第2-5話

 白から反転して、黒に至る。

 気付けば夜だった。カーテンから薄明るい月明かりが透けて部屋を微かに照らしている。

 隣ではリンドウが穏やかな寝息を立てていた。何かの夢を見ているのか、口をもごもごと動かし反対側へと寝返るを打つ。

 夢から覚めた心地のマリカは、訳がわからず、といった表情で目を見開いている。黒く広がる瞳孔が猫そっくりで抱く必要のない警戒心に髪を膨らませていた。

 のっそりと起き上がり身なりを確認する。パジャマ姿だ。確かに眠っていたのだろう。

 時間を確認する。目覚まし時計を押せば明かりが灯り、暗闇に慣れた目に眩しく映った。大きな目を細ませながら確認した時刻は深夜十二時過ぎ。


(何で……。いつの間に寝たんだろう……?)


 昼間の出来事からこれまでの間の記憶がすっぽりと抜けている。

 あれから疲れて今まで寝ていた、という感じでもない。

 あり得ない話だが、場面場面記憶が飛んでいるかのような、そんな気がした。

 すぐに何を馬鹿な、と思った。けれど頭にこびり付く違和感がマリカに得体の知れない不安を抱かせている。


 ――最後に見た光景は何だっただろうか?


(思い、だせない……。昼間のことなのに)


 本当に昼間? 夕方ではなく?

 何をしていた? ホットケーキを食べていた?

 いや違う。違う? 本当に?

 最後に見た光景は、家族の団欒?

 否、否。最後に見たのは。

 ――目が覚めるような、赤。


「……うあぁああっ!!?」


 脳天に雷が落ちたと錯覚するほど強すぎる衝撃がマリカを襲った。

 深夜だというのに絹を裂くような鋭い悲鳴を上げる。迷惑だの何だの気にしていられなかった。全身から冷たい汗が噴き上がり、鼓動が早鐘を打ち鳴らす。指先から体温が失せ、氷のように白く冷え切っていた。

 体が何故そのような異常をきたしたのか、マリカには“わからなかった”けど、ただただ怖かった。

 両腕で小さな体を掻き抱く。自分を落ち着かせるように。けれど、そこでまた違和感が駆け抜けた。


(……? 体が何か……?)


 いいや、と否定するため左右に首を振った。

 体がいきなり成長している、なんてことあり得るはずがないのだから。

 これはもしかしたら夢なのかもしれない。先の悲鳴でもリンドウは起きないし、記憶が飛ぶなんてこともあるはずがない。

 なんて意味不明で、酷い夢なのか。

 マリカは貧血に似た立ちくらみを覚えながらも、夢見を変えるため、そっと布団から抜け出して部屋から出た。


 部屋から出るとどこまでも暗い。

 慣れている我が家だというのに電気すら見つけられない。

 そんな異常を異常とすら思えず、マリカは導かれるように暗闇をただ進む。

 ぽつりと黒に光が灯った。話し声が聞こえる。両親のものだ。

 直線に進んだはずなのに、気付けばマリカは一階の両親の部屋の前で立ち止まっていた。

 階段を降りたわけでもないのに、どうやってここに着いたのだろう。わからない。

 両親の部屋だけ明かりがついているけれど、その光は周囲の闇を少しも照らさない。

 やはり異常に気付くことなく、マリカは自分でもわからぬまま両親の話し声に耳を傾けていた。


「もう――――じゃないと、……また――」


「………――――」


「せめて――だけでも……――」


「――――――」


 母のものと思しき声が途切れ途切れに聞こえる。会話の相手は父だろうに、父の声は全く聞こえない。

 というよりも、何か変だ。まるでテレビに映る砂嵐の音が扉一枚の間に隔たり、会話を聞かれるのを邪魔しているように思える。

 まさかこんな深夜にテレビの砂嵐を見ているわけではないだろう。いくら自慢の両親といえど、そんな場面に出くわせば少しぞっとしてしまう。


「―――――」


「――…………」


 いよいよ二人の会話は雑音に追い立てられてしまった。

 何を話しているのだろう。純粋な子供心と、悪い夢に怯えたマリカは求めるように両親の部屋の戸に手をかけた。


 ――瞬間。


「マリカ」


 ぴたりと音が止み、白と黒に隔てられる静寂に父の低い声がどこまでも響いた。

 マリカは戸を開けることも、返事をすることもしなかった。直立不動の態勢で父の次の言葉を待つ。――聞かなければならない気がした。


「……マリカ、すまない」


 何を、と思う前に目の前の光が消え失せ、闇に浸食される。

 と、同時にマリカの意識も急速に消えていった。

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