第2-7話

 しばらく父と並んで歩いていた。お互い会話は切り出さずに、無言のまま田舎道を直線に進んでいく。

 どこまでも続く田んぼ道。農作業を終えたであろう“黒い人影”の群れが、人らしい仕草で腰を伸ばしていた。

 景色は変わっているようで変わらない。直線に進んでいるというのに先が見えない。


(……変だ)


 やっと異常を異常と認識したところでマリカは足を止めた。自然と父の歩みも止まる。

 変だ、絶対におかしい。

 マリカはこの景色を知るはずがない。そもそも父と二人で歩いていること、これこそがまずおかしいのだ。

 だってマリカは“あの時”確かに両親を笑顔で見送ったのだから。泣きじゃくる弟を宥めて、仕事でしばらく留守にすると、家を出る二人をしっかりと覚えている。

 だってそれが、最後に見た両親の姿なのだから。


「マリカ、ちゃんと歩きなさい」


「お父さん、……ここ、変だよね?」


「立ち止まらずに歩き続けなさい。後ろを振り返っては駄目だ。前だけを向いて進みなさい」


 父の言葉にマリカは震えた疑問は投げかけた。けれど求めた言葉とは違う返事が返ってくる。

 繋がった右手を強く握りしめ、不安を訴えた。見上げた黒い瞳に父は無表情に映っている。


「変なんだよ、お父さん。……あり、えないんだよね。だって、私は……私は“あの時”ちゃんと二人を見送ったもの! こうやってお父さんと並んで歩いた“記憶”なんて、ない……」


「……マリカ」


「おかしい! ここは、ここは私の知っている世界じゃない!!」


 ――ここは、ここはどこ?

 ――夢を見ているの?

 ――私は、何で生きているの?


 ――“この人”は、……誰?


「……お父さん?」


 父の名は、なんて言っただろう。思い出せなかった。

 顔を俯かせ、マリカは長く息を吐いた。寒いと感じるのは季節のせいだけではないだろう。マリカ自身も緊張から冷え切っている。それに繋がれた手は氷のように冷たかった。


「……マリカ、すまない」


 機械的に繰り返すその言葉に、マリカは顔を上げた。紫色に変色した唇が震えてうまく言葉が吐き出せない。


「……お父、さんは、ずっと何に謝っているの……?」


 求める返事は返ってこない。

 父はマリカを横に向かせると、しゃがみこんで肩に手を置いた。白と黒の視線が交差する。

 雪のように純白の白い瞳はとても綺麗で、と同時に人ではない神々しさが垣間見えた。ずっと見ていると引き込まれてしまいそうになる。

 父はその瞳を隠すように瞼を閉じると、聞き慣れた柔らかい口調でマリカに応える。


「すまない、マリカ。お前達に私の業を背負わせてしまった。……本当にすまない」


「ごう? 何それ? お父さん、何を言っているの……?」


「マリカ、お前は何があっても立ち止まらず歩き続けなさい。いくら悔やんでもいいけれど、それを枷にせず進み続けなさい」


「お父さ――」


 置かれた手が離れる。その手が別れを告げるように背を優しく押した。

 振り返りそうになったところで、父の言葉が動きを制した。振り返ってはいけないと言っていた。


「お父さん、私、私は――」


 足が勝手に歩み始める。景色は混ざり合い、例えようのない色が一本道を形作った。


「マリカ」


 父の声が、気配が遠のく。振り向きたいけど、呼び止めたいけど、それはならない気がした。


 ――だって私は。


「マリカ」


 父の最後の囁きが耳に届いた。


 ――私は。


「目を、覚ましなさい」


 ――目を覚まさないと、いけない。



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