いつまでも、どこまでも

悪路

第1話はしれ、はしれ

俺の名前は、田中太郎。平凡な普通の高校生だ。


オイちょっと待て。ブラウザバックすんのやめて。


まあ落ち着いてコーヒーでも飲もうや。俺も今まさに飲んでるから。



俺の朝がバタバタするのは割といつもの事だ。


起床時間も顔洗う時間も飯食う時間も家を出る時間もほぼ定まってる。

じゃあなんでバタバタするかって? 


理由は簡単で、時間ギリギリまでダラダラしてるからだ

今も家出る4分前からコーヒー淹れ始めたから

残り2分半で熱々のコーヒーを飲み干さなきゃいけない羽目になってる。


正確には制服の上着も着て家の鍵も閉めるから残り2分でコーヒーだな。

みんなはコーヒーは落ち着いて飲もうな。


時間の使い方が下手なんだろうな、多分。

いや、誰からも言われたことはねーけど自己分析はそんな感じだ。


ま、急いで時間通り学校に行った所で面白い事なんて何一つ無いんだけどな。


クラスのリア充連中からは思いっきりいじめられてるし、ろくな友達もいない。教師の受けも微妙。

勉強もスポーツもダメって訳じゃないが普通の極み。中の中か下。顔もな。

彼女? かわいい幼馴染? 察しろ。


燃えるようなものもないし、モチベーションを湧かせるようなものもない。

熱中できるようなものが何かあれば俺も多少は変われるのかなあ。

まあ、そんなもん自分から探さねーと無いよな。でもその探すモチベがなあ…


そんな事を考えてたらコーヒーのタイムリミットが残り20秒だな。

殆ど冷めてないコーヒーは俺には熱すぎてまだ進行は8%かな。大体2口くらい


さて、そこで平凡な高校生の田中太郎はどうするか。


①まず、飲みかけの熱々のコーヒーをテーブルに置きます。


②次にそのコーヒーにティッシュを1枚取って上から掛けます(ラップで包む時間無いわ)

③そして学校に行く。俺は冷めたコーヒーも好きなんだ! あばよ! 


完璧なプランだな。そんな訳で俺は今日もギリギリで走りながら家を飛び出したのだった。


「やべえ、遅刻遅刻ー!」


そんな事を叫びながら、だ。



だが今日の俺は一味違うぞ。


なんか朝からゴチャゴチャ考えてたら、だな。


注意力がヤバい位散漫になってた。


具体的には自分の命の危機に全く気付けないレベル。



ドぐシャアッ!!(変換なし)


家を飛び出て道に出た0.4秒後にものすげえ轟音と衝撃が俺の左半身を襲う!


子供に乱暴に放り投げられた人形のように、俺は高々と宙を舞い

視界の端に俺の人生を終わらせたモノの姿を写しながら


(そ、そんな馬鹿な…)

(こんな、こんな一瞬で俺の人生は…)


やがて衝撃と共に地に落ち


そして


俺は死んだ




――――――――





頬を撫でる風は少しだけ冷たい。だが寒い訳でもなく不愉快にも感じることはない


少しだけ薄目を空けると、日の光が木の枝の隙間から少しずつ差し込む。

そう言えば最近あんまり緑見てなかったな、俺。


耳から伝わるのは風の音、そしてさやさやと草木がそよぐ音。


背中から伝わる感触は柔らかくもひんやりと冷たい。

そこから伝わる情報が一番多い。

俺が横たわっているのは明らかに石畳でもコンクリートでもない。草の上だ。


体に痛みは一切無い。だがいざ体を動かそうと思うと何故かうまくいかなかった。

動くのはそれこそ瞼くらいのものだ。


思い切って目を開いてみる。


お、人だ。


そこにはこちらを覗き込む、肩まで伸びるやや白みがかったブロンドの髪の少女がいた。正直ドキッとしたよ俺は。


「ねえ。あなた…大丈夫?」


日本語…に聞こえた。どう見ても日本人ではなさそうなのだが。耳長いし。


「あ、ああ・・・どうも」


状況は理解できずとも脊髄反射的に声を返す。

コミュ障の哀しい習性ねこれ。


少しは気の利いた事でも言えれば良かったのだが。


後から聞いたが、この場所はエルヴィン族領内に位置するルシオンの丘と呼ばれる場所だった。

俺は丘の上の杉のような大きな木の根元に倒れていたらしい。ちなみに木の名前はついに分からず仕舞いだった。


ま、そんなこんなで。

それが、俺がこの世界ルグナシオンに転生し、彼女と出会った顛末だった。




――――――――




そして、3年の月日が流れた


あの日と同じように、また俺はここにいる

森を抜けた小高い丘の上、あの時と同じような少し冷たい風を頬に受けながら


あの大きな一本杉は今はもう無い。かつては俺をその影で覆い隠すほど立派だった幹は、今は半ばから折れてしまっている。

2年11ヶ月と28日前の時の皇帝ガクスハウゼン率いるシグルドレミア帝国の侵攻。

それが大陸にもたらした戦火は苛烈の一語。


世話になっていたエルヴィン族の集落、そしてその国をも飲み込み戦乱の大火を前に、俺は何もできなかった。

今でもあの時の事を思い出すと、ただひたすらに無力だった我が身を思い返すと、歯噛みしたい気分になってしまう。


だが、その折れた一本杉の幹の間からも新たな芽が今も次々と伸び始めている。

三度、いや二度の戦乱で傷ついた国土も人も、この芽のように少しづつ育ち、またきっと新たな大樹を形作るだろう。



戦いは終わったのだ。



「…やっぱり、ここにいたのねタロウ」


暗く寂しそうな声、少し肩より長くなったブロンドの髪、少女エルミーナが背後から声を上げる。

3年の月日、そして何より自らが失われし王朝の古代の記憶を引き継ぐエルヴィン族の正統なる女王の器であるという運命。

年若きその身に背負うには余りにも重い使命。

それをも今は受け入れた彼女の覚悟はその顔を少し大人びたものへと変えていた。


「エルミーナか…ああ、やっぱりここが良いかなって」


女王の証、身に付けられた聖なるペンダントの赤石が彼女の胸の中心で、夕焼けを受け小さく光り輝いた。



「水臭いではありませんか、ここまで共に戦ってきた仲だというのに」


エルミーナの後ろから数人の男たちが姿を現す。


先頭に立つ、白いローブ ―失われたエルヴィン族の意匠を色濃く残すそれ― を身に着けた細身のハンサムな男。

エルミーナの生き別れの兄、セルスガヴィエルは妹とよく似た長い髪をかき上げながらこちらへ歩み寄る。

髪を触るのは彼の癖だ。かつてシグルドレミア帝国の魔道科に属した彼と戦場で合い争う中ではそんな事にも気付く暇がなかった。


祖国を去り敵国の尖兵となり、同族からも白眼視され、それでも使命の為に敢えて逆臣となった彼の言葉だ。軽くはなかった。


「水臭い、か。そんな事を言ってくれるんだな。義兄上殿」



《裏切りと謀略の中で、私は仲間というものを知らない。いや、知らなかった》

かつてそんな事を苦悶を吐き出すよう語った彼も、

今は妹と同じく少し寂しそうな表情を見せる。

俺がそうであったように彼も変わったのだろう。

運命と闘いと、そして出会いの中で。



「全くだ。せめてワシらに一言、何かあっても良いんじゃないか? ああ?」


長身のセルスガヴィエルの後ろからすっと体をずらし前に出たのはドワーフレル族の王、ゼルダンガルスだ。

無骨にして荘厳なお手製の鎧を身に着けた小柄な体を揺らしながらこちらを見るいつもの髭面の目は、言葉とは裏腹に潤んでいた。


彼は出会った時からずっとこうだ。

戦場ではどこまでも勇猛で、

優柔不断な俺を豪快な高笑い一つで導きながら、

民の前では威厳ある大王でありながら。でも涙もろかった。



帝国崩壊の直後から地下世界より這い出で、全土へ侵攻を始めたリザードルスマン族。

ドワーフレル族とエルヴィン族達との長きに渡る反目の歴史。

だが、脅威の前に互いの部族はわだかまりと過去を踏み越え、手を取り合い立ち向かったのだ。

2年10ヶ月と12日前の事だったか。今ではひどく懐かしい出来事のようにも思える。


「すまないな、大王。 ―立つ鳥後を濁さず― 俺の国の言葉だが。後腐れなく行きたかったんだ、すまん」


不満そうにフン、と鼻を鳴らし横を向いた彼だがそれ以上は言葉を続けない。

その肩に俺は手を置いた。

肩に置いた左腕の肘から先は複雑な文様が刻まれた黒鉄の魔金属に覆われている。

体温のみならず魔力の微小な流れをも感じ取る魔装義肢の傑作だ。


ドワーフレル族の優れた冶金技術、そしてエルヴィン族の魔導が生み出した恐らく歴史上初めての産物は致命の傷を負ったあの日の俺を救ってくれた。



「…私はまだ言いたい事が貴様には山ほどあるぞ。今から一つ一つ列挙してやろうか?」


いつもは冷静沈着な、滅多に声を荒げない彼女の非難めいた声は実は初めて聞いた気がする。少し驚いた。


「そんなにお喋りだったか? セルヴィーア、今日の所は勘弁してくれ」


俺は苦笑しながら新たに姿を見せた女性の方へ向き直った。

全身を純白の重々しいプレートメイルで包んだ凛とした眼差しの女騎士。

セルヴィーア=クーツ=コルーセはいつも身に着ける兜は外していた。


彼女がコンプレックスに感じていたという長く艶のある亜麻色の髪。

俺が美しいその姿と素顔を見たのも実は数えるほどしかない。


それを見せてくれたのは二人きりの時だけだった気がする。 

いや、今回は外してるし意外と気にしてなかったのか?



2年9ヶ月前、異民族が手を組みリザードルスマン族の襲来を退けた直後、

魔界よりの魔王率いる魔軍の侵攻が突如として開始された。

帝国が齎した戦禍の復興も覚束ぬ中、急激な侵攻を続ける魔軍に対抗すべく大陸北部の大国エヌソレソヌ公国は古今例を見ぬ大号令を発した。


人類と亜人族の共闘戦線。


夢物語の如き構想を実現させんが為に俺とこの年若き女将軍は奔走した。


既に亜人族の諸侯からも王として認められていた俺は亜人族の代表として。

エヌソレソヌ公国の王侯直属騎士団長の彼女は人間側の軍権の象徴の剣となって

その夢物語を成就させたのだった。



「だが、今日は俺から一つ言いたい事がある。大事なことだ、聞いてくれるか?」


俺は彼女に近づき、正面に立った。


「えっ…な、なんだ…はい」


彼女の美しい白い顔も、夕焼けに染まり今は少し赤く染まって見える。

別れの時は近い。



「お前には本当に世話になった。ありがとう。風邪ひくなよ」



そう言って俺は彼女に右手を差し出した。

俺がいた世界でもこの世界でも親睦と、そして別れの挨拶は不思議な事にこれだ。



一瞬あっけに取られたような彼女だったが、どこか呆れたように笑ってその右腕を握る。


「…バカ者め。剣もあれほど教えてやったというの、に、最後に…言う事が、

 それ、か…」


お前らしい、と小声で告げた女騎士は左腕も添えて両手で強く俺の手を握った。

その伏せた顔は最後まで見えなかった。


4日前に女神の祝福を受けし俺の右腕はあらゆる邪悪なる魔を打ち払う存在となり、この大陸を救う最後の切り札となった。

彼女が熱心に教えてくれた由緒ある剣術も魔法も確かに最後まで上達しなかったな。もっぱら俺は殴り専だったから。





『フン、忙しない事よなあ。勇者タロウ。後の事はこのものらに丸投げと言うことか?』


「うおっ!?」



突然の声は背後から沸いた。慌ててセルヴィーアの手を離し背後に向き直る。

だが目の前には誰の姿もない、ど、どこから声が!?


『ええい、ここだ、ここ! 下! 目を下に向けろ!』


視線をやや下に向けると声の主がいた。うん、見えなかったのも仕方ない。

彼女、魔族の王アマネは今や俺の半分ほどの背丈しかない。物理的に見え辛いね。

かつては怪しげな魅力を持つ妙齢の美女の面持ちだった紅眼の魔王だが、今や完全に多分9歳くらいの幼女にしか見えないのは理由がある。



3日前に魔王との最後の戦いへ挑んだ俺達は2日前に魔王との決着を付け、

長きに渡る魔族と人間・亜人族連合との戦いに終止符が打たれた。



最近戦乱の連続でキナ臭かった人間界を見て、流行に乗じて暇つぶしに侵攻をかけた魔王もここに完敗するに至り遂に負けを認めた。

元よりこの大陸の生物の惰弱さを嘆いて独り愚痴を垂れていた魔王だが、その魔族をも打ち破る反抗を見せられ多少思う所もあったようだ。



魔王の命令により魔王と魔軍総勢の魔力を込めたこの大陸全体を対象とした大結界魔導が起動したのが昨日の事だ。

ごくごく小規模な範囲の結界内に対し影響を及ぼす結界魔法は大陸でも用いられてきたが、魔族が行うそれはレベルというか桁が違う。



彼らはこの大陸自体を一度時空と空間より切り離し現時点で失われた物質と生命を魔軍の戦乱開始前まで巻き戻すという途方もない事を行おうとした。

結界自体は起動すれば一瞬で巻き戻しを行うものの、その起動には文字通り莫大とかそういうレベルではない魔力が必要となる。


魔軍総出で魔力を結界に次々と込め続け魔力が尽きた魔族から順に魔界に帰っていき、遂には魔王もその魔力の殆どを消費するに至った。

今や目の前の魔王もかつてほどの力はない。というか最後まで残って魔力を込め続けた末に先に魔界の門が閉じてしまい魔界に戻れなくなっている。

とは言え、文字通り魔王が身を削る程の魔力のチャージを行ってなお魔力量は結界の起動には至らなかったのだが…



「大丈夫さ。戦いは終わったし、それに一度手を取り合ったみんながいる。

 お前ももう暇つぶしで迷惑はかけるなよ、魔王」


『フン、楽観的に過ぎるな。我もこの大陸で力を蓄えその内帰る。

 いらぬ心配は無用だ』


王が戻らず魔界も大混乱だと思うがそこの所はあまり心配しているような様子はない。まあ魔族は弱肉強食だからね…

当の魔王も俺との数千回に及ぶ素手での殴り合いの末にスッキリしたのかその表情は多少満足げに見える。本人が言う通りあまり心配はいらないだろう。


魔王がぱたぱたと足元まで近寄ってきて真面目な顔でこちらの目を見る。

俺はほぼ首を直角に曲げながら魔王の目を覗き込む。近い。


『人の心は争いを求める。お前がこの世界を去ったとしても

 いつかはまた戦乱が 起きるぞ』


ああ、そうかもしれない。


正直な所俺には分からない。


だが俺は人の力を信じている。


あんなに無力だった俺でも、この世界を救えたんだから。


声は出さなかった。殊更に言う事でもないしな。


じーっと俺の目をのぞいていた魔王だが、やがて諦めたように目を逸らした。


                   ・・        

『フン、つまらん。ま、こちらにおる内は我もくだらん企みを起こす者が出ぬか、 暇つぶしに見ておくとしよう』


魔王らしくもない言葉に少し笑いそうになるが、まあ止めておこう。




《フフ、随分と殊勝な事ですね。魔王も》


囁くような美しい声はその場にいる全員の脳内に降って湧いたように届いた。

この声は…

声の主の在処は俺の頭上だった。

うすぼんやりとした白く輝くビジョンで中空に浮かぶ女性。

輝くような美しさは幻想的なほどで、実際彼女は人間ではない。


「女神…」


俺のつぶやく声に背後にいる人々もどよめき、次々に声を上げる。


「女神様!?」 「まさか顕現されたと!?」 「おおぉ…女神様…」


驚くのも無理はない。女神の存在は人々にも知られているがその扱いはそのまんま神で信仰の対象でもある。

俺は面識があるという事を何度か周囲に言った覚えがあるが、

信じてもらえた試しは未だにほぼ無い。まあ当然ではあるが。


『おい今笑っただろ! お前も! 女神も! 聞こえたぞ! おい!』


足元でわいわい騒ぐ魔王の頭をぎゅっと抑えつける。

そもそも頭上の女神見てたら身長的にこいつに構うのがインポッシブル…



「またお会いしましたね、女神」



《はい、遂に、遂に成し遂げたのですね…タロウ》




女神は以前会った時と同じく慈愛に溢れた柔らかな笑顔をこちらに向ける。



魔王の全力を以てしても大結界の機動に足りない魔力、それを最後に補ったのがこの女神だった。

あと失われた物質や人の記憶とか、歴史の歪みとかなんか色々ちょこちょこやってくれたらしい。流石は女神。



また会ったと言ったが俺が以前に女神と話し、その存在を感じたのは一度だけ。


即ち、俺が俺の世界で死にこの世界へ来る直前に一度。異次元空間で会っている。

女神が言うには《狭間の世界》とかいう場所らしいが…

そこで女神は何も分からず戸惑う俺の前に現れいくつかの情報を授けてくれた。


俺が住む世界とは違うこの異世界大陸ルグナシオンのこと。

そしてこの世界を救う力が俺自身の中に眠っていること。

この世界を救った暁には元の世界へ戻る事も或いは可能であること。そして…




風が少し強く吹き、さわさわと草花と森の樹木を揺らす




夕焼けの丘。少しもの悲しい雰囲気だがお別れにはそこまで悪くなかったかな。


俺は意を決して口を開いた。



「では女神。お願いします!」



《……》



女神は応えない。しばしの沈黙の後に、また少し風が吹いた。




「…女神? どうしました?」



《本当に、良いのですね? タロウ》




この世界に平和をもたらした後に、元の世界へ戻りたいという俺の願いは最初から変わっていない。


未練が無い訳ではない。俺はこの世界が好きだからだ。


この世界で触れた自然や文化はその全てが俺が知らなかった輝きに満ちていた。


この世界で出会った人々や生き物はその全てが俺が元の世界で見つけれらなかった輝きを持っていた。



それでも

それでも俺にはあの世界に戻らなければいけないわけがある。

戦わねばならない理由がある




決意を持って俺は深く頷いた。これが俺とこの世界との最後の繋がりになる事を感じながら。



風が再び吹いた



《…分かりました。最後にもう一度だけ見てあげてください。あなたが救ったこの 世界の事を》



正直別れが辛くなるだけだと思った。だがそう言われては仕方ない。


俺はもう一度、皆の方に向き直った


どう声を掛けようか、なんて考えながら。


そして息を呑んだ




『タロウ様ー!』『勇者!』『勇者様ばんざーい!』『タロウー! 私だよー!』

『また会ったなあータロウー!』


丘の前の森の入り口に居た人々は数人ではなく、

いつの間にかその数を数十人に増やしていた。

そのどの顔にも、俺は確かに見覚えがあった。


『タロウ、俺との決着をー!』『勇者様ー!』『勇者様、御達者でー!』

『我が英雄よー!』


エルヴィン村の村長ロエルベル。酒場の女将さん。帝国門番兵デロス。

元帝国皇帝ガクスハウゼン。

ドワーフの見習い鍛冶屋ホルンス。ドワーフ鍛冶屋の職人達。

はぐれリザードルスマンのゲルオル。


仲間になった者。敵として出会った者。その誰もが声を上げていた。


『グウオオオオオオオオ!!』『タロウ様ー!』『忘れねえからなー!』

『勇者ー!』


ダルクエルヴィン族のルーネ。エヌソレソヌ公国執政ロンスニアド。

セルヴィアの商人マチナス。辺境で出会った老夫婦。異端審問官セルニール。

混血のフィルス。傭兵のグロンモア。


『忘れないでくだされー!』『金返すの忘れてたよ、許せ!』『タロウー!』

『我らの勇者よー!』


人間族も亜人族も異民族も関係なく。人か魔ですらも意に介することなく

数えきれない人々がその口からめいめいに思いを叫んでいた。




鳴りやまぬ声の人々の中からスッと一歩、二歩、前に進み出た者がいた。



この世界で俺が初めて出会った少女。そして俺が初めて愛した人。

もう少女ではない。エルヴィン族の女王エルミーナ。

溢れ出る涙でその端正な顔はくしゃくしゃだった。



「行かないで!」



嗚咽が多分に混じったその言葉に一瞬だけ人々の声は止み、

場に静かに風が流れる。


少女の声に胸がぐっと引っ張られるような、そんな感覚を俺は覚えた。



「行かないで、タロウ!」



もう一度だ。今度は胸が痛むような、感覚ではない。確かに痛むのだ。



少女の声を皮切りに更なる声が後ろから上がる。



『勇者様ー!』『タロウー!』『タロウ様ー!』『勇者様ー!』



きっとエルミーナだけではなかった

みんなが思ってくれているのが分かった


だから、俺は



泣きじゃくるエルミーナの元へ近づき、その小さな少女の肩を抱き寄せる。

言葉は結局思い付かなかった。ただ、強く、強く抱き寄せた。



そして肩越しにみんなの方を見て俺は叫んだ。




「ありがとうみんな! 俺、戦ってくるから!」




精一杯の笑顔を意識しようとしたが、難しい。本当に難しいな。




「みんなのおかげで強くなれた! だから戦ってくる。そんで絶対勝ってくる!」




一息に言い終えた後の自分の顔がなんとなく分かった。多分泣いてるわこれ。




『タロウ!』『タロウー!』『タロウ様ー!』『タロウー!』




俺を信じてくれた人達に嘘は付きたくなかった

この世界に再び戻ってこれる保証はない


だから言えなかった。


いつか戻ってくる。またな。


そんな無責任な言葉は





「みんな本当にありがとう、行ってくる!」






――――――――





気付いたら目の前には女神だけがいた。心無しかはっきりとした姿かな?

このふわふわした不思議な場所は見覚えがある。

女神が言う所の《狭間の世界》という奴だ。



《あなたの望みは分かっています》



皆まで言わずとも分かってくれていたようだ。ありがとうございます。




《…タロウ 私はあなたに、謝らなくてはいけない事が》



皆まで言わないで下さい。分かっているつもりです。

ですから、気になさらないで下さい。



《……》



昔の俺なら察しが悪かったし、小さい事もいつまでも気にしてたと思う

そう考えるともしかしたら精神的にも少し成長できたのかもしれないな。俺も



とりとめもなくそんな事を考えていた。

まあこの空間テレパシーで多分伝わってるけど。



《では、タロウ。あの時間。あの場所へ》



はい。ではお願いします




そして俺は、元の世界へ戻った。あの瞬間。あの場所へ。







――――――――







照りつける日差しは、朝だと言うのに結構強い。あれ、朝だったよな確か。

見覚えのある家の玄関先、どこか懐かしいって当たり前か。3年ぶりだもんな。



十数メートル先に轟音を上げ猛スピードでこちらへと迫るトラックの姿があった。

その運転席で真剣な顔でハンドルを握る存在を俺は知っている。

今や見間違うはずもない。女神その人だ。


少しだけだが時間に余裕を持たせてくれたらしい、女神さまの計らいだろうか。


彼女に恨みはない、むしろ今となっては感謝すら覚える。


あの素晴らしい人々との出会いを、

そしてあの儚くも美しい世界での冒険の日々を、俺は絶対に忘れない。




だが、トラック。お前だけは別だ。




俺はあの時許せなかった。トラックにはねられて死ぬ己の無力さが。

突然の鋼鉄の暴力に成す術もなく蹴散らされる己の不甲斐なさが。


だから俺は復讐を誓った

だから俺は強くなると誓った


あの世界で俺が培った経験、技術、そして闘争の全ては、今この時の為にあった。


皇帝ガクスハウゼンとの熾烈を極めし決闘も、

リザードルスマン族王との命を懸けた血闘も、

魔王アマネとの全ての力を出し切った拳闘も、


この瞬間の為だけにあった。


そして俺が愛し、俺を愛してくれた人々が俺の祝福された右手にかつてない力を、思いを込めさせる。



あの世界で俺は生きた。


そしてこの世界で俺が生きる為には、絶対に勝たねばならない。





トラックに!




かつては自分に何が起きたのかすら分からなかった。

自分を殺したものがどのような存在であるのかすら知らなかった。



だが今は違う。

あの狭間の世界で俺は女神に乞うた。

いつか復讐を果たすための情報を女神は教えてくれた。

俺を殺した鋼鉄の塊のその真実を。


いよいよ巨躯が接近し、激しい轟音を響かせながらも

俺は不思議なほど落ち着いてきた



あれはトラックの中では中型に位置する類のものだ。

中型は7.5トンから14トン以下の車両総重量のものが属する。

あのトラックは…ざっと8トンって所か

全長・・・8,485㎜ 全幅・・・2,260mm 全高・・・2,550mm…くらいか。

ま、あんま関係ないな…


最新のトラックは充分な快適性、安全性機能の実現が為されている。

電子式で行う車両姿勢制御も安定した走りを実現する機能や機構も

良好に確保された前方視界とサイドの視界も最初から殺す気で突っ込んでくる気ならさほど意味はない



そして今は



標準装備の最新の危険察知・衝突回避機能は女神の力でOFFにしてある。






《行きますよ! 勇者タロウ! 》



女神が全力でアクセルを踏み込みながら吼える。




俺もそれに応え、重心を低く落とし、ゆっくりと構えを取る。




この勝負に勝ったら俺はこのスタートからようやく始められる。





そしたらまずは家に戻ってゆっくりまだ熱いコーヒーでも飲もうかな。

そんな事を考えながら。






「さぁ来い! ISUZ○のトラックゥゥゥァァァアアアッ!!!」






さあ、俺の人生を始めよう。






              【完】

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