4 不良物件だなんて、詐欺すぎる!


「この間抜け!」


 罵声とともにアドルが顔面めがけて投げつけた靴を、従者のギズは難なく受け止めた。


「アドル様。この靴一つとっても、ヴェルブルク領にとっては貴重な財産なのです。丁寧にお取り扱いください」


 淡々と告げたギズの言葉に、アドルはもう片方の靴を手にしたまま、ごろりとベッドに仰向けに倒れ込んだ。


「何が行き遅れの変人娘だ! 持参金しか取り柄の無い不良物件だ! 前情報と全然違ったじゃないか! お前、わたしに偽の情報を伝えたな!」


 もし視線が刃を持っていたら、ギズの顔のど真ん中に大穴が開いていただろう。アドルは恨みをこめて信頼する従者をにらみつけたが、ギズは動じない。


「仕方がありません。なんせ、情報提供者に支払う謝礼にも事欠ことかく有様なのですから。多少の齟齬そごは諦めてください」


 淡々と告げたギズを、思い切り睨みつける。

 仕方がないとばかりに吐息して、ギズはほんの少しだけ、気遣うような声を上げた。


「……噂以上に、ひどい令嬢だったのですか?」


「違う! 逆だ逆!」


「……は?」

 珍しくギズが間の抜けた声を出す。

 それを無視して、アドルは靴を抱いて、ごろりと寝返りを打った。


「貴重な一張羅いっちょうらが汚れます!」


 悲痛な叫びに、抱えていた靴を差し出す。歩み寄ったギズは、あるじに対するよりもよほどうやうやしく靴を受け取ると、そっと床に置いた。


「で、逆とは? まさか、貧乏だったのですか!?」

 震え声で尋ねたギズに、「違う」とぶっきらぼうに返す。


「わたしの目でもわかるくらい、一級品のドレスだった」


「さすが、富裕ふゆうと噂のロズウィック家でございますね。素晴らしい!」

 はずんだ声を上げたギズが、


「では、何が問題なのです?」

 といぶかしげな声を上げる。


「あれほど練習したのに、ステップを踏み間違えましたか? 誘いの言葉を噛みましたか? ……まさか、求婚の言葉を度忘れしたワケではありませんよね!?」


 主人を主人とも思わぬ失礼な言葉の数々に、無言で枕を投げつける。が、またしても難なく受け止められた。


 ごろりとうつぶせになりながら、こぼす。


「……可愛かった……」


「は?」

 今宵こよい二度目の、ギズの間抜け声。


 アドルはやけになって叫ぶ。


「他の令嬢なんか目じゃないくらい、可憐だったんだ! 性格もよさそうで、でもしんが強くて……っ」


 今夜、初めて出逢ったというのに、想うだけで鼓動が速くなる。


 夢でも、見ているのかと思った。

 罪悪感のあまり、自分に都合がいい夢を。


 けれど、抱き寄せた華奢きゃしゃな身体も、怒りを宿してきらめいていた新緑の瞳も、全てが現実のもので。

 彼女の全てが、アドルの心を魅了した。


「……目を開けたまま、夢でも見てらっしゃるんですか?」

 あきれ混じりのギズの声に、


「いっそ夢だったらよかったさ」

 心中の苛立いらだちを隠さずに、投げやりに返すと、疑わしげな声が飛んできた。


「ちゃんと求婚なさったんでしょうね?」

「した」

「お返事はなんと?」

「父親の許可を取ってくれと」


「おめでとうございます! この縁談はまとまったも同然でございますね!」


「黙れ!」

 天まで昇りそうなほど弾んだ声に、アドルは上半身を跳ね起こし、叩きつけるように言う。とっさに投げる物を探したが、生憎あいにく、何もなかった。


「いったいどうなされたのです? 帰り道からずっと変でいらっしゃいますよ?」

 わけがわからぬと言いたげにギズが問う。


「どんな偏屈へんくつの、化け物みたいな醜女しこめと結婚する羽目になるのかと、戦々恐々としてらっしゃったではありませんか。それが、見たところは可憐な御令嬢なのでしょう? 博打ばくちで言ったら大穴ではございませんか! いったい、何にそんなに怒っていらっしゃるのです?」


「己にだ」

 胸の奥でふつふつと湧き上がる己への怒りもあらわに、吐き捨てる。


 いっそのこと、金持ち特有の傲慢ごうまんさを振りまく嫌な女ならよかった。

 そうであれば、良心の呵責かしゃくも少しはマシだったものを。そう考え、己の浅ましさに反吐へどが出る。


「前情報があんなに間違っているなんて、詐欺さぎだろう!? あんな清らかな乙女をだますなど……っ!」


だますのではありません」

 きっぱりと、ギズが告げる。


「ヴェルブルク領が立ち直るまでの間、悪い夢を見ていただくだけです」


 万年雪よりも冷ややかに言い切ったギズを睨みつける。


「一生消えぬ傷をつけてか!?」


「命まで取るわけではございません」

 冷徹なギズの声は、微動さえしない。


「フェリエナ嬢お一人の犠牲で、ヴェルブルク領が生き長らえるのです。何百人の領民の命が助かることか。アドル様も、その点については、先刻ご承知だったではございませんか」


 淡々とした指摘に、アドルは唇を噛みしめた。固く握りしめた両手の皮がぎゅりりと鳴る。


 そうだ。一人の女性を不幸にすると承知の上で今回の計画を立てた。

 そして、実行したのは他ならぬ自分自身だ。


「今日はもう下がれ。一人になりたい」

 ギズを見もせず告げた言葉に、深い溜息が返ってきた。


「かしこまりました。ですが……」


「何だ?」

 主人を主人とも思わぬ遠慮のない声で、ギズが告げる。


「先に礼服をお脱ぎください。汚しでもしたら、大損害でございますから」

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