14 祝福のくちづけを、あなたに


 どうしたものかと悩んでいる内に、城に一番近い村の入り口に着いた。アドルとフェリエナの姿を見とめた村人達が、笑顔で駆け寄ってくる。

 村人達の笑顔につられたように、ようやくフェリエナの表情も緩み、アドルはほっと安堵した。


 フェリエナと同じく、春を寿ぐ白い服を着ている者もいれば、ふだんの服に一か所だけ、腕や首、頭に白い布を巻いている者も多い。


 フェリエナがサンザシの枝を振り、春の祝福を捧げると、わあ、と集まっていた村人達から、大きな歓声が上がる。


 祝福を受けた村人達は、宴の場である広場に向かう者、馬の後についてくる者とさまざまだ。

 子ども達が笑い声を上げながら、馬の尻尾に飾られた花を取ろうとし、母親に叱られている。


「去年の祭り以上の大歓声です。やはり、春の女神がいると違いますね」


 右へ左へ、サンザシの枝を振りながら、忙しく祝福の言葉を振りまくフェリエナに声をかける。アドル達は、村を一周してから、広場へ向かう段取りだ。


 ヴェルブルク領はいくつかの村で構成されている小さな領だ。とはいえ、他の村まで回る余裕はないため、逆に、他の村からこの村へ祭りを見に来ている者も多い。


 フェリエナが控えめな笑顔を浮かべる。

「わたくしの力ではありませんわ。春の訪れは、誰にとっても喜ばしいことですもの」


 アドルはゆっくりとかぶりを振った。

貴女あなたの人徳ゆえでしょう。ギズから聞いています。病になった村人に、無償で薬をわけてくださっていると」


 きっかけは、城の下男が腹痛を起こした時に、フェリエナが薬をあげたことだった。


 それがどこから広まったのか、翌日には子どもが熱を出したという母親が必死な様子で城を訪ねて来、もちろんフェリエナが母親の願いを断るわけもなく……。


 以来、城には毎日のように薬を求める者がやってきて、フェリエナがせんじた薬を、押しいただくようにもらって帰るようになっている。


 領民達がフェリエナを敬っているさまは、ほんの少し前に嫁いできた花嫁に対するものとは、思えないほどだ。


「わたしからも、感謝します」

 頭を下げると、フェリエナがとんでもないとばかりに、かぶりを振る。髪に飾った花の香りがふわりと広がった。


「わたくしの薬なんて、素人の手遊てすさびみたいなものです。その、村にはお医者様がいないと聞いたので、少しでもお役に立てたらと……」


 フェリエナのいう通り、小さな領には、医者などいない。年老いた産婆がいるくらいだ。フェリエナが領民達に感謝されるのも当然だ。というか。


「農作物ならともかく、わたしには、細かな花の違いなどわかりません」

 情けなさそうに吐息したアドルが面白かったのか、フェリエナがくすくすと笑う。


「よく見れば、すぐにわかりますわ。ほら、アドル様もタンポポはご存知でしょう? タンポポの根は胃の不調に効くんです。あそこに房のように小さい花が咲いている木はニワトコで、風邪に効きます。タンポポに似ていますけれど、あちらの黄色い花はカレンデュラで、火傷やけどなどの傷によく効いて……」


 こと植物に関してだけ、フェリエナは人が変わったように饒舌じょうぜつになる。

 小鳥のさえずりのように可愛らしい声に聞き惚れていると、ふとフェリエナが言葉を止めた。


「申し訳ありません。つまらぬ話を……」

 恐縮するフェリエナに柔らかく笑いかけ、首を横に振る。


「とんでもない。今まで知らなかったことを知るのは、楽しいものです」


 それが、知りたいと想う人の話なら尚更に。とは、心の中だけで呟く。


「よろしければ、また色々と教えてください」

「はいっ」

 フェリエナが嬉しそうに頷いたところで広場に着いた。


 村人達がにぎやかにさざめく中、アドルは広場の中央に造られた木製の台へ馬を進める。城からの布告などを発表する時に使う台だ。


 祭りの主役である春の告げ役を出迎えた村人達の顔は、喜びと期待に輝いている。

 台のところで控えていた城の馬丁が進み出、馬のくつわを取る。

 アドルは鞍から下りると、続こうとするフェリエナの腰に両腕を回し、ふわりと抱き上げた。


「きゃっ!? あのっ」

 フェリエナの可愛らしい悲鳴は、村人達の歓声にかき消される。


 アドルはフェリエナを抱き上げたまま、台の階段を上がると、恭しくフェリエナを下ろし、自身は片膝をついてフェリエナを見上げた。


 村人達の歓声と熱意に、ひるんでいるフェリエナに、「祝福を」と、そっと囁く。

 村を回った『春の告げ役』が、最後に領主を祝福して、ようやく宴が始まるのだ。


 アドルの低い囁きが聞こえたかは定かではないが、一度、唇を引き結んだフェリエナが、緊張した面持おももちでサンザシの枝をゆっくりと振り、大きな弧を描く。

 アドルはこうべを下げて、恭しく祝福を受けた。


「アドル・フォン・ヴェルブルクと、ヴェルブルク領の民に、春の恵みと祝福を!」

 フェリエナが愛らしい声を響かせると、村人達が、「祝福を!」と口々に叫ぶ。


 春の告げ役の女性がいる時の祭りでは、告げ役が領主に祝福のくちづけを贈るのが慣例だ。

 一応、事前にフェリエナに説明はしているが、しなくてよいと伝えてある。


 本物の夫婦ならともかく……。アドルとフェリエナは、婚礼以来、くちづけすら交わしたことがないのだから。


 慌てて立ち上がろうと顔を上げたアドルは、しかし、決意を秘めた新緑の瞳にぶつかって動きを止めた。


 唇を固く引き結んだフェリエナが、そっと上半身を屈める。


 真っ直ぐなフェリエナの眼差しにえられず、思わず目を固く閉じる。

 先ほどまで腕の中にあった甘い花の香りが、優しく鼻をくすぐり。


 かすかに震える唇が、そっとアドルの額にふれる。


 すぐさま離れていく甘い香りを追うように、無意識に手を伸ばし。

 サンザシを持っていない左手を掴むと、フェリエナが、驚きに目を見開いた。


 アドルとて、何か意図があって掴んだわけではない。一瞬にして、頭が混乱に陥る。

 が、檀上で二人で見つめ合うわけにもいかず、


「……春の女神に、深い感謝を」


 膝をついたまま、フェリエナの手の甲にくちづけを落とすと、わあっ、と村人達が湧いた。


 今度こそ、冷静さをかき集めて取りつくろうと、アドルは立ち上がって宴の開幕を宣言した。

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