第10話 魔法使いの楽屋裏
「……暇だ」
ミランは天井を見ながら独り
〈森の王〉との戦いから数日が経過した。その時に受けた傷はまだ完全には癒えておらず、
その言に従って日がな一日静養に努めていたが、そうそう何度も寝られるものではない。すっかり目が冴えてしまっていた。
かといって、体調は万全と言い難いのも事実だ。暇を潰すために動き回って傷が悪化するようなことがあれば、ファウナと約束した神域探索に支障が出るかもおそれがある。
本でも読めたらいいのだが、生憎と彼は字が読めなかった。必然的に、物思いに耽るしか選択肢がない。
「……あの時の」
思い返すのは数日前の出来事。〈森の王〉と対峙したファウナの姿。動物学の賢人としてではなく、魔法使いとしての姿。
雪化粧の森を照らす青い燐光。全てを見通しているかのような眼光。自分の背丈の倍以上ある
「確か……〈我思う、故に我あり〉……だったか」
ミランはもぞもぞと上半身を起こし、あの時の情景をなぞった。天井に向けて腕を掲げ、ファウナが呟いていた文言をそのまま口にし――
「とお!」
ぴゅっと、手刀を斬る。瞬間、〈森の王〉の巨躯が真っ二つに――
「……できるわけないか」
苦笑を浮かべ、肩をすくめる。
無論、何も起こっていない。ただの物真似だ。
「……なにやっているんですか」
びくり、とミランの肩が跳ねる。
ミランの部屋の扉の隙間から、ファウナがじっーと見ていた。さながら物陰から様子をうかがう猫のように。
「い、いつからそこに?」
「暇だ、のところからですかね」
最初からじゃねーか、とミランは視線で抗議する。
「それで、どうしたんです? わたしの真似事なんて。魔法は怖いって言っていませんでした?」
ぱたんと扉を閉め、ファウナは笑みを浮かべながらミランのそばに歩み寄った。
その腕には温かな湯気を立てる桶。どうやら清拭に来てくれたらしい。
ここ数日、ファウナはいつにもまして甲斐甲斐しくミランの世話を焼いている。若い女に体を拭いてもらうのはどうにも気恥ずかしいが、主治医から安静を言い渡されている以上、拒否もできない。
「魔法を使っているお前が怖いだけで、魔法そのものには興味がある。人間という生き物にあんな力があるなんて、夢想だにしていなかったからな」
「……興味があるのは魔法だけですか?」
ちょっとだけ拗ねるような口調。
「? そういう話をしているんだが……」
本当にわかっていなさそうなミランに、ファウナは小さい溜め息をこぼす。
「まあ、ずっと横になっているのも退屈でしょうし、いいでしょう。たまには生き物以外の話もしましょうか」
よっこいせ、と年寄り臭い声をあげてファウナが隣にちょこんと正座する。
「え?」
「魔法について知りたいんでしょう?」
「あ、ああ。聞かせてくれるなら、ありがたいが……でも、お前は魔法はあんまり好きじゃないだろう?」
「その生き方を捨てた立場ですからね。ですが、ミランさんの知りたいという気持ちを無碍にするのもどうかな、と思いまして。ただ……」
「ただ?」
ファウナがずいと顔を近づけた。
「オチとかありませんよ? 本当にありませんよ? フリじゃないですよ?」
鬼気迫る表情で、何度も念を押すようにファウナ。ミランに、というよりは、ここにいない誰かに断っているようにも思える。
無論、気のせいだろうが。
かくして、ファウナの魔法講座が始まった。
「魔法というのは、一言で言うと『認識』と『観測』によって物理現象を操作する技術です。意志の力で世界を変革する術、とも呼ばれます」
いきなり壮大な結論である。
どうして認識と観測で現象を操作できるのか。そこからして、既にミランの理解の範疇を超えていた。
「前提として、我々は世界を正しく認識できていません。五感で捉えている像は完全ではなく、世界には我々が捉えることができない角度が存在します」
「はあ」
「例えば、ミランさん。その位置から、わたしの背中を見ることができますか?」
「……そんなの見れるわけないだろう。お前、正面向いているんだから」
「その通りです。わたしの背中は、ミランさんの位置からは死角になっているから見えません。同じように世界にも死角があります。魔法使いはそれを『秘匿された角度』と呼んでおり、その角度を認識することが魔法の第一歩なのです」
ファウナの言う死角が単純な視野によるものではないことくらい、話の流れから推察できる。されど、ミランは首をひねった。
「それは矛盾していないか。認識できないものを、どうやって認識するんだ?
「認識できないのは、認識する方法を知らないからです。さっきの例えですが、わたしの背中が見たかったら、後ろに回り込めば済む話です。同じように世界の死角を見るのも相応のやり方があるんです。……もっとも、やり方を知らなくても人間は大なり小なり、それを経験していると思いますよ?」
「経験って……魔法を?」
「ええ」
「嘘だろ」
寡聞にして魔法とは炎を生み、冷気を放ち、風を巻き、稲妻を操るものとされている。ミランは十六年の人生において、炎を生んだことも、冷気を放ったことも、風を巻いたことも、稲妻を操ったこともない。
「ミランさんは狩りをする時、矢を放ちますよね。これまでの人生で何回も何回も。その中の一回くらい、放つ前から『これは当たるな』って直観したことありませんか?」
「……ある」
ミランは脳裏に該当する経験を思い浮かべる。一番身近なのは、セトゲイノシシを討伐した時のことだ。風下からの狙撃で心の臓を的確に射抜いた。それを可能にする技術があるのは事実だが、その時は『当てられる』という強い確信があった。そういった感覚は、決まって極度に集中している時に現れる。
「秘匿された角度を垣間見るのは、その感覚に非常に近いのです」
「ほう」
魔法というこれまで縁のない力の一端が、それほどまでに身近な感覚であることに素直に驚嘆の声が漏れる。
「人間は誰しも魔法使いの素質を持っているんです。ただ、そのほとんどが偶然と区別がつかないくらいの脆弱な干渉しかできないだけで。そして、偶然を必然に変える素質を持つ者が、ミランさんたちの想像する魔法使いというわけですね。
しかし、そういった一握りの才能を持った人間しか魔法使いになれないのは、やはり秘匿された角度を垣間見るのが一筋縄ではいかないからです。秘匿された角度を認識できるようになるためには……実は、これといった方法があるわけではありません。魔法使いたちもいかにして認識できるようになったのか、よくわかっていないのが実情です。かつて魔法が『特権』と認識されていたゆえんですね。現在、確実とは言えないものの、一定の成果を上げているのが瞑想法による覚醒です」
「瞑想?」
「はい。心を鎮め、雑念を排し、一つの物事に集中する。つまりは脳の遣い方の習熟です。人間は自分が思っている以上に、自分の頭を使えていないんですよ。そして、ある程度、脳を自在に扱えるようになると五感が研ぎ澄まされ、超感覚状態になります。そうなることで初めて、秘匿された角度を認識できるようになるんです。魔法使いが魔法を行使する時に覚える全能感はそこから来るものですね。魔法使いが聡明だというのは、常人よりも世界を正しく理解することができているからなんです」
瞑想という言葉に、思い当たることがあった。
「もしかして、〈森の王〉と対峙した時に、何か口走ってたけど」
「〈
儀式のようなものか、とミランは思った。猟においても、射撃は大いに精神面の影響を受ける。過去の最善の精神状態を再現するには、その時の状況を模倣するしかない。その時と同じものを食べたり、同じ服を着たり。そういったこだわりは、まじないとして彼の中に根付いている。
現在の魔法学では暗示の文言を画一化する取り組みが行われているが、それ以前の魔法使いの文言はかなり独自性が強い。珍しいものでは自傷行為によって超感覚状態になる例もあるのだとか。
「ですが、超感覚状態は長く続きません。極度に集中を強いた脳はすぐに疲弊してしまいます。なので、魔法には時間制限がある。魔法使いは一人で一個中隊に匹敵する戦力とされていますが、それでも軍の編成が魔法使い一色にならないのは、そういう理由があるからなんです。まあ、絶対数が足りないのが一番の理由ですけれどね。
さて、瞑想法による修行を経て、秘匿された角度が認識できるようになったら、次は観測です。これは意志とも言い換えられます。何せ、そこは見ることができないし触れられない場所ですからね。作用するのは意志のみです。角度を認識したうえで、こうしたい、という思いを投影することで世界に影響を及ぼします。魔法を指して、意志によって世界を変革する術と呼ぶのはそういう理由です」
「……例えば、そこいらに転がっている石に握り飯になれって思ったら、握り飯になるのか?」
あんまりといえばあんまりな例えに、くすくすとファウナが笑った。
「意志だけに? ふふ、そこまで万能の力じゃないですよ。ひょっとしたら物質変換の角度もあるかも知れませんが……もし、そんなことができるのなら、わたしは自分の体型に劣等感を覚えずに済んだかもしれませんねぇ」
相変わらずの自虐に、ミランは返答に困った。
「じゃあ、どんなことができるんだ?」
「炎を生み、冷気を放ち、風を巻き、稲妻を操る。物理現象を再現するのがせいぜいです。魔法学科では魔法を六系統と特殊系統に分類しています。加熱系、冷却系、流動系、放電系、重力系、光子系の六つ。そして、特殊系統にわたしの時空系ですね。魔法使いであればどれも使えるわけじゃなく、得手不得手があります。温度変化に関する角度の把握を得意とする人間もいれば、空間圧に関する角度の把握を得意とする人間もいます。実際、わたしも空間操作以外はできませんしね」
物理現象の再現がせいぜいとは言うが、ただの人間が道具もなしにそんなことができるというのが既に超人じみている。
「風を起こすのは流動系の専売特許ですが、空間に亀裂を入れることで真空状態を作り出せば、わたしも竜巻くらいなら発生させられるかもしれませんね。まあ、試すつもりもないんですが。下手に空間を操作したら、どこでどんな影響が出るかわかりませんし」
ファウナは恐ろしいことを呟く。
そこで、ふと疑問が生じた。
「……そもそもの話なんだが、なんで『魔法』って呼ぶんだ?」
魔法。
剣を使う法が剣法であることを考えれば、魔法とは魔を使う法か。
ならば、魔とは何か。
「文字通り、魔法が不思議な力なのはわかる。しかし、お前の言うとおり、誰しも素質があるのだとすれば、魔の字を当てるのはどうなんだ。お前たちは人間は悪しきものだと捉えているのか?」
ファウナはきょとんとした。
「……俺、なんか不味いこと言ったか?」
「いえ。さすがというか、なんというか、ミランさんは本質をついてきますね」
ファウナは感心しているようだった。
「名称についての由来はわかりません。わかりませんが……古の信仰には言霊の概念がありますよね。それは現代でも、一種の験担ぎとして面影を残しています。例えば、剣術家が身綺麗なのは、『
だとすれば、魔法にも元は別の意味合いがあったのではないでしょうか。
ミランが息を呑む。
魔法使いが神と人との狭間に立つ者なのだとすれば。
それは、ミランと――〔神狩り〕と同義ということだ。
「もちろん、だからってミランさんを魔、悪しきものというつもりはありません。ただ、この国の文化の移り変わりを考えると、そういう説もなくはないかなぁと思いまして……」
咄嗟に思いついた考えなのだろう、ファウナが照れたように笑う。
対照的にミランは神妙な面持ちになった。
「とまあ、概要はこんなものですかね。……わかりました?」
「ああ。とりあえず、俺には真似できそうにないってことがな」
自信満々に答えるミランに、ファウナは苦笑する。
「しかし、摩訶不思議な力かと思えば、意外とそうでもないんだな」
「ええ。言葉通りの魔法ではないのです。ですが、もしかしたら、ミランさんなら魔法が使えるかもしれませんね」
「まさか」
「あながち間違いじゃないかもしれませんよ。もし、魔法使いが世界との――神との合一なのだとすれば、そもそもにおいて人と神の狭間とされている〔神狩り〕だって似たようなものです」
言わんとすることはわかる。だが、それはあくまで文化的な類似だ。ミランはあくまで信仰の延長で神側に属している人間に過ぎない。
「どうかな。秘匿された角度なんて、見えたことないしな。だが、聞いている分には面白かったよ」
「益体のない話でしたが、少しでも退屈を紛らわせられたのなら何よりです」
にっこりとファウナが微笑んだ。
「さて、そろそろ体を拭きましょうか。せっかくのお湯が冷めて――」
ファウナが立ち上がったその時、ぷちり、と音がした。
するり、と法衣の裾から何かが落ちる。床に広がる三角形をした白い布は、どう見ても……下着だった。
「ちょ――」
ファウナの顔が真っ赤になる。
この時代の下着は左右を紐で結ぶものが主流だ。それが、切れている。
だが、なぜ、いま?
「……まさか」
ミランはぎょっと顔をこわばらせ、落ちている下着を手に取った。
先ほど、ミランはファウナの真似をした。空間を斬断する様を。そして、さっきの講釈で魔法という力そのものは身近にあるものだと知った。
だとすれば、本当に俺は魔法を使ってしまったのだろうか――
「恥ずかしいから広げないでください! というか返してくださいっ!」
まじまじと下着を観察するミランに涙目でファウナは懇願した。
断面をよく見てみるに、単に劣化のようだった。
ファウナの庭-外伝- 白武士道 @shiratakeshidou
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