6 毒薬は、耳から忍び込む


 身なりから推測するに、エディスと同じく、近隣の領の貴族だろう。


 アドルからまだ紹介されてはいないが、フェリエナは立ち上がり、二人に丁寧に礼をする。


 が、男達はちらりと視線を向けただけで、無言でフェリエナの脇を通り過ぎると、どっか、とフェリエナの少し後ろの椅子に腰かけた。


 男達がフェリエナを無視したのは明らかだ。だが。


(これだけの人出なのだもの。わたくしが花嫁だとご存じない方もいらっしゃるのかもしれない。一人でいる娘に声をかけて、とがめられるのを避けただけかも……)


 椅子に座り直し、できるだけ好意的に解釈しようとしたフェリエナの耳を、粗暴な男の声が打つ。


「しかし、あの小僧も上手くやったもんだ」

「まったくだ。持参金がたっぷりついた嫁をもらって借金を返済しようなんて方法、よほど薄汚い奴じゃないと思いつかんね。「借金を耳を揃えて返しに来た」と城に来た時は、悪い魔物にでもだまされたかと勘繰かんぐったが……。まさか、こんなからくりとはな」


 片方の男が、心底忌々しげに舌打ちする。


 明らかに嘲弄ちょうろうする意思を持った男達の言葉に、フェリエナは身を強張らせた。

 ネーデルラントにいた頃、フェリエナを嘲笑していた貴族達と同じだ。二人とも、明らかにフェリエナに聞かせるつもりで、声をひそめようとすらしていない。


 求婚された時から、ずっと疑問に感じていた。

 「なぜ自分なのだろうか」と。


 ネーデルラントのまともな貴族なら、フェリエナと結婚しようだなんて、絶対に思わない。

 ましてや、アドルのように立派な人物なら、結婚相手はよりどりみどりだろう。


 他の令嬢より抜きんでている点がフェリエナあるのだとすれば、それは。


(持参金の、多さくらい……)


 やっぱり、という思いが、心を凍らせてゆく。

 だが、それがなんだというのか。


 傷ついたりなんて、しない。初めから、予想がついていたことだ。


 フェリエナの視線の届かぬ背後で宴の料理を食べながら、男達の嘲弄は留まるところを知らない。


「どうせ、あの顔でたぶらかしてきたんだろう。はっ、この辺りの未亡人には相手にされなくて、わざわざネーデルラントにまで探しに行ったとは、ご苦労なことだ」


「まっ、この辺りの貴族で、こんな領に嫁ぐ愚か者など、いるはずがないからな」


「きっと、花嫁の方だって、持参金を積まなきゃ、引き取り手がいないような娘なんだろうよ」

「ああ。遠くへ嫁げば、婚前の悪い噂も届かないだろうからなあ」


 男達が下卑げびた笑い声を立てる。


 フェリエナは怒りと羞恥しゅうちで震え出しそうになるのを、固く唇を噛みしめてこらえた。絹の手袋に包まれた両手を握りしめる。


 一瞬、アドルを呼びに行こうかと考え、すぐに駄目だと自制する。

 宴で来賓ともめ事を起こすわけにはいかない。


 何より。

 男達の言うことは真実なのだから、抗弁しようもない。


 立ち上がることさえできず、フェリエナは固く目を閉じた。だが、閉じれぬ耳に、染み入る毒薬のように、男達の声が入って来る。


 酒も入っているのだろう。男達の品の無い笑い声が大きくなる。


「小僧と同じで、見栄えだけは巧く取りつくろってるじゃあないか。ランドルフ伯爵、これは惜しいことをしましたな」

「ああ、まったくだ。一皮むけば、どんな本性が隠れているやら。はっ、一気に借金を返さずとも、あの美貌なら利子の代わりに一夜貸してくれたら、俺が手ずから確かめてやったものを。小僧に代わって、俺がひんいてやりた――」


「これはこれは。ランドルフ伯爵にブルジット子爵。我が領の葡萄酒をずいぶんお気に召されたようですね」


 冷ややかなアドルの声に、フェリエナは、はっと目を開けた。


 フェリエナの前にエディスと並んで立ったアドルが、群青の瞳を怒りにきらめかせて男達を睨みつけている。


 目の前に差し出されたアドルの手に、すがるように思わず手を伸ばす。

 大きな手がフェリエナの腕を掴んだかと思うと、強い力で引き寄せられる。


「申し訳ありません」


 立ち上がり、広い胸板にふれそうなほど近づいたフェリエナの耳に、低い囁きが届く。が、群青の瞳は男達を睨みつけたままだ。隣のエディスも牽制けんせいするように睨みつけている。


 苛烈かれつな光を宿す群青の目に、アドルがこの場で男達と争うのではないかと不安に駆られる。が、


「本日はお越しいただきありがとうございます。申し訳ありませんが、領民達へ花嫁をお披露目したいので、これで」


 冷ややかな声で一方的に告げたアドルが、小さく一礼して、男達に背を向ける。腕を掴まれたままのフェリエナも、歩くほかない。


「ああ、さぞ立派な新郎新婦を見せびらかすといいさ!」

「領民達も泣いて喜ぶだろうよ!」


 酒に酔った大声が返ってきて、フェリエナはランドルフ伯爵、ブルジット子爵と呼ばれた男達を振り返った。


 二人とも四十代近いだろう。服こそ立派だが、こんな祝いの席で暴言を吐くなど、何を考えているのだろう。


 獲物を狙う猟師のような視線が自分に注がれているのを感じて、フェリエナは恐怖に身を震わせた。


 と、フェリエナの腕を掴んだアドルの手に力がこもる。


「奴等に何を言われたのですか?」

 怒りのこもった低い声。


 アドルは二人の会話をどこまで耳にしていたのだろう。

 だが、アドルに告げたところで、どうなるというのか。


 フェリエナが令嬢として失格なのは確かだし、アドルの目当てが持参金というのも……おそらく、真実に違いない。


 フェリエナはいて笑みを浮かべると、かぶりを振る。

「いいえ。すぐアドル様が来てくださいましたから、何も」


「ですが……っ」

「こんなめでたいお席ですもの。お酒に酔ってしまわれることくらい、ございますでしょう?」


 かたくななフェリエナの声音に、これ以上の追及は諦めたらしい。アドルが苦く吐息する。


「……二人とも、境界を接している領の領主であるため、招いたものの……。判断を誤りました」


「いいえ。領地を接しているのであれば、アドル様のご判断は当然のことと思います」


 ああいう手合いは、招かれなかったら招かれなかったで、後々まで禍根かこんを残すことになるだろう。


「それで、その……。お披露目というのはどういったものなのでしょう?」


 そんなものがあるとは、聞いていない。

 不安を隠せず問うと、ようやくアドルが頬を緩ませた。


「あれは貴女を連れ出すための方便です。ただ、これから領民達とダンスを踊るのは本当です。ステップというほどのものもないダンスですが……。よろしければ、一緒に踊っていただけませんか?」


「ええ、喜んで。ですが、どんなダンスなのでしょう? こちらの風習にはうとくて……。かえって皆さんに呆れられたりしないといいのですが」


「大丈夫ですよ」

 アドルの柔らかな声がフェリエナの不安をかす。


「この辺りでは、祭りの時にいつも踊るダンスでして。お互いに手をつないで、大きな輪になって、くるくると回るだけです」


「よろしければ、アドルの逆側はわたしに任じさせてください」

 エディスが感じのいい笑顔で申し出る。


「はい、ありがとうございます」


「いくら新郎といえど、こんなお美しい花嫁を独り占めしていては、嫉妬の炎で焼かれてしまいますからね」


「エディス様は、ご冗談がお上手でいらっしゃるのですね」

 おどけた口調のエディスに、フェリエナは思わず笑みをこぼした。

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