第4話

 息が止まりそうになった。ドアの向こうに立って穏やかな顔を向けていたのは、警官だった。大きく目を見開いて棒立ちになってしまった僕に、警官はごく普通に、

「あ、恐れいいります」

 と頭を下げたのだ。

 …なんで警官がいるんだ。まさかこの警官が電話のあの変な声の主…?

 息をつめて警官を凝視する。相手もじっとこちらの顔を見ている。

そこで僕は初めて少女が一人立っているのに気づいた。彼女はひょこっと頭を下げて、すっと僕に向かって両手を伸ばした。

「バッグもらいにきました」

 屈託のない表情は、僕がいったいここに何をしにきたのかも忘れてしまうくらいの明るさだった。まさか、この子が犯人の仲間?この子が加奈子?

「確かにこの鞄なの?」

 警官が少女に聞いた。

「はい」

 彼女は茫然として鞄を持ったまま立ち尽くしている僕に、少しだけいらついたように眉を動かして、自分から手を伸ばし鞄を取り上げた。

「中身の確認とかしなくていいのか」

 警官が僕に聞く。

「え」

 戸惑う僕に女の子が

「間違いないです。これがお母さんの忘れ物のバックです。一人で取りにくるの心配だからおまわりさんに着いてきてもらったんです。びっくりしました?」

「あ、いやその…」

事情がまったく呑み込めない状態のまま、僕は聞いた。

「…加奈子さん?」

「はいそうです。ありがとうございました。」

 少女はぺこりと頭を下げて、そのまま駆け足であっという間に立ち去ってしまった。

唖然とする僕の前で、「では失礼します」と警官は頭を下げ去っていった。

確かにあの子だけなら簡単には渡さなかったかもしれないし、第一犯人が速効出てきて彼女を確保するだろう。とにかく元の場所に戻らなければ。ドアを開けたとたん、予想通り羽交い絞めにあった。

「どういうつもりだ!何なんだ、あの警官は!」

興奮する犯人に僕は今起きたことを説明した。

「なんだって?!」

「見てたでしょ。金を受け取っていったじゃないですか」

「子供は加奈子じゃない。加奈子は大人だ」

「なんですって?だってあの子は確かに――」

 犯人は動揺している。その時、カーテンの影からガン!と大きな音がした。


『金無事受けとった。うまくいったでしょ』

『わかってる。もうすぐ警察が来るだろう』

『じゃあ大丈夫ね。とりあえずそっから出てくるまで金預かってるわ』

『ちゃんと持ってろよ』

『えらそうに言うな。こっちは命がけだったんだから。礼はたっぷりよこせよ』

『わかった。今度ハンバーガーおごる。』

『ディズニーランド連れてってよ。デートしようぜえ』

『ええー それはご勘弁』


―僕―

 落としてしまった携帯を慌ててつかみ、僕は犯人を前にくぎ付けになった。

「なるほど、おまえの仕業か」

 僕は首根っこをつかまれでカーテンの影から引きずり出された。

「手を出すな!」

 銀行員さんが駆けよってきた。犯人がそれを蹴り倒す。うめいて倒れる銀行員さん。

「このガキ!加奈子をどうした」

 僕は恐怖に引きつった顔で首をぶんぶん振った。犯人は僕に気を取られていた。隙ができた。後ろから銀行員さんが飛びかかった。同時にその他大勢の人たちもまとめて突進してきた。ショックと安心したのとで、僕は気を失った。たくさんの人の足音が入ってくるのが聞こえた。


――僕――

 あれから一週間がたった。思い出したくもないくらい、恐ろしい経験だった。犯人は捕まり、仲間の女の人も捕まったようだ。

 あれから一度だけ、銀行員さんと話したことがあった。塾に通い始めた僕が通りを歩いていると、呼び止められたんだ。喫茶店でジュースとケーキをごちそうになりながら、僕と銀行員さんはお互いの無事を喜んだ。

 そして、その時銀行員さんが変なことを言ったんだ。

「犯人の仲間の女を追っ払った少年のことだけど。知ってる子――じゃないの?」

「いいえ知りません」

「まったく?」

「はい」

「じゃあ、そのお――銀行に電話がかかってきたよね。あの電話は子供からだったんだけど――こころあたりない?」

「ありません」

 僕は戸惑った顔を向けた。

「なんでですか?僕何か疑われてるんですか」

 銀行員さんは慌てて首を振る。

「いいや、そんなことないよ。でも、ほら、あの女の子、どこの誰だか全然わからなくて、みんな探してるもんだから」

「僕の所から裏口は見えなかったんで」

「そうか、そうだよね。いいや、いいんだ。でもまるで、その子供たちの行動が、銀行の中の様子をその場で見ているみたいな感じだったんで、もしや君がメールで友達に何か教えていたりしたのではないかと思って」

「…すいません。せっかく携帯渡してくれたのに、何にもできなくて。警察に電話しようとしたんですけど、でもどうしても声だすと見つかっちゃいそうで、怖くてできなかったんです」

「そりゃそうだよ。あの状況で電話は無理だ。でもメールとかラインなら…」

「僕メールもラインもできないんです」

「え」

 銀行員さんがびっくりしたようにコーヒーカップを持つ手を止めた。

「できないんです。携帯は中学に入ってからって言われてるし。やり方は友達の借りたこともあるんで、なんとなくわかりますけど。でもあの時はお兄さんの携帯だったし、誰のメールアドレスもわかりませんし」

「…そっか…そうだよな」

「でも、僕なりになんとかしようと思ったんです。助けを呼べないか。誰かに伝えられる人はいないか。何か方法はないかって一生懸命考えたんです。で、知らせたんです」

「知らせたって、誰に?」

「塾の中学生です。ほら、銀行の前に塾があるでしょ。向こうもガラスで、こっちもガラスだからお互いに見えるです。ちょうど窓際の席に座っていた中学生のお兄さんがこっちを見てたんで――あ、偶然じゃないんです。まだ事件が起きる前、僕が外を見てた時、その中学生が僕がいるのに気付かないで、ガラスを鏡代わりにして髪の毛を整えてたのを、僕が笑ってしまったんです」

「その…中学生が…」

「はい。強盗のことを誰かに知らせようとキョロキョロしてたら、その中学生が窓際に座ってたんです。僕がじっと見てたので気付いたのかもしれません。チャンスだと思ったんです。それで僕は手元にあったノートにシャーペンで書いたんです。今銀行強盗が起きていることを」

「…そういえば君、絵をかいて…」

「はい。シャーペン拾ってもらいましたよね。シャーペンの線だけでは細くて見えづらいと思ったんで、何度もなぞってマジックくらいの太さにして」

「それで、通じたの?」

「はい。確かに目をこうやって細めて読んでいました。すぐに携帯を取り出してメールを打っているような感じだったので、警察に知らせてくれたんだと思いました。何度か向こうもノートに『犯人の人数は?』とか『人質は?』とか様子を聞いてきたので、僕も詳しく教えました」

「…歩いてる人とか、気づかなかったのかな」

「ちらっと見た人はいましたけど、誰も足を止めてはくれませんでした。僕も塾の方見てましたし、遊んでると思ったんじゃないですか」

 銀行員さんはしばらくぼんやりとして何も言わなかった。もしかして、このお兄さんはあの中学生の存在を知らなかったのかな。じゃあ途中で警官がやって来て人質たちを助けたのは、あの中学生が知らせてくれたからじゃないのか?母親は事件のことをほとんどしゃべらないし、回りの人も気を使っているのか、あんまり話題にしない。そういえば電車の中でちらっと漏れ聞いた話の中に、お金が足りないとか、取られたとか、そんな内容があったような…。

 それ以来銀行員さんとは会っていない。


塾に入ってすぐに隅の階段から生徒が三人降りてきた。

「あ」

「あ」

 お互いちゃんと会ったのは、事件以来初めてだった。誰だかわからなかったので、ちゃんとお礼を言っていない。

「あのこないだは―」

言い終わらないうちに腕をつかまれ廊下の隅まで引っ張っていかれた。そして連れの二人の友達に

「おまえら、そっち向いて先生こないか見張っててくれ」

 そう言って友達を僕の後ろに立たせた。三人に取り囲まれるような形になった僕に、中学生はにんまりと笑って言った。

「警察へ連絡するのが遅くなってごめんな。怖い思いしたろ」

 そして自分の鞄の中をごそごそひっかきまわしていたかと思うと、一万円札の束を取り出した。

「ほら、やるよ。がんばったご褒美。親にも警察にも誰にも内緒だぞ」

 ぽかんとしている僕に、お金を押し付けて、中学生は僕の側から離れた。

「さあコンビニ行こうぜ」

 塾を出て行きながらの三人の会話が聞こえてきた。

「そういえばおまえ、残りの金どうしたの?」

「そう。私らに十万ずつくれた残り。全部あんたのもん?」

「おまえ金持だからいらないだろ」

「うん。全部外国の子供のための、なんとかっていう募金に寄付した」

「なんだそうなの。で、今日は何のおにぎりにする?」

「そうだなあ――たらこ――」

 そのまま三人は出て行った。残された僕は掌の金を数えてみる。十枚あった。

 薄々はわかっていたけど、やっぱりそうか。

 手の中のお札をみつめながら、そういえば新しいゲームソフトが出るなあとぼんやりと考えた。

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カーテンの影から suzukichi @gogyo

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