13 花は、どこで咲こうと美しいのなら


(何をしようとした? わたしは)


 アドルは思いきり舌打ちしたいのをこらえ、己を罵倒ばとうした。

 こちらを見上げたフェリエナの笑顔が愛らしくて――。思わず、腕を回して抱き寄せそうになるなど。


 己の腕の間で、緊張した面持ちで座るフェリエナを見やる。


 アドルに対する時のフェリエナは、いつも緊張しているように見える。

 だがその分、不意に見せる笑顔が愛らしすぎて、思わず、ふれてしまいたくなる。


 決して、手折たおってはならぬ花だというのに。


 さわやかな五月の風が、編んだフェリエナの髪を揺らし、ほつれ毛を遊ばせる。

 今日だけは特別に、いつもの髪覆いを外し、緩やかにうねる長い栗色の髪を一つに編んでいた。


 髪に編みこまれた様々な花が、揺れるたびに甘い香りを放ち、アドルを惑わせる。

 婚礼の夜にふれた髪の柔らかさを思い出し、どうにも落ち着かない。


 柔らかく豊かな髪に指を差し入れ、華奢きゃしゃな身体を抱き寄せたら、どんな心地がするだろう。


 しかし、それは決して陥ってはならぬ甘い罠だ。


 どこで咲こうと花が美しいのなら――。

 この可憐な花を、こんな貧しい片田舎で散らせるわけにはいかない。フェリエナには、もっと咲くのにふさわしい場所があるはずだ。


「アドル様? どうなさったのですか?」


 黙りこくったアドルを、フェリエナが不安そうに見上げる。アドルは慌ててかぶりを振った。


「いえ、その」


 何が適当な話題を、と頭を巡らす。咄嗟とっさに浮かんだのは、道すがら、あちらこちらへと咲き誇る花々に視線をやっては、口元をほころばせていた愛らしい笑顔だ。


 見ているだけで植物が好きなのだとわかる柔らかな笑顔。


 好んでいるだけではない。手ずからパタタを育てているところや、婚礼の翌朝、二日酔いに効く薬を煎じてくれたことからもわかるように、フェリエナの植物への造詣ぞうけいの深さはかなりのものだ。

 豊かなネーデルラントで裕福に育ってきた令嬢のものとは思えないほどの深い知識。


「貴女がお持ちの植物や薬草の知識などは、いったいどちらで学ばれたのかと」


 告げた瞬間、凍りついたかのようにフェリエナの顔が強張る。

 新緑の瞳に、恐れや痛み、哀しみが入り混じったかと思うと。


「十三歳で生家へ戻るまでの九年間、修道院で育ちましたから」


 それ以上の詮索せんさくを拒むかのような硬質な声が、アドルから二の句を奪う。

 らした面輪おもわは、氷の彫像のように感情を消して冷ややかだ。


 ふれてはいけぬ所に、不用意にふれてしまったのかと、アドルは狼狽ろうばいする。

 修道院にいたと聞くことが、そんなに悪いことだったのだろうか。


 良家に見合うだけ持参金が用意できず、嫁ぎ先の無い貴族の娘や、長男以外に資産を分ける余裕のない弱小貴族の次男以下が修道院に入れられる事態は、何ら珍しくない。


 修道院によっては、救護院として地域の医療に貢献している院も多いので、薬草の知識があるのにも納得がいく。


 だが、フェリエナが顔を強張らせた理由がわからない。


 修道院にいたと知られるのが、そんなに嫌だったのだろうか。しかし、それではフェリエナの顔をよぎった激しい感情の説明がつかない。


 あれは、嫌悪などという生易しいものではなかった。

 心からの恐怖とでもいった方がふさわしいような、激しい感情。


 そういえば、とアドルは思い出す。


 フェリエナとの結婚を彼女の父親に求めた時、修道院育ちの娘だが、かまわぬのかと尋ねられた。

 もちろんかまいませんと即答したが、今、思い返せば、修道院と告げた時の態度が、何やら思わせぶりだった気がしなくもない。


 修道院で何かあったのだろうか。


 気になる。が、フェリエナの様子を見るに、アドルが不用意に立ち入っていいとは思えない。

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