エピローグ

アケビとイクコ

「おはよー、イクコ」

 二階から寝間着姿のアケビが降りてきた。寝癖をつけたまま欠伸をしている。

「おはよーって時間じゃないでしょ。何時だと思ってるの」

 イクコは既に昼食を作る準備に入っていた。ご機嫌な日曜日。リビングへ向かうアケビに新聞を投げ渡す。

「もう少しでオムライスできるから。それまでに顔洗ってきなよ」

「うーん」


 アケビが新聞を広げる。イクコは朝の内に読み終わっていた。あれから数か月が経ったが、今のところダチアとセペットの存在を匂わせる記事は見つかっていない。

 もっとも仮に県警が彼女たちを捕らえたとしても、それが表沙汰になることはないだろうが。

「休みだからって夜更かしするからだよ。ゆうべは何してたの?」

「うーん……荷造り」

「荷造り?なんでまた」

 また友達と出かけるのだろうか。それとも今度は旅行だろうか。

「イクコのもまとめてたから時間かかっちゃってさ」

「……はぁ?」

 キッチンを投げ出して二階へ上がる。箪笥の中に入っていた衣服や、丁寧に陳列していた本棚の本がダンボールにまとめられてしまっていた。


「あああああ!何してくれちゃってんのバカアケビ!」

「ちょっとイクコ!オムライス焦げる焦げる!」

 一階に駆け下り、コンロの火を止めるアケビの頭をチョップで殴る。

「ぼく聞いてないよ!信じられない!なんでそういう勝手なことしちゃうかなあ!」

「あれ、あたし言ってなかったっけ?」

「聞いてない!」

 するとアケビはしぶしぶといった具合にスマートフォンを操作し、こちらに画面を寄越してきた。

「……なにこれ、島の地図?」

「この島でネクティバイトが見つかったって情報が入ったの」

「…………どこ情報?すっごい眉唾じゃない?」

「そんなことないって。こないだ高良さんの聴取に応じた時、思念読んですっぱ抜いたんだからさ」


 依然として県警には、《レット・ミー・ヒア》の能力は隠し通せているようだった。代わりに《ジェミナイ・シーカー》の存在は把握されてしまっているが、貴重な能力者情報を得られる点ではそちらの方が都合よかった。

「まさかと思うけど、おねえちゃん」

「そう、引っ越してあたし達がゲットするわけ。放っておいて『タランドス』とか桐生一派に取られたら立場が悪くなっちゃうからね」

「無茶苦茶だよ!学校になんていうの!手続きは?」

「学校にはもう転校手続き出したし、役所にも転出届出したよ。住民票取ったからあとはあっちで処理するだけだし」

 無駄に手際が良かった。めまいに襲われる。

「はぁ……せっかく日常に戻れたと思ったんだけどなあ」

「なーに、旅行気分で行けばいいんだよ。あいつらだって大っぴらには暴れられないだろうしさ」


 そうは言われてもなかなか気が乗らなかった。両親を含めた家族との思い出が詰まっているこの家を、一時的にとはいえまた引き払うのは、忍びなかった。

「お願いイクコ!あんたの力が必要なの!あとイクコがいない生活とかほんと無理。あたしが死ぬ。さびしぬ」

 そう言われると弱かった。たった一日いなくなるだけでアレルギーのような拒絶反応を示すのだ。

 あの調子だと彼女なら本当に死にかねなかった。

「……しょうがないなあ。分かったよ。おねえちゃん放っておくとすぐ無茶しちゃうからね」

「ありがとうイクコ!大好き!」

 そう言ってアケビはイクコに抱き付いてきた。さらに頬にキスまでしてくる。


「なっ……!」

「そういうわけだから、午後からは色々買い出しするからね。今回は引っ越し業者頼むから荷物の量は気にしなくていいし!」

 そう言ってアケビは洗面所に走っていった。人の気も知らないで、とは思ったが、現金なことにイクコの憂いは吹き飛んでいた。


 どこであろうともアケビとならうまくやっていけるだろう。家は箱でしかなく、住所は記号でしかない。

 無鉄砲で、軽率で、感受性が乏しい姉の"楔"を務められるのは、自分しか居ないのだという自負がイクコにはあった。


「それで、その島はなんて名前なの?」

「えっとねー、たしか──」


 アケビとイクコの"今日"は続く。あの日から地続きの、それでいて決定的に成長した姉妹は、今日も日常を保つために人知れず戦っている。

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オペレーション:ネクティバイト つくもしき @TsukumoShiki

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