選択 下

 たとえば一つの道があると仮定し、その道の先には激しい道の崩落が発生しており、今現在この道を渡るのは大変危険な状況だとする。

 そんな時、人は道の手前に立ち迂回路を指示する訳だが、もし仮にこの迂回路を提示する人間が居なかった場合、大勢の人間がその先にある大穴に足を取られ、何かしらの大損害を負うのは必須の事だ。

 だが、残念な事に人という物は未来を知る力など無く、後悔と呼ばれる物は己の足跡からしか見つける事が出来ないのが事実であり、大抵の場合その後悔を噛みしめるのは、道の先に広がる大穴に一度でも落ちた人間だけ。

 己が酷い目に遭ったからこそ、道の先にある危険性を語り継ぐ事が可能であり、道の先を知らない人間が、わざわざ旗を振りここから先は危険だと告げる事など不可能だ。

 だからこそ迂回路を指示するのは決まって事の被害者であり、仮に彼らが旗振りを止めたとすると、次に何が起きるかなど考えなくても判ることだ。

 おそらく、カラが対面した問題もまたそれと同じ事だろう。

 未来には悲劇がある、だからこそ彼女は過去に戻り悲劇の種を取り払う事が必要だが、その種を取り払うには、彼女が悲劇を体験し、その力を手に入れている必要がある。

 危険な道の手前で旗振りを出来るのは、その先を知る人間だけだ。

 そうなると、やることは自ずと決まってくる。

 悲劇が起きる未来を残したまま、悲劇の起きない未来を再構築する事、それだけが全てを救う手段だ。

 二つの時間軸の狭間で、彼女一人だけがくさびの様に二つの時間軸の境界線を保ち続ける事。

 それだけが彼女の望む未来を生み出す手段だった。

 だがそれは、彼女だけが損をする、彼女だけが延々と苦しむ選択肢でもある。

 全ての悲劇を一人だけ覚えたまま世界から取り残され、己の傷を癒やす仲間も居ないたった一人の世界で無限に続く時間の海で漂流をするのだ。

 その意味をカルヴェラは理解したのだろう。

 目を見開き、必死の形相で伸ばされた右腕は彼女の目の前で泡の様に消える。

 「……ありがとう」

 正確には、消えたのは自身の方だった。

 カラは自分の邪魔を『してくれる』唯一の仲間の元から逃げ、崩壊したままの教室の中ですっと目を閉じ深呼吸をし、そっと願う。

 「……」

 頭の中に外の世界全ての景色が、声が、そして全ての人間の思考が流れ込み、彼女が目を背けてきた情報が補填されてゆく。

 彼女が開いた穴の影響で、突然世界中あちこちの空間が裂け、大勢の人間や動物が巻き込まれ、世界中で壊滅的な被害が出ていること。

 これまで毛嫌いしてきたAPSの人間が、今は世界を救う為に奮闘する集団となっていた事、マキナの言葉に一切の嘘偽りが無い事。

 そして、それらの情報から彼女は隕石が落ちた詳しい位置と時間を抜き出し、一際強く願う。

 流石にあまりにも無理のある力の使い方をしたのか、全身を細かく刻まれる様な鋭い激痛が走り、頭に言葉では表せない程強力な熱気が走る。

 更には、全身の細胞一つ一つに液体窒素を流されたかの様な寒気が走った後、体表を、皮膚が泡の様に溶ける感覚が抜けた。

 「……ぐぅっ!」

 立っていられなくなった彼女は、短く呻いて地面へ膝を着くと、その瞬間掌に広がる草木の感触に頬を吊り上げ、そっと開いた視界が初めて見る森になっている事を知り、小さく笑う。

 目の前にそれはあった。

 大きさにしてはたかが知れている、丁度握り拳大のそれは、土埃や煤のせいで薄汚れてはいるが、明らかに異様な質感を持っていた。

 「……あなたが全ての始まりね」

 彼女はそっと願って持ち上げ、表面に付いていた汚れを取り除く。

 空中でくるくると一回転したそれからは、一瞬にして汚れが取り除かれ、汚れの下にあった透明な姿を露わにする。

 僅かに青みを帯びた透明の塊、一見すれば氷山の一角を削り出したかの様なその結晶こそ、全ての始まりになった一つの隕石だ。

 「……」

 彼女の力を持ってしても、何故かそれがどこからやって来て、どの様な存在なのかつかめない。

 それは、それだけその石に強い力が込められているからか、もしくは彼女の力と同質であるが故に、彼女の力が反発してしまうのか。

 だが、判る事が一つだけある。

 「私達は出会ってはいけない」

 カラはそっと呟くと、真っ青な空を見上げて念じる。

 この隕石が、決して人の手が届かない遙か彼方へと旅立つ事を、そして、誰も傷つかない未来が訪れる事を。

 刹那、宙に縫い付けられていたそれは、落ちてきたのとは真逆の動きで空へと旅立つ。

 世界から隕石は消えた、だが、まだ全ての力がなくなった訳では無い、必要なのはこの力が人間の手の届かない世界にある事。

 つまり……書き換えられた世界でも唯一力を持った存在も消える必要がある。

 カラはそっと溜息を吐くと、己と言う存在が世界から、そして全ての人間の認識から消える事を願った。






 しっかりと換気がなされ、十分すぎるほどの光量を持った照明が設置されていたと言えど、地下室となれば言葉には表しにくい閉塞感に苛まれるのはしょうが無い事かも知れない。

 それは、窓から見れば当たり前の様に広がる筈の外界の景色が無く、地下室特有の微妙に低い天井、そしてこの部屋に行くまでの記憶など、数値では言い表せない情報がこの事態を生み出した原因と言えるだろう。

 とはいえ、この場合重苦しい空気を生み出しているのは、それらだけでは無い事は明かだった。

 先に述べた通り、この場所が地下である為に窓ガラスなどは存在しなく、あるとしたら閉塞感を加速させる大量の液晶パネルと、その下に設置された大きな机二組とそれらの上に置かれた大量の資料と使い込まれたマグカップに、そしてとっくに冷めきったコーヒー位である。

 そんな一室の中、カルヴェラは僅かにヤニが浮いたキーボードを叩き、小さく言葉を紡ぐ。

 「行きすぎた科学は魔法と違いが無いよなぁ」

 「何ですか?」

 「んあ? ああ、昔どっかで聞いた話さ」

 そう言うと、自身が呟いた一言が唯の独り言である事を示す為に小さく手を振り、咥えていた葉巻を一口吹かす。

 「それをなんで今更?」

 「なんでって言われてもな、なんかふと思い出してな」

 彼はそう言い、葉巻を灰皿に置くとキーボードを叩く。

 「原理が判るから科学であって。

 原理を知らない物ってある種魔法と大差無いだろ? 例えばこの端末とか」

 彼は大量のデータが表示される画面を指さし、そう告げる。

 「まぁ確かに……液晶がどういう原理で動いているかって言われると、説明し辛くはありますけど……」

 「だろ? つまりこれだって魔法だ」

 「なんで原理が分からない物イコール魔法って理屈になるんですか」

 呆れた様に呟いた部下を見て、カルヴェラは葉巻を更に一口吹かす。

 「俺みたいな人間が言うのもアレだが、魔法ってなんかロマンがあるだろ? 原理が判っちゃった物はつまらないけど、原理が判らないってもう楽しくてしょうが無いんだよな、ま……その逆はあれだけど」

 一応喫煙可になっているとはいえ、こうもまぁ盛大に吹かされる煙に、彼女は目を細めると皮肉を吐く。

 「少なくとも、煙草が害を成すメカニズムは現代科学で解明されていますよ」

 「……これは煙草じゃなくて葉巻だ葉巻……っつか、あんたがどういう理由でここに居るのかも教えて欲しいけどな」

 ふと頭の中で動いた疑問を掴むと、カルヴェラは議題に広げてみせた。

 「どうしてって……どうしてでしょうね? なんだかここで働いて居ないといけない気がしたんです」

 何処か歯切れの悪い言い回しは、それが本音である証拠だろう。

 事実、彼女にとって、APSなどと言う中途半端な研究機関で働く理由は定かでは無い。

 だが、それなのにもかかわらず、彼女はある日を境に、憑かれたかの如くこの環境での仕事を望む様になっていた。

 「それこそ魔法だな魔法」

 「何馬鹿な事言ってるんですか!」

 少しだけ不機嫌になってみせる女に対し、カルヴェラは更に追い打ちをかける。

 「カラ・サバスは魔法にかかったとな」

 「ふざけないでちゃんと働いてください!」

 悪戯な彼の言葉に、カラと呼ばれた女は歯に衣着せないで意見を吐く。

 何処かはっきりとしない表情が特徴的な彼女だが、時折こうして見せる意志の強さに驚きつつも、カルヴェラは鼻を鳴らして感情をごまかしてみせた後、端末を操作する。

 「まぁ……それもそうか……」

 そう言い、真面目に働く振りをしながら、ちらりと横目で隣にいるカラの表情を見て、カルヴェラはさっと視線を逃がす。

 「やっぱりどこかで……」

 「何ですか?」

 「いや、独り言だ、気にすんな」

 彼自身はこの環境での仕事はそれなりに長く、逆にこのカラという女はこの環境にやって来てからまだそれほどの間が無く、新人にしてはかなり出来る部類とはいえ仕事に慣れている訳では無い。

 だが、何故か初めて会った時から、何故か彼女には見覚えがあり、親近感があったのだ。

 そして、初めて会ったのにもかかわらず、彼は最近の彼女を見て何故か考える事があった。

 「独り言の原因も魔法ですか? それとも超能力だって言いますか?」

 何処かいやみったらしく言う彼女の文句、どこか悪戯めいたその言葉を聞くと、彼は不思議と安心していた。

 「お! 超能力も良いな、それならあれだ、超能力者集めてなんかでかい建物……そうだな、例えば学校とかを秘密基地にするとか絶対楽しいだろ」

 「それ何処の映画の話ですか全く……ちゃんと働いてくださいね」

 「へいへい」

 どっちが上司でどっちが部下なのか判らなくなる会話を楽しみながら、彼はふと今現在の彼女に対し『明るくなった』と感じるのだった。

 

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カラノマチ @nekonohige_37

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