12 春の女神の祝福を
「あの、アドル様。本当にわたくしなどが、『春の告げ役』で良いのでしょうか……?」
ここまできての辞退は無理とわかっていながらも、フェリエナは不安を隠せず、部屋まで迎えに来てくれたアドルに尋ねた。
扉から出てきたフェリエナを見たアドルは、群青の瞳をわずかに見開いた後、にっこりと春の陽だまりのような笑顔を浮かべる。
「もちろんです。『春の告げ役』は、代々領主の一族、可能ならば女性が務めていますから、貴女以上の適任者はおりません」
五月に入ったばかりの今日は、村を挙げて、春の訪れを
春の訪れを告げる役である、春の女神に扮した若い女性が、サンザシの枝を手に領主とともに村の中を巡り、最後に、村の広場で春の訪れを宣言する。
アドル直々に『春の告げ役』を依頼され、自分でも役に立つことがあるならばと引き受けたものの、フェリエナは今からでも辞退したい気持ちでいっぱいだった。
春の女神なんて華やかな役が、自分に務まるとは思えない。
侍女達が朝一番に摘んできた花々で飾られた髪も、しきたりに従った白いドレスも、きっと不格好に違いない。
アドルに失笑されたらどうしようとうつむいていると、剣だこのある大きな手が、そっと差し出された。
おずおずと手を重ね、視線を上げると、とろけるような笑顔にぶつかる。
「とてもお綺麗です。今年の春は、いつも以上に輝かしいものになることでしょう」
「っ!?」
瞬時に頬が熱くなる。
恥ずかしくて、アドルの手に重ねた自分の手を引き抜きたくなるのを、フェリエナはかろうじてこらえた。
アドルに手を引かれて階下に降り、庭へ出ると、すでに馬丁が、馬の手綱を引いて連れて来ていた。
春の女神の乗り物にふさわしく、白いリボンとたくさんの花を編みこんで作られた花輪を首にかけた栗毛の馬だ。たてがみにまでリボンが結ばれていて可愛らしい。
「失礼します」
悲鳴を上げる間もなく、横座りに馬に乗せられる。
と、次いでアドルが後ろに乗ってきて、心底、驚く。
「あ、あの……っ?」
『春の告げ役』を頼まれた時、馬に乗れないことを告げると、笑顔で「心配いりません」と言われていたため、てっきり、馬丁が手綱を引いて歩いてくれるものだと思っていたのだが。
まさかアドルと二人乗りになるとは、予想もしていなかった。
焦るフェリエナに、アドルはあわてた様子もなく柔らかに笑う。
「大丈夫ですよ。わたしがついている限り、落馬などさせません。ゆっくりと歩くだけですから。不安でしたら、わたしの腕でも持っておいてください」
フェリエナの後ろに
「奥方様、どうぞ」
見送りにずらりと並んで立つ従者達の中から進み出たギズが、フェリエナに差し出したのは、今が盛りと咲くサンザシの枝だ。薄紅色で八重咲きのサンザシは、華やかこの上ない。
「領主家のご婦人が『春の告げ役』を務められるのは、数年ぶりでございます。今年の春は、素晴らしいものとなるに違いありません」
フェリエナが枝を受け取ると、ギズが列に戻る。
「フェリエナ。皆に祝福を」
アドルに思いがけず近くで囁かれ、心臓が跳ねる。
「あの……」
頭が真っ白になり、
アドルの手に導かれるまま、ゆっくりと枝で弧を描く。
「皆に春の祝福を!」
朗々と響くアドルの声に、従者達から歓声が上がる。
「いってらっしゃいませ!」
「わたくし達も、後ほど広場へ向かいますので」
笑顔の従者達に見送られ、出発する。
馬の足取りはゆっくりなのに、フェリエナの心臓は、まるで疾走しているかのように鼓動が速い。
結婚式からすでに三週間は経つが、アドルがこれほど
婚礼の日の夜に宣言した通り、アドルは一度もフェリエナの寝室を訪れていない。
しかし、決してフェリエナを邪険にすることはなく、むしろ、まるで客人であるかのように、丁寧に接してくれる。
「フェリエナ嬢」ではなく、「フェリエナ」と呼ぶようになったのも、ギズに「もうご結婚なされたのですから、フェリエナ嬢では変でしょう」と指摘されてからだ。
持参金のために
だが、それと、
初めてダンスを申し込まれた夜からずっと、アドルが傍にいると、どうにも落ち着かず、緊張してしまう。
と、フェリエナの緊張をほぐそうとするかのように、アドルが穏やかに口を開く。
「ヴェルブルク領は、今が一番美しい季節です。ネーデルラントの春の華やかさには、到底、及ばぬかと思いますが」
「いいえ、そんなことはございません」
フェリエナはゆっくりと
村へと続く道の両側からは、花開いた
「どこで咲いていようとも、花の美しさに変わりはありませんもの。むしろ、緑が濃い分、こちらの方が、花があざやかに見える気がいたします」
アドルを見上げ、にっこりと微笑んで告げた瞬間、アドルの腕に力がこもった。
かと思うと、アドルの右手が手綱から離れ、フェリエナの身体に回る。
一瞬、抱き締められるのかと身構えたが。
「……枝が、こすれそうですよ」
アドルの右手が握ったのは、馬の体にふれそうになっていたサンザシの枝だ。
「す、すみません」
慌てて枝を持ち直そうとして。
「花は、
「っ!?」
突然、どこか熱を
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