第2‐2話

 脳天からつま先まで雷を打たれたような鋭い衝撃が少女の体に飛来した。

 何が起きたかわからない。ただ細かく痙攣する体とだらしなく空いた口から意味のない呻きが零れ落ちた。

 いったい何が起こったのか、自分はどうなっているのか。まるで訳が分からなかった。

 次第に混乱が収まりつつある視界に見慣れたような、懐かしいような景色が映った。


 淡い色をしたカーテンが柔らかい日差しを受け、橙に色づいている。少し開けられた窓からは陽の匂いを引き連れた暖かい風が部屋の中をくるりと舞っていた。

 部屋の隅にある二人分の勉強机、床に散乱したおもちゃ箱の中身、閉じられたクローゼットにはきっと二人分の布団がしまわれているはずだ。

 そして部屋の中央には風に捲られた"手作りの絵本"が最後のページを語っている。

 ヒーローがお姫様を助ける話。

 少女の黒い瞳が驚愕に見開かれた。

 淡い桃色の唇が動揺を隠せずに細かく震える。

 その絵本を少女は知っている。だって自分で書いたものだから。

 でも、なぜその本がここに? 自分は何で――。

 少女の自問とは裏腹に目に飛び込むもの全部が少女の記憶を揺さぶった。

 この家を、この部屋を少女は知っている。暖かな記憶を、優しい思いを幾度となく感じたそこはしかし、既に"過去のもの"であることも、知っている。


 少女は緊張に汗ばむ手で自身の顔に触れた。骨ばった頬骨の感触ではなく、柔らかく弾力のある頬が指先を押し返す。続けるように触れた髪は柔らかで艶のある綺麗な黒髪だった。


 ……ここは、“どこ”だ? 私は“誰”だ?

 穏やかな気温にも関わらず、背中が薄ら寒い。じっとりとした気持ちの悪い汗が筋を作って背を滑り落ちていく。


(これは、過去の記憶? ……走馬燈ってやつなの……? だとしたら私は、……私はあの時に……)


 寒い、怖い。でも確かめずにはいられない。

 少女は、震える手で首元に手を伸ばそうとして――。


「……お姉ちゃん? どうしたの?」


 幼い呼び声に詰まった空気が肺に押し戻される。ひゅうっと喉に空気が流れるのを感じながら、――マリカは声の主に目を向けた。

 そこには今の自分と瓜二つの容姿をしているだろう少年が立っていた。

 柔らかな癖のない黒髪に、同じ色をした黒い瞳。愛らしさが存分に残る顔立ちは歳より幼く見える。いや、それはきっとマリカが彼を“弟”として見ているからだろう。

 自分の半身、片割れ。唯一にして最愛の、双子の弟。

 マリカの顔を見るなり心配したように細い眉を下げて、子猫のようにリンドウは擦り寄ってくる。丸く大きな瞳が下から伺うようにマリカをそっと見上げた。


「お姉ちゃん、具合悪い?」


 その瞳に暫し感情を奪われる。自分を案じたであろうその一言は何の変哲もない素直さからくる言葉だったはずなのに。

 どうしてか。今さっきまで考えていたことが何もわからなくなってしまった。

 ぼやけた思考で返事はままならず、リンドウは再度姉に具合を尋ねる。


「……いや、大丈夫。なんともないよ」


 そう、なんともない。具合が悪いわけでも、何かを深く考え込んでいたわけでもないのだ。

 たださっきまでリンドウとここで絵本を読んでいた。そしておやつの時間になって下に降りるはずだった。けれどマリカが少し遅れたのを気にしてリンドウが戻ってきた。


 それだけだ。


「今日のおやつはホットケーキだって。早く行こう!」


 ふにゃりと表情を緩めてリンドウは笑う。マリカもつられて微笑むと、手を繋いで下の階へと降りて行った


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