第3-9話

 年相応に発達していない小さな体を震わせ、リンドウは公園の中の土管に縮こまっていた。

 雨が多少降ったことが原因で濡れた土の臭いが鼻につく。土管の中は湿度が籠もり、リンドウの汗まみれの頬に細い髪を張り付かせていた。

 体はずっと震えていた。呼吸が酷く苦しく、動悸が激しい。病気の発作が出たのだろうか、しかし今となってはそれを収める術をリンドウは持っていない。

 頭がぐらぐらと揺れ動く気持ち悪さ。手足が痙攣したように震え、堪らず己を掻き抱く。

 膝を立てた両足に顔を埋め、リンドウは枯れ果てたと思った涙を瞳いっぱいに浮かべた。


「お姉ちゃん……」


 鼻を啜る。幾ら呼んでも最愛の姉がこの世にいないことは知っているはずなのに、縋るようにリンドウはその名を口にした。


「助けて、お姉ちゃん……」


 マリカはもういない。殺された、憎き叔母に。

 その叔母をリンドウは殺した。虫を弄ぶかのように、ぐしゃりと潰してやった。

 超常の力は、サイキッカーとして目覚めたリンドウはたまらない高揚感に歓喜していた。姉の敵を取ったと、自分はもう弱者ではないのだと。

 しかし万能の力は、死んだ姉を蘇生する力は持っていなく、遠くから鳴り響くサイレンから逃げるようにリンドウはその場から立ち去った。


 ――が、彼が思っていたより事態は重く深刻だった。

 人を殺したのだ。それは当たり前なのだが、リンドウとしては問題はそこではなかった。


 力の制御ができないのだ。もう他に誰も傷付けるつもりはないのに、内から溢れ出てくる超常の力がリンドウの意思とは関係なく、彼が走り去った箇所を、目にした場所を、ぼろぼろに崩れ壊していく。

 一度立ち止まって振り返った。しかし黒い瞳に映り込む惨状はあまりに過酷で、泣き叫ぶ人々の声が怨嗟のように彼を追い立てていく。

 ようやく悪夢から目覚め、自分のした重さに気付いたリンドウは怖くて堪らなくなり、必死に逃げるうちにこの場所に辿り着いた。


 マリカと一緒に叔母から隠れて時間を潰したこの公園に。


 思い出深い公園に入った途端、暴力的な力はぴたりと鳴りを潜め、リンドウの隠れを妨げなかった。

 やっと落ち着く時を与えられたリンドウだったが、その時間は彼にとってあまりに罪の意識を苛ませる。

 足に根が生えたように動けなくなってもうどのくらい経ったのだろうか。雨が止み終わり、緩慢な時間の経過をリンドウに告げていた。


 ずっとこの場にいるわけにはいかない。それはわかりきっている。けれど、どこに行けばいいのだろう?

 リンドウは空虚な思いと、絶対的な孤独に打ちひしがれる。

 自分の居場所はもうどこにもない。ならこの先どうすればいいのか。

 逃げるにも限界がある。国家権力を前にして、一人の小学生が逃げ続けることなどあまりにも無謀なことだ。

 サイキッカーとして捕まったらどうなるのだろう。人を殺している、町を破壊している、その罪はあまりにも重い。


 ――死ぬ、のだろうか。自分は。


 今となって“死”とはあまりにも魅力的な安らぎに感じた。それは罪の清算もしない逃げだとも思うが、それでも――。


「一人は嫌だ……。独りは、怖いんだよ……」


 心の奥底の本音を独り言ちる。

 マリカの分まで生きなければ、と確かに思ったはずなのに。いざ独りになってみると心細くて、寂しくて、悲しくて、耐えきれそうになかった。

 この世で自分が独りきりだと嫌でも痛感させられる。こんな暗い絶望に一生苛まれ続けるのなら、今ここで、全て終わらせてしまった方がいいのではないか。自己中極まりない思いに自分でさえも不快に思うが、それしか方法がないのだと思考が黒く塗り潰されたリンドウには思いつけなかった。


「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい」


 呪詛のように繰り返す謝罪の言葉と共に、頬に涙が伝う。その一滴が地に落ちるよりも早く、リンドウは自身の胸に手を当て、ゆっくりと超常の力を発現しようとした。

 その時だった。


「リンドウッ!!」


 自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

 失われたはずの少女の声が。


「リンドウッ! どこにいるの、返事をしてっ! リンドウ!!」


 力の発現がゆるりと解ける。

 リンドウは大きく目を見開き、信じられないような声でぽつりと呟く。


「……お、姉ちゃん……?」


 間違えるはずがない。リンドウの半身にして最愛の姉――マリカの声を。

 這うように土管から出ると、そこにいたのは――。

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