モノクロブレイブ

燕曽野 狩輝

第1話 決意の夜

 俺の父ちゃんは、魔法使いだった。

 何でもできる、自慢の父ちゃんだった。沢山の人に頼られて、沢山の人を助けていた。家の近くに現れる魔物を倒して、悪い大人を成敗してた。

 でも、そのせいで家にいることはほとんどなかった。俺の寂しさだけは、退治してくれなかった。めちゃくちゃ辛かったし、苦しかった。


「なあ母ちゃん、父ちゃんはいつ帰ってくるの?」


俺がそう聞く度、母ちゃんは少し口ごもった。


「……きっと、すぐ帰ってくるわ」


まだ幼い俺にだって、それが嘘だってことはすぐ分かる。

 困った人は救ってやるのに、俺のことだけは救ってくれない。そんな魔法使いが、俺は嫌いだった。

 だから俺は、誓ったんだ。




「絶対に、魔法使いになんかなるもんか」






***






「はーあ、今日も世界は平和だな」


 俺は草むらに寝っ転がり、空を見上げた。依然として雲はたゆたっていて、それでも行足を止める様子は窺えない。あいにく、俺の家があるこの島はエスタでも上層だから、こうして空を見上げると、嫌でも陽の光が目に刺さる。

 しばらく呆けていると、隣で可愛らしく座る少女が口を開いた。


「本当に綺麗だよね、この星は。あの滝も、光の柱とそっくり」


そう言いながら、彼女は水色のポニーテールを揺らす。どうやら俺の反応を気にしているようだ。


「光の柱って、たまに雲の切れ間から見えるやつか?」

「うん。あんな感じの風景が、晴れてても曇ってても、はたまた雨でも見られるなんて、素敵な世界だなー、アクエレスは」

「こういう世界って珍しいのかな」

「珍しいんだよ!普通、星には重力っていうのが働いているから、こんなに大きな陸地が浮いてる事自体、すごいことなんだよ!きっと勇力の影響なんだろうなー」


俺の疑問に対して、少女は興奮気味に答える。傍から見ればなんてことのない光景だが、実のところ俺自身、なんの疑問も抱いていなかった。なぜなら。


「ちなみに。その話は七回目だよ、ディエナ」

「しょうがないじゃん。私はいっつも海の中なんだから」


俺が事実を告げると、その少女――ディエナが、太い眉毛を眉間に集める。彼女の前髪は眉毛の上で切り揃えてあり、表情が見やすい。


「俺は海の方がいいな。広いし、食い物がそこらへんを泳いでるんだろ?」

「もう、イルクったら本当に食べ物のことばっかり」

「陸の魔物は俺みたいな田舎のガキじゃ倒せねえの」


ディエナが説教してくるのを、俺は適当にいなした。ちなみに嘘は言っていない。

 すると、近くの木にもたれかかっていた銀髪の男が、横槍を入れてきた。


「実際はそれが理由じゃないだろう」

「う、うるせーな。リューガは口を挟むなよ」


カサド・リューガ。俺達の兄貴分で、すごく物知り。だけど、基本的に俺のことを見下してるから、ちょっとムカつく。

 俺が苛立っているのを察したのか、ディエナが咄嗟に言った。


「でもさ!リューガはよく鳥さんを捕まえてるよね!」


その発言に、リューガは大きくため息をついた。


「鳥は数が少ないから、できるだけ狩りたくない。そもそも鳥は魔物ではなく動物だ」

「あ、そっか」


リューガが放った呆れ気味の返答に対して、ディエナはポンと手を打ち、深々とうなずいた。第一、動物だったら俺も捕まえて食べている。最近の夕飯は俺の狩猟にかかってると言っても、過言ではないだろう。

 ただ、そんな俺も鳥だけは捕まえられない。なぜなら、警戒心が強く、止まっている鳥に近づいても、またたく間に逃げ出してしまうからだ。


「ウィンドルの奴らはずるいぜ。俺にもその羽、分けてくれよ」

「俺もフォブラーの頭脳を拝借したいものだ。最も、イルクにはそれらしい知性が感じられないが」

「うるせー!一言余計だぞ!」


俺が大声で怒鳴ると、リューガは鼻を鳴らし、肩に付きそうな髪を揺らした。いけ好かないけど、年齢は向こうが一個上の十三歳だから、仕方ないのかもしれない。 結局今の会話も相手にされていなかったようで、リューガの目は、遥か下に広がる海を見ていた。

 この世界は、すべてが水に覆われている。そこへ被さるように、大小無数の浮島が漂っていて、俺達フォブラーという種族は、その浮島の上で生活している。まあ俺の家は、すごく小さな田舎の島にあるんだけど。

 フォブラーの通称は、陸の種族だ。三種族の中で一番賢いとされている。その証拠に、フォブラーは五つの国家を持っているが、戦争によるリスクを回避するため、国家間におけるすべての揉め事が話し合いによって解決されてきた、らしい。おかげで毎日が平和そのものだ。


「んー、西陽だな。そろそろ晩飯を捕まえてこなきゃ」

「ウソ!?早く帰らないとパパに怒られちゃう!」

「海面まで俺が送っていこう」

「いいの?ありがとうリューガ!」


 俺の呟きに困惑したディエナ。彼女の家は門限が早いらしく、三人で遊んでいても一番最初に帰ってしまう。彼女の家は海の底だから、帰る際に他の浮島と衝突しないよう、空を飛べるリューガが下まで連れて行くことが多い。

 彼女は、海の種族クアルマイト。見た目はフォブラーと大差がなく、二足歩行で腕が二本生えているのは同じ。大きく違うのは、くるぶしのあたりにヒレが生えていること。耳の形も、よく見るとヒレのようになっている。彼女らは俺達と違って、水中でも呼吸ができる。以前、三人で素潜り漁をしたら、一人だけ水面に戻ってこなくて、俺とリューガはディエナがてっきり命を落としたと思い込んでいた。その後、彼女が平然と身の丈ほどの大きな魚を抱きかかえて戻ってきたときは、驚きすぎて失神したっけ。


「では、俺も帰ることにする」

「気をつけてなー。下の島にぶつかんなよ?」

「ふん、お前と一緒にするな」


 リューガはウィンドルという種族で、別名は空の種族。フォブラーの腕と背中に羽を生やした見てくれをしている。空の種族は喧嘩がめっぽう強くて、俺は一度も勝ったことがない。種族の特性として反射神経がいいらしく、投げつけた二十個の石ころを全部避けられたことがある。


「あ、そういえば」


 帰り際、ディエナが俺の方を振り返って、思い出したように言った。


「わたしね、ブリーヴァの学校に入るんだ!」

「……え?」


うろたえた俺を他所に、リューガが続けて言った。


「奇遇だな、俺もだ。来月からセティアに住む」

「本当に!?せっかくだしイルクも一緒に行かない?」

「……」

「あれ、イルク?」


ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。「どうしたのかな?」「放っておけ、帰るぞ」などと聞こえた気がした。そうして二人は帰っていったが、そんなことはどうでもよかった。


「……また、ブリーヴァかよ」


それは、俺が最も嫌いな言葉だった。

 父親の職業がブリーヴァと呼ばれていることを知ったのは、俺が六歳になった頃だったと思う。それまでは魔法使いって呼んでいたけど、それは自称などではなく、国に認められた資格だと知った時のことは、今でもよく覚えている。ただ、それでも父の仕事に対する嫌悪は変わらなくて、どれだけ周りに勧められても、ブリーヴァにはならないって決めていた。

 ブリーヴァは、俺と父親の時間を奪った。それが今度はどうだ。俺と、あの二人との時間まで奪い去ろうとしている。


「どうすれば、いいんだろう」


俺の問いかけは、夕焼けに消えていった。思えば、俺を救ってくれなかった父親に対する、心からの疑問だったのかもしれない。

 日は沈みかけていた。段々と暗くなる草むらの中で、俺は考えた。フォブラーにしては足りない頭で、今のかけがえない時間を失わないために、どうすればいいか必死で考えた。

 結局、晩飯の食材を狩るのも忘れて、一時間ほどしゃがみ込んでいた。


「……母ちゃんに聞いてみるか」


導き出せた答えは一つしかなかった。それがまた、悔しかった。




 俺は急いで小動物を捕まえ、それを革袋に詰め、家に持って帰った。量は少ないが、俺と母親の腹を満たすには十分な量だ。


「ただいまー」

「あら、おかえり。遅かったわね」


俺が家の扉を開けると、母親は笑顔で出迎えてくれる。灰色のエプロンをかけ、両手に調理器具を持っているのはいつもの光景だ。


「今日は何を取ってきたの?」

「エスタウサギ。二匹で足りるよね」

「ええ、もちろん」


俺は、獲ってきたエスタウサギの亡骸を、母親に渡した。その後、俺はリビングの椅子に座り、母の料理が出てくるのを待った。

 だがやはり、頭をよぎるのはブリーヴァのことだった。


(くそ、やっぱりこれしかないのか……)


繋がりを守るためには、それしかなかった。だが、母は俺が幼い頃、父親の不在に不満を募らせていたことを知っている。

 しばらくすると、「できたわよー」という明るい声とともに、食卓には豪勢な食事が並んだ。香辛料が効いた芳しい匂いが、俺の食欲をそそる。


「いただきます」


俺は手を合わせ、エスタウサギの肉を口に運んだ。うん、やはりうまい。脂肪は少ないが、身は引き締まっていて、香辛料の刺激や塩気と相性がいい。

 黙々と食べ進めていると、母親が怪訝な表情で俺の方を見た。


「今日はやけに静かね。嫌なことでもあった?」


……母ちゃんは何でもお見通しか。一つ息を吐いてから、俺は意を決して、例のことを告げた。


「えっと、ディエナとリューガが、ブリーヴァを目指すらしいんだ」


一瞬、母親の手が止まった。それでも俺は言葉を止めなかった。


「誘われたんだ。セティアの国立学院に行こうって。正直、悩んだよ。父ちゃんがブリーヴァだったせいで、俺と母ちゃんが寂しい思いをしたのは事実だから」


そこまで言うと、次に口を開いたのは母親だった。


「イルクは、どうするか決めたの?」


俺は返答に窮した。濁して答えるべきなのか、それとも素直に言ってみればいいのか分からなかった。すると母は、手に持っていた匙を置いて、柔らかく微笑んだ。


「あの人がブリーヴァになるって言ったとき、私は反対したわ。だって、ブリーヴァが忙しいのは知っていたから。生まれてくる子供、つまりイルクがかわいそうって、私は思った」


そう言いながら、母は少し物憂げに、隣の空席を見つめる。


「そしたらあの人、こう言ったの。『俺達の子だって、必ず人生に躓く時が来る。俺はその時のために、俺達の子を救ってくれる、未来の繋がりを守りたいんだ』って。カッコよくてしびれちゃったわ」


母はクスリと笑った。それから、俺の方を、ただまっすぐと見た。


「イルク。あなたは今、自分にとって大切な繋がりを守ろうとしている。それはきっと、あなたが自分の人生を懸けても守りたいと思った繋がり。だったらお母さんは、イルクを応援するわ」




 ふと、俺の頬を、涙が伝った。


「でも、母ちゃん、なんで……」


うまく出てこない言葉を、俺は必死に並べた。そんな俺を見て、母は無邪気な笑顔を浮かべた。


「だって男の子は、その方がかっこいいじゃない」


 俺は椅子を思い切り蹴立てて、力強く立ち上がった。


「母ちゃん!俺、セティアに行く!」

「うふふ、イルクもあの人に似てきたわね。入学試験は来月なんでしょ?じゃあ急いで支度しないと!」


母のこの笑顔に、俺はいつだって救われてきた。父がいなくてもずっと、救ってくれた。もしかしたら、これが父が守りたかった繋がりの一つなのかもしれない。なんだか急に嬉しくなってきて、俺は目の前の料理を豪快に食べ進めた。今のうちに、母の料理をたらふく食べておきたい。そう思った。




 その夜、父の写真の前に、人影が一つあった。


「ねえ、あなた。イルクはこんなに強く、たくましく、あなたに似てかっこよく育ったわ。私、こんなに嬉しいのは、あなたと結婚したとき以来かも」


父の写真がひっそりと濡れていたのを、寝ている俺は知る由もなかった。

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