人影はなくただ暗く染まる空を

朝凪 凜

第1話

 今この世界は滅びつつある。

 突然の流行り病で大人はあっという間にいなくなった。

 子供もいないけれど、本当にいないのかは判らない。

 外に出ないからみんなが何をしているかはわからない。

 前に少しで歩いたけど、人には会わなかった。

 街並みがただひっそり静まり返っているだけだった。


 幸いなことにインフラは自動化が進んでいたおかげで、電気水道はノーメンテで使える。しかしガスとインターネットは使えなくなってしまった。

 スマートフォンなどの電子機器はインターネットに繋がらないのでガラクタ同然になってしまった。

 充電はできるものの、何をするにもネットが必要で、時計とメモ帳くらいしか使い道がない。

 食料も無加工なら自動栽培されているから食べられるけど、自分でご飯を作らないといけない。

 しかし、不便な生活をしているわけではなく、質素ながら普通に暮らしている。

 住んでいる場所がこの高層ビルの中、ということ以外は。

 なので、特にすることもなく、日が沈んだら電気を点けることもない。

 最近は夜8時にはもう就寝して、朝6時に起きるという、本来の規則正しい生活。太陽がこんなにも素晴らしい生活リズムを作っていたなんて思いもしなかった。

 テレビやラジオはほとんど放送がなくなり、天気予報の自動音声だけが流れるだけだ。しかも0時には放送が終了するので深夜番組は一切なくなる。その時間に起きていることはまずないのだけれど。


 ぼんやりと眠ったままの頭をそのままに目を開く。今はまだ5時半。陽はまだ出ておらず、夜明け前の空にひと際明るい星が煌めいている。あれが明けの明星だ。

 基本的に起きてもやることがないから身の回りのことを覚えるということで時間を潰している。

 図書館は本を読み放題なので、最近は天体関係の本を読み漁っている。

 その前は料理の本を読んでいたけれど、料理の才能がないことが分かって、簡単なものしか作らなくなった。

 栽培しかしていないから肉や魚がないと思われがちだけれど、肉は培養肉を各自で作ることができるので、動物性たんぱく質もうまく摂ることができている。

 魚は釣りをするくらいしか食べる方法はないけれど。


 そのまま今日は何をしようかと考えていると陽の光が窓から差し込んでくる。

 この生活をしていると希望もないし、絶望もなくただぼーっと生きているだけなのだけれど、この朝日を見ると希望の光っていう気がしてくる。

 希望はやっぱりないのだけれど。


 朝起きるとまず発声練習。

 誰とも会わないからしゃべる必要がないので、しばらくしゃべらなかったら口を開けるのも面倒になって声が出なくなってしまったことがあった。

 それからは毎朝声を出すようにしている。

 カラオケなんて云うものもあるけれど、やはりネットが必要なので歌えない。曲も聞けない。だから覚えている歌を唄う。

 ただの一人もいないこの空間、いやこの世界でただ唄う。


 朝食は何だかわからない炒め物で済ませて、どこに行こうか逡巡する。

 たまにはパンを食べよう。パンの作り方を探そう。

 パンのために図書館へ出向く。


 そして、昼。

 肩を大きく落として図書館から出てくる。

 パンを作るのは無理があった。強力粉もない。酵母もない。作れなくはないけれど、面倒くさいのは苦手だ。

 ご飯みたいにサクッと出来る方が良いのだ。

 ふと、ビルの陰に動くものを見た……気がした。

 まさかとは思いつつも向かいの道路を渡りつつ――今だに癖で左右を見てしまうのだが――ビルとビルの間の路地へ入る。

 と、そこにはメイド型アンドロイドがいた。アンドロイドと云っても見た目は20歳くらいの人間そっくりだけれど、与えられたことに対して答えるだけのロボットだ。

「あなたは何?」

 倒れこんでいるアンドロイドに問いかけた。

「私は行動支援用アンドロイド。M718CV-IIIです」

 思いがけない返事があったけれど、行動支援用?

「誰の支援をするの?」

 周りには人なんていない。当然の質問だ。

「支援を必要とする人すべてです。あなたも支援が必要ですか?」

 なるほど、公共パブリック型というわけか。今まで一度も見かけなかったからもう全部いなくなったのかと思っていた。

「うーん、いらないといえばいらないけど、それじゃあ一人だし……」

 見ると動きが悪く、故障をしているようだった。

「そうだ。何ができるの?」

 自分の役に立つことが出来れば話し相手ついでになればいいかなという思い付きだった。

「ほとんどのことは可能です。料理洗濯家事掃除、あとは投げナイフ」

「投げナイフ? 何? 料理に使うの?」

 疑問は虚空に消えて暖簾のように吸い込まれていった。

「まあいいや面白そうだし、料理できるならやってもらおう」

「ただし、現在はほとんどの機能に障害があるため、修理が必要」

 動かない腕を見れば明らかだった。

「それじゃあ、修理しに行こうか」

「よろしくお願いします」

 そのアンドロイドは起き上がり、丁寧にお辞儀をした。

「修理できる人はどこかにいるの?」

 人に会うのも悪くないと思い訊ねる。

「不明。周囲十キロには修理可能なビーコンは存在しません」

 つまり近くにはいないってことか。

 今の生活にもだいぶ飽きてきたし、このアンドロイドと人探しの旅をするのも良いかもしれないな。

「近くにいたら判るようになるよね。それじゃあ行こう……ってなんか名前無いと呼びにくいな」

 名前がないことに気づいて悩ませていると

「名前はM718CV-III――」

「型名じゃなくて! 愛称だよ」

 呼びにくい名前は名前ではないのだ。

愛称ニックネーム。新規登録いたします。名称をどうぞ」

 うーん……と熟考して

「アルゴーかな」

 アルゴーとはギリシャ神話に出てくる船の名前だ。天体の本を読んでいたときに見つけて偶然出てきた名前だった。

「アルゴー。登録しました。以後、その名前で呼んでください」

「それじゃあアルゴー。出かけるよ」

 一人と一体が名前も知らない街へ歩き出す。

 さあ、旅に出よう!

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