15 妻の侍女の心配事


 手をつないだ娘たちが輪になってくるくると踊っている。


 ステップも何もない素朴な踊りは、しかし花が咲いたような娘たちの笑顔と、はじけるような笑い声を見聞きしているだけで、幸せな気持ちになってくる。


 時折、はやしながら、輪を囲んで見ている村人達も、満面の笑顔だ。


「熱心に見過ぎではありませんか」


 アドルの隣へやってきたギズが、葡萄酒ぶどうしゅが入った杯を差し出しながら、低く囁く。


「……領民が楽しんでいる姿を見るのは、心躍るものだろう?」


 ギズを見もせずうそぶくと、「おや」とからかうような声が返ってきた。


「わたくしには、たったお一人をずっと目で追ってらっしゃるように見えましたが」


 アドルは答えずに、杯を傾けて表情を隠す。どうせギズにはお見通しだろうが。


 ギズの指摘通り、アドルの視線が無意識に追ってしまうのは、一人の乙女だ。

 フェリエナだけが高価なドレスを着ているからではない。たとえ、他の娘と変わらぬ質素な服を着ていても、迷うことなく見つけられるだろう。


 はじめ、村娘達に踊りに誘われても遠慮していたフェリエナだが、ぜひにと誘われては断り切れなかったらしい。

 娘達と輪になって踊るフェリエナは咲き誇る花のように輝く笑顔で、年相応のみずみずしさにあふれている。


 婚礼の日は、村人達の誰もが気後れして話しかけさえしなかったことを考えると、ずいぶんと馴染んだものだ。


 明るく響く娘達の笑い声は、周りの空気も華やかに染め上げるようだ。

 まだ踊りの輪に入れぬ子ども達が、周りで互いに手を取り合って跳ね回り、男達は、ある者は葡萄酒を飲みながら、ある者は笑い合いながら、娘達が踊るのを眺めている。


「先ほど」


「うん?」

 アドルと同じく、踊りの輪に目を向けたまま、ギズが口を開く。


「メレに捕まって、尋ねられたことがありまして」


「……何をだ?」

 思わず眉が寄る。


 フェリエナ付きの侍女が、わざわざ主人のいない時を狙って、ギズに尋ねるとは、何事だろう。


 黒雲のように不安が湧き上がる。

 ギズがさりげなくアドルに顔を寄せ、


「夜にだんな様の訪れが一度もないのは、何か事情がおありなのかと」


「ぶふっ!?」

 ちょうど葡萄酒を飲んでいたアドルは激しくむせる。


 何事かとこちらを振り向く村人達に、激しくき込みながら「何でもない」と手を振り返し、


「お前っ、今ここで聞くことじゃ……っ、げほっ、ごほっ!」

 杯を持っていない方の手でギズの襟首えりくびを掴んで締め上げると、


「おやめください。注目の的ですよ」

 涼しい顔のギズにさとされた。反射的に、まだ葡萄酒の入った杯を投げつけたくなったが、


「こぼして一張羅いっちょうらにシミを作っては大損害ですので」

 と、先手を打たれて杯を回収されてしまう。


 自由になった両手でギズのすまし顔を締め上げてやりたい気持ちでいっぱいだったが、さすがに場の空気を乱すわけにもいかない。


 アドルは酔って、親しく談笑している振りを装って、ギズの首に片腕を回して引き寄せる。


「で、お前は何と答えた?」


「苦しいです。加減してください」

「さっさと答えろ! もっと締めるぞ!」

 顔をしかめたギズが、吐息とともに答える。


「わたくしに答えられるわけがございませんでしょう? 「だんな様の御心はわかりかねます」と答えておきましたよ。ああ、それと」

 ギズがさらりと続ける。


「問題はだんな様の側にあるので、奥方様に非があるわけではございません、と」


「……その」

 ギズの首に回した腕をわずかに緩め、小声で問う。


「フェリエナについては、何か言っていたか……?」

 ギズが呆れたように鼻を鳴らした。


「メレが主人について口を滑らせるわけがございませんでしょう? それほど気になられるのでしたら」

 すい、とギズがいましめから頭を抜く。


「ご本人に直接、聞かれたらいかがですか?」


 ギズが向けた視線の先は、ちょうど踊りが終わった輪だ。

 頬を上気させた娘達が、家族や恋人とおぼしき青年の元へ、ちりぢりになっていく。


 村人達の親愛の視線の中、真っ直ぐにアドルの元へ帰ってくるのは、片手で慎ましやかにドレスの裾を持つフェリエナだ。


「すみません、アドル様。わたくし一人が楽しんでしまいました」

 息を弾ませたフェリエナが、アドルの前で立ち止まり、頭を下げる。


 その拍子に、踊りの間もかろうじて髪に引っかかっていた飾りの花の一つが落ちかける。


「花が……」

 反射的に、手を伸ばす。


 柔らかな髪と、絹のような肌ざわりの耳朶じだを指先に感じ。


「も、申し訳ない!」

 炎にふれたように、手を引っ込める。


 偶然とはいえ、ふれてしまった耳たぶがあまりになめらかで。

 汚れた手で美しいものに不用意にふれてしまったような罪悪感を覚える。


 先ほどくちづけの時に知ってしまった唇の柔らかさを思い出し、どうにも落ち着かない。


 息を整えようと薄く開いたフェリエナの唇を、ついまじまじと見つめそうになり、意志の力で視線をらす。


 きっと、ギズに変な話をされたせいだ。

 メレがアドルの訪れがないのを気にしているなど……。フェリエナが侍女を通じて望みを伝えたのではないかと考え、己の愚かさに呆れ返る。


 アドルに都合の良い妄想だ。そんなことが、あるはずがない。

 慎ましいフェリエナの性格だ。腹心の侍女とはいえ、婚礼の夜のアドルの宣言を伝えていないに違いない。おそらく、メレが気を回しただけだろう。


 アドルは意志の力を総動員して、穏やかにフェリエナに笑いかける。


貴女あなたにも楽しんでいただけたのなら、何よりです。華やかな踊りは、見ているこちらの心まで、弾むようでした」


 アドル自身の心臓は、別の理由で騒がしくて仕方がないのだが。


「お二人で広場を回ってこられてはいかがですか?」

 ギズが口をはさむ。親切心で言ったのだろうが、今は余計なお節介でしかない。


「いや、フェリエナも踊ったばかりで疲れているだろう……」

「お気遣いありがとうございます。ですが、わたくしでしたら大丈夫です」

 笑顔で言われては、アドルに断るすべはない。


「では……」

 とアドルが手を差し伸べると、そっと手を重ねたフェリエナがにこりと微笑む。


「わたくし、故郷ではこのようににぎやかなお祭りに参加したことがなくて……。嬉しいです」


 恥じらい混じりの花のような笑顔。

 思わず見惚みほれてしまいそうになり――、


「小さな村の祭りですから、貴女に楽しんでいただけるかはわかりませんが」


 アドルはあえてそっけなく告げると、理性を総動員して視線を逸らせた。

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