第2-4話
「えーっ! また引っ越しするの!?」
不満の混じった声が今日何度目かの重なりを見せる。先程までの気遣いはどこに行ったのやら、双子の姉弟はその声色に明らかな憤りと非難の音を響かせた。
「今年でもう四回目だよ!? なんでそんなに引っ越ししなくちゃいけないの!」
学校にもようやく慣れ、友達だって増えたのに。とマリカが駄々を捏ねる。
「ここだってまだ一か月もいないのに……。僕、ろくに友達作れてないよ……!」
普段文句のひとつも言わない引っ込み思案のリンドウですら、小さな頬をぷっくりと膨らませ反対の意思を示した。
穏やかな午後のひと時がぴりっと辛みの帯びた空気を纏う。
だがそれも幼い二人だけの話で、母であり妻であるナズナだけは短く息を吐き長い睫毛を伏せた。
「わかったわ。今日中に支度する。いつでも出れるようにしておくから、心配しないで」
母の口から出た言葉は、はっきりとした了承。母ならそう言うだろう、とわかりきっていたものの腑に落ちない思いが胸に溜まり、ごわごわとした息苦しさとやるせなさを覚えた。
この二人はいつもそうだ。自慢の両親の欠点を上げるならば、こういう大事なことを勝手に決めてしまうこと。
大人だから、親だから、と説明されて、はいそうですか、と素直に頷けるほどの単純さはこの時ばかりの二人にはなかった。
何せ今年に入って四回目の引っ越し。その度に学校も変わり、一から馴染むのには子供でも相応の努力が必要になる。マリカはともかくとして、大人しいリンドウからすれば、それはなかなかの苦行に等しい。性格は違ったとしても、自分の片割れの思いなどマリカにはお見通しだ。
それをまたやらなければならないのか。ここに来てまだ一か月も経っていないというのに。
父の仕事が忙しく、都合で引っ越しをしなくてはいけないのはわかっている、わかりきっている。
けど、それでも納得できないのは二人が小さな子供故か。
「嫌だ嫌だ! 引っ越ししたくないっ! 今度友達と遊ぶ約束してたのに!」
「僕だって……! 嫌だよ、引っ越し嫌だ!」
半ば喚きにも近い訴えは、しかしそれ以上の音によって掻き消された。
裂くような音は母が思い切りテーブルを叩いた音で、振動で皿やナイフが反響してリィンと冷たく鳴いている。
冷たい水を思い切りかけられたような心地だった。思わず姉弟の息は小さくなる。
恐る恐る母親を見上げると、黒真珠のような光沢ある瞳が申し訳なさそうに細められていた。
「……ごめんね、大きな音を立てちゃって。驚いたでしょう?」
無言で頷く姉弟を母は両腕をいっぱいに広げて思い切り抱きしめた。
両肩に瓜二つの顔が揃う。母の髪はお日様のようないい匂いがした。
「あなた達に無理をさせているのはわかってるわ。……でもわかって。……大事なことなの、必要なことなの。だから、ね?」
掻き抱く力が強くなる。母の横顔すら見えないほど。ただ切なそうに流れる黒髪がやけに目に入った。
すん、と小さく鼻を啜る音がする。マリカでなければリンドウでもない。であれば、母なのだろう。今、どのような顔をしているのか。想像するとマリカは思い出したように申し訳なさで息が詰まった。
「お母さん、……ごめんなさい」
「泣かないで、お母さん……」
リンドウも気付いて同じ思いに至ったのだろう。泣き虫な弟は母より先にぼろぼろに涙を零し頬を濡らしていた。
「……ふふ、優しいのね二人とも。泣いてないわよ、ちょっと鼻が詰まっただけだから」
そう言って離れた母の目元は少し赤い。暖かく優しい手が、わかってくれてありがとう、と言わんばかりに頭を撫でてくる。
もう、何も言えなかった。
ふと、マリカが視線をずらすと、彫像のように佇んでいる父が目に入る。
ざらり、と。得体の知れない奇妙な感覚に襲われた。脳の奥で何かが音を立てている。
その音が何を意味しているのかマリカにはわからず、ただそこにいるだけの父をぼうっと見つめていた。
(お父さん、何で何も言わないんだろう? “前”は何か言ってたのにな……?)
前、とは何だろう。いつのことだろう。
次第にぼやけ始める意識の前ではろくに考えが纏まらなかった。
ただマリカの目に映る父が、やはり困ったように少しだけ眉を下げていたのが印象的で。
空気に溶けて消えてしまいそうなほど儚い色をした父は、薄い唇を緩慢に動かして、マリカに告げる。
「……マリカ、すまない」
何を、とすら言葉をかけられずに、マリカの視界は真っ白な光に奪われた。
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