第3話

――僕――

 突然滑りこんできた携帯を握りしめたまま、僕の手はまだ震えていた。今、目の前のカーテンの向こうで起きている出来事は、テレビの画面の向こうの出来事のようで、まるで現実味がなかった。半分夢のような世界に現物である携帯が飛び込んできたことで、その境目は破られた。

 僕はどうすればいい?あのお兄さんはこの携帯で僕に何をしろというんだろう。警察に知らせろってことなんだろうか。そうだよな、普通に考えればそうだよな。でも――でも――

 僕は外を見た。車が停まっている。運転席の女はこっちを見ていないだろうか。僕らがこんなに怖い目にあっているのに、あいつはあそこでのんきに座ってるんだ。もうじき仲間が大金を持って出てきて、まんまとあの車に乗って逃げていくんだ。そう思うとなんだかとても腹ただしくなった。僕は辺りを見回した。携帯を見詰めながら、知ってくれる可能性のある人物たちを思い浮かべた。メールとかラインとかできればいいけど…


『お前今どこ?塾行く途中だろ?』

『コンビニでおにぎり買ったとこ』

『銀行強盗に遭遇(×о×)』

『何のゲームやってんの』

『マジな話だ。えらいことに巻き込まれたみたい。犯人は拳銃持ってるんだ』

『警察に電話すれば』

『声出せない状況。それに警察なんて絶対間に合わないような気がする。だからおまえにお願いがあるんだ――』


 ガラス戸を通しても、外の声は十分に聞こえる。少年が一人通りにやってきた。彼はこちらをちらりと見たかと思うと、ちょっと口元に笑みを浮かべた後、いきなり犯人の車を指さし大声をあげた。

「イテェ!この車にぶつけられたあ!」

そしてお腹を押さえてしゃがみこんだ。まわりの人たちがいっせいに注目する。一番驚いたのは犯人の車の女だろう。

「警察呼んで警察!」

 少年は叫ぶ。みんなが立ち止まり、誰かが携帯を取り出した。注目の中、車はすぐに発進した。

「逃げたぞおー」

 誰かの声。当然だ。逃げるしかない。

 

『追っ払い成功』

『お役目ごくろう』

『こっちは命がけだったんだぜ。礼はしてもらうぞ』

『明日アイスおごるよ』

『しょぼいぞ。せめてデカ盛りパフェにしろ』

『承知』


『おまえ今どこ?家の手伝い中?』

『買い物頼まれたとこ』

『じゃあ今外だな。ナイスタイミング』

『遊べないよ』

『こっちも遊べない。実は銀行強盗に遭遇』

『警察に言え』

『嘘じゃない。もし嘘だったらオレの好きな女子の名前校庭の真ん中で絶叫する』

『マジか。私にどうしろっての?』

『ちょっと協力してほしい』

『危ないことは嫌だよ』

『大丈夫。言うとおりにしてくれれば――』


――行員――

 札束をつめた鞄をもって、人質を引きずるようにしてドアまで向かった犯人が、外を見たとたん、目を見開いて立ち尽くした。トラブルが発生したようだ。

その時、突然電話の音が鳴り響いた。犯人も含め、その場にいる全員が硬直して鳴っている一台の電話を見つめた。電話機を見詰めたまま誰も出ようとしなかった。かなり時間が過ぎても、電話は一向になりやまない。

「おまえ出ろ」

 しびれを切らしたのか、犯人が僕を睨んだ。

ゆっくりと手を伸ばして受話器を取る。

「余計なことはしゃべるな」

 僕はうなずいた。顧客か取引先かの業務関係の電話だと思っていた。しかし耳に飛び込んできたのは想像もしていない奇妙な声だった。

『もしもし』

 それはヘリウムガスを使って出された甲高い子供のような声だった。予想外の声に戸惑ってしまい、声を出すのを忘れていた。

『もしもし、聞こえてる?返事してよ』

 男とも女ともつかない不思議な声は、少しいら立っているようだった。

「あ、ああ、はい、聞こえてます」

『オタク犯人?』

 息を飲んだ。こいつはこの状況を知っている。誰だ?いったい。

「い、いえ私は銀行の者です…」

『じゃあ犯人に代わってよ』

「え」

『いいから犯人に代わってよ』

「わ、わかりました」

 僕は受話器を耳から外して、犯人の方を向いた。息を殺してこちらを凝視している犯人に言った。

「電話です」

犯人が目をむいて体を硬直させた。当然だろう。僕は電話の相手に向かって言った。

「驚かれてます」

『だろうねえ。じゃあこう伝えて。仲間の女を預かったって』

 そのとおり伝えたとたん、犯人は顔色を変えて受話器をひったくった。

「誰だ、おまえ!加奈子をどこへやった!」

 犯人は鞄を抱えたまま、今や真っ青な顔で相手の言うことに聞き入っている。預かったってどういうことだ。仲間割れってことか?

電話を切ってから、犯人はもう銃を構えているのがやっとなほど気力も失ったようにふらついていた。いったい何が起こったんだ。この展開は僕たちにとって吉なのか凶なのか。

 犯人は僕を手招きした。そしてさっきの電話の内容を、驚くべきことに語って聞かせたのだ。


『犯人?あのね、仲間の女は預かったから。車で待ってた人だよ。言うこと聞いてくれたら殺さないで返すから。今そこにお金あるんでしょ。いっぱいもらったでしょ。その中の百万でいいよ。ちょーだい。今から五分後に取りに行くから、銀行の裏口まで持ってきて。あ、そうだ。女の人の鞄がいい。誰かの鞄借りてそれに百万入れといて。それを銀行の人に持たせて。じゃね、いたずらじゃないよ。五分後裏口を開けてくれなかったら、絶対女の人は帰ってこないからね』

「時間がない」

 犯人は、鞄をあけて

「この中から急いで百万数えて出してくれ」

 と叫んだ。言われるままに、僕は100万数えて取り出した。その間に犯人が女性客の鞄をひったくり中味をぶちまけていた。そこに100万を詰め込む。それを僕に差し出した。

「おまえ行ってくれ」

必死の形相だった。どうやらさらわれた女性はよほど大切な相手みたいだ。行くしかなかった。他にまかせる相手なんかいない。

 僕は黙ってうなずく。

「わかりました」

「このドアの影から見てる。へたなことをすると人質を殺す」

「わかってます」

 鞄を握りしめ廊下へ出るドアを押した。廊下を少し進み振り返ると、隙間から犯人が見ていた。今誰か襲いかかればいいのに、と思わないでもなかったが、行員たちはカウンターの中にいる。フロアにいるのは女性と老人だった。

裏口のドア、そこを開ければ誰かがいるのか。ドアのノブに手をかけ静かに押し開いた。そこには――

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