」


「こ、これをですかい……?」

 料理を食べていた男の一人が、おそるおそると言った様子で、皿の中のパタタを見やる。


「アドル様がそうおっしゃるのでしたら、植えますが……」


「その、植えても大丈夫なんですかい……? 他の作物が枯れちまったりするなんてことは……?」

 別の村人がおずおずと尋ねる。フェリエナは大きく頷いた。


「もちろん大丈夫です! 畑のそばに植えても、何の悪い影響もありません! パタタはそれほど手をかけなくてもいいので、育てやすいんですよ。何年も同じ畑で植え続けないように気をつけたらいいくらいで……」


 今が好機だと、フェリエナは懸命に訴えかける。


「新しく畑を開墾する必要はありません! 今の畑の片隅に植えてもらえるだけでかまいませんので……!」


「アドル様と奥方様が、そんなにおっしゃるんでしたら……」

「もう、木の皮や根っこを食べないで済むってんなら、喜んで植えますよ!」

 村人達から口々に声が上がる。


「茹でるだけでいいってんなら、うちのかみさんだって、まともに食べられるもんを作るだろうしな!」


「ははっ、そいつはおめえ、かみさんに嫌われてるんだろ!」

 笑い声が上がる。


 どうやら村人達にパタタを受け入れてもらったらしいと実感した途端、安堵のあまり、身体から力が抜ける。


「フェリエナ!?」

 地面にへたり込む寸前で、アドルに支えられる。


「す、すみませんっ。大丈……」


「大丈夫ではないでしょう」

 アドルの呆れ声が降ってきたかと思うと、力強い腕がフェリエナを抱え上げる。


「ひゃ……っ! だ、大丈夫ですから!」


 アドルのたくましい腕に抱き寄せられた夜のことが脳裏によみがえり、フェリエナは下ろされた途端、そそくさと離れた。


「昨日は収穫、今朝は早くから料理と、働きづめでしたでしょう? 疲れたのでは?」


 心配そうに尋ねるアドルに、ぶんぶんとかぶりを振る。

 恥ずかしくてアドルの顔が見られない。


「違うのです。その、パタタを受け入れてもらえたのが嬉しくて、気が緩んで……。ありがとうございます。アドル様がお力添えくださったおかげです」


 声が潤んでいるのが自分でもわかる。泣き出しそうな表情を見られたくなくて顔を背けると、不意に右手を掴まれた。


「いいえ」


 思いがけず強い声に、アドルを振り返る。群青の瞳が、真っ直ぐにフェリエナを見つめていた。


 アドルが包み込むような笑顔を、端麗な面輪に浮かべる。


「わたしの力ではありません。貴女の普段の行いが皆の信頼を得ていたがゆえです。貴女の人徳に他なりませんよ」


 真心を込めて告げられた言葉が、フェリエナの心を打つ。

 熱い塊が喉にせり上がってきて、フェリエナは唇を噛みしめた。


 修道院から実家へ戻って以来、植物の世話に精を出すフェリエナを認めてくれる人など、兄のグスターを除けば、一人としていなかった。


 貴族の令嬢らしくないと……汚らわしい過去を周囲に想起させるような行いなど、やめてしまえと。


 それがまさか、遠く離れた地に嫁いだ先で認められるなんて。


 アドルの前で泣くような真似はすまいと、顔をらす。


(アドル様は、ずるい……)


 本当の妻ではないというのに。「領主の妻」として認めてもらえただけで、天にも昇りそうなほど、舞い上がってしまう。


 少しでもアドルの役に立てたことが嬉しくて……。アドルに認めてもらうためならば、何だってできそうな錯覚に囚われてしまう。


 所詮しょせん、お飾りの妻だということも忘れて。


「おめいただきありがとうございます。領主の妻として、お役に立てて光栄です」


 できるだけ、平坦な声を装って返した途端、右手を掴んでいたアドルの指が、ぴくりと震える。


 思わず、頭一つ高いアドルを見上げると、こちらを見つめる眼差しにぶつかった。

 わずかにすがめた群青の瞳に苦い物が混じっている気がして、ひるみそうになる。


「妻、ですか」

 低い、どこか熱をはらんだ声。


 「妻」と名乗るなど、おこがましかっただろうかとうつむくと。


 するり、とアドルの手が動き、指先がからむ。


 剣だこのある、長い指。甘いしびれが指先から全身をひたしていく気がして、狼狽ろうばいする。


「皆さんに渡す、パタタを分けなくては……」

 絡まる指を外そうと、そっと手を動かす。


 指先が、けそうに熱い。

 手をつないでいるだけなのに、心臓が踊り狂って、泣きそうな気持になる。


 このまま、放さないでいてほしいと。


「すみません」

 アドルがゆっくりと指をほどく。


 ゆったりとした仕草が、まるで名残惜しいと言っているかのように思えて……。


 フェリエナは自惚うぬぼれの強さに、呆れ果てた。

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