第3-3話
「ガキが見るもんじゃねぇ。さっさとこっちに来い」
視界を奪われた頭に強引な腕が回る。よろけつつマリカは立ち上がり、強制的に声の主に連れられた。
足が絡み、もたつく。頭上からいかにも煩わしいといった風な舌打ちが聞こえてくる。
普段なら見ず知らずの誰かにさえ、猫のように威嚇し睨みつけるマリカだったが、今ばかりは何も言えなかった。
頭が白と黒、そして灰色へと目まぐるしく色を変えていく。乏しい色彩はマリカの心を現したかのようで、マリカの思考をあの部屋の光景に縫い留めていた。
(あれは……間違いなく、叔母……なんだろう。でも、そうしたらリンドウは……? リンドウはどこに?)
まさか、――リンドウ、も?
湿気を帯びた空気がマリカを包み込んだ。雨が降ったのだろう、濡れた土の臭いがやたらと鼻につく。
連れられたのは家のすぐ外らしく、雨水の溜まったコンクリートが未だ乾ききっていない。
避けることなく水たまりに足を突っ込み、その場でマリカは力尽きたかのように尻もちをついた。
先程とは別の意味で体に力が入らない。一瞬前に考えた最悪の思考のせいで寒くて寒くてしょうがなかった。震える両肩をコートと一緒に掻き抱き、マリカは縋るように上向いた。
コートの隙間から覗いた先には、一人の男が立っている。自分をここまで連れてきた相手だろう。
やはりあの場にいた関係者なのか、その全身は白い装束に固められていた。警察の制服ではない、もっと違う仰々しい軍服のような出で立ち。元はゆとりある服のようだが、男の鍛えられた体躯ではいささかきつそうな印象を与えた。
一般男性より遥かに高い身長で男はマリカを見下ろす。武骨と剣呑を混ぜ合わせた険しい顔つきは極めて最悪な第一印象を相手に刻むだろう。太い眉は逆八の字に形を変え、後ろに撫でつけられた灰色の髪が強面の顔に拍車をかけている。
同色の瞳が細められ、男は細く息をついた。
「お前の叔母――苧環 雪花(オダマキ セツカ)は亡くなった。死因は語る必要もねぇだろ?」
どっと背中から冷たい汗が噴き出す。わかっていたことを改めて告げられたはずのことなのに、マリカは恐れから瞳を潤ませ、言葉にしそこなった息で苦し気に喘いだ。
歯がカタカタと打ち震える。固く目を瞑っても、脳裏にこびり付いた青ビニールが離れない。
「……意外な反応するんだな」
「……え?」
低い声が大した抑揚なく続けられた。
「お前、あの叔母から虐待されてたんだろ? 何年もずっと。弟を守るため自分を顧みずひたすらに耐えてよ。……その元凶が死んだっつうのに、ちっとも喜ばねぇのな。俺なら声出して嗤うがな。ざまぁみろ、ってよ」
「……何を、言ってるの?」
「あん? そのまんまの意味だが?」
悪びれることなく男は軽やかに語る。刃物のように鋭い瞳は少しの同情も抱いていないように見えた。
「……そんな、こと……」
「ない、って言えんのかお前が? 何度も『死ねばいい』と思ってたお前が?」
心に泥のように沈んでいた昏い感情が男によって乱暴に掻き回される。
なぜそんなことを知っているのか。と言いたそうに開いた口はしかし、男の次の言葉によって失われた。
「お前の叔母を殺したのは、お前の実の弟――茉理乃 竜胆、だ」
開いた口がそのままの形で動きを止めた。いや、マリカに流れるあらゆる時間がその言葉により停止した。
頭が完全に白に染まり、視界に入るものが意味をなさなくなる。思考が鈍り果て、男の言葉の意味を理解するのにだいぶ時間がかかった。
「……、な、に……言って――」
やっと絞り出した声は、これ以上ないくらい惨めに震えている。
男は撫でつけられた髪を乱暴に掻き毟り、苛立ちを込めた視線でなお答えた。
「部屋の有様からして見りゃわかんだろうがよ。あの時、室内にはお前ら三人しかいなかったわけだし、外部からの侵入はなかった。……可哀想にな、叔母がお前を殺しちまったことで弟は“サイキッカー”に目覚めちまったらしい」
聞いてもいない言葉の羅列に整理がつかない。
リンドウが、叔母を殺した……? あの子にそんな惨いことできるわけがない。
サイキッカー? 耳にしたことはあるが、いまいち理解していない。
男の言葉の意味を理解できないままに、マリカはただ黙すしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます