第40話『眠り姫』

 同伴は2人までなので、綾奈先輩には先輩の御両親が同伴することになった。

 救急車が出発する前に美紀さんが、搬送先は花宮総合病院であり、そこには先輩がサキュバスを発症してから、ずっと診てくれているお医者さんがいると教えてくれた。

 私は会長さんや香奈ちゃんと一緒に、花宮総合病院へ向かうことに。綾奈先輩の家に来たときよりはマシだけど、それでも本降りの雨だ。


「会長さん、香奈ちゃん。ここから花宮総合病院まではどのくらいかかるんですか?」

「10分ちょっとかかるかな。駅の近くだけれど、こっちとは反対側にあるから」

「そうなんですか」


 私も具合が悪くなったら、そこで受診すればいいのかな。

 会長さんはまだ笑顔を見せてくれるけど、香奈ちゃんはずっと悲しげな表情だ。短い時間だったけれど、お姉ちゃんが呼吸停止をしてしまったからそれも当然か。涙が止まったから、少しは気持ちが落ち着いたのかな。


「あのときも、今回みたいな状況に陥ったかもしれないのよね」

「あのときというのは……例のいじめのときですか?」

「うん。当時は意識を失って倒れたけど、呼吸自体はちゃんとしてた。あれから数年以上経って、心身共に成長した状態で綾奈は呼吸を失い、心臓も止まった。本当に百合ちゃんのことを考えていたんだなって思うよ。もしかしたら、あの子は自分の体の限界を感じて、力を振り絞って百合ちゃんへ告白の本当の返事をしたのかもしれないね」

「……そうかもしれませんね。綾奈先輩と恋人の関係になったのは嬉しいですけど、恋人になれたからこそよりショックです」


 強い繋がりを持つのは嬉しいことだけじゃない。それを恋人になってすぐに思い知った。もしかしたら、体調のことも、昨日の私の告白を断った一因だったんじゃないかと思う。

 よく考えたら、今日は綾奈先輩のご家族や会長さんの前で綾奈先輩に告白してキスしたんだ。そう考えると、結構大胆なことをしていたんだなと思うし、恥ずかしい。


「……お姉ちゃんはまた元気になりますよね」

「きっと大丈夫だよ、香奈ちゃん。美紀さんと会長さんのおかげで、綾奈先輩はすぐに息を吹き返したし」

「小学生のときだって数日経てば元気になったわ。今回も大丈夫だと信じたい。あなたのお姉ちゃんはとても強い人だから」

「……ですよね。お姉ちゃんはきっと大丈夫ですよね!」


 香奈ちゃんはようやく笑みを見せてくれるようになった。強がりかもしれないけど。

 綾奈先輩ならきっと大丈夫。そう思わないと正直、今にも心が崩れてしまいそうだ。今ごろ、先輩は病院に到着して治療が始まっているだろう。

 それからは特に会話を交わすこともなく、花宮総合病院まで歩いていった。その道のりはとても長く思えた。

 美紀さんから『1階にある治療室の前にいる』とメッセージを受け取ったので、私達は治療室へと向かう。

 治療室の前のベンチに美紀さんと清司さんが寄り添い合って座っていた。すると、香奈ちゃんが美紀さんのことを抱きしめる。


「お父さん、お母さん……」

「みんな来てくれたわね」

「美紀さん、清司さん。綾奈の容体はどうですか?」

「救急車に乗ってからは、心臓が止まることはなかったわ。今はサキュバス体質のことでお世話になっている先生が治療してくれているから、きっと大丈夫よ」

「母さんの言うとおりだ。今は先生方に任せているよ」


 ということは、私達に今できるのはここで綾奈先輩の治療が無事に終わるのを待つことだけか。


「綾奈先輩のサキュバス体質は知っていますけど、あまり分かっていない部分もあって。どうして、サキュバスの姿になると、体に大きな負担がかかってしまうんですか?」

「一言で言えば、普段と違う姿になるから。そのことで、特に心臓に大きな負担がかかるの。それに、あのサキュバスの姿になる原因は怒りやストレスとか、心に大きな負の感情を抱くことだから。サキュバスの姿になる可能性が出るサインは瞳が赤くなることなの。ただ、興奮したときにも赤くなるけどね」

「瞳が赤くなるのは何度か見たことがありますね」


 そういえば、私と出会ったときや家に初めて来たときは、瞳が赤くなっても体調が悪そうではなかった。でも、小宮先輩に対して怒った際に瞳が赤くなったときは、息が荒くなっていた。それは抱いた感情の差だったんだ。


「結婚してからは一度もないけど、私も若い頃にサキュバスの姿になったことがあったわ。一番酷かったのは、高校時代にお父さんと別れるって言っちゃったときかな」

「あったなぁ。母さんの誕生日プレゼントを買いに親戚の女の子と一緒にいたところを母さんに目撃されて。母さん、それを浮気だと勘違いして別れるって言われて。ただ、その夜に母さんの自宅から、母さんがサキュバスの姿になって大変なことになってるって言われから駆けつけた。そうしたら、母さんは綾奈のようにサキュバスの姿になって、高熱を出して苦しそうにしていた」

「あのときに、お父さんがプレゼントでくれたクマのぬいぐるみとキスは今でも忘れないわ。あれがあって、この人と一生を共にするって決めたんだから」


 美紀さんの瞳が赤くなっている。ただ、嬉しそうな笑顔を浮かべているので、プラスの強い感情を抱いたからだろう。


「母さん、目が赤くなっているよ。落ち着きなさい」

「あらそうなの? ひさしぶりに凄くドキドキしたからかしら」


 美紀さんが一度、大きく深呼吸をすると、赤かった瞳の色は黒に戻っていった。


「小学生のときにサキュバスの姿になってからは、何か嫌なことや悪いことがあっても、なるべく気持ちを落ち着かせるよう綾奈に教えていった。特に瞳が赤くなっているときは」

「そういえば、小学生のときは綾奈の瞳はたまに赤くなっていましたけど、高校生になってからは、ほとんどそういうことはないですね。たくさんの子に告白されて振っていましたけど、すっかりと慣れたのか告白されたよって言うだけで普段通りでした」

「そうなのね、愛花ちゃん。家でもそう言うことはあったわ。綾奈はお父さんや私が想像する以上に落ち着きのある大人っぽい子に成長した。最初はさせるのが不安だったバイトも難なくこなして、むしろ楽しそうにやっているし」

「お姉ちゃん、本当にしっかりしていて頼りになるもんね」


 確かに、普段は落ち着いているかっこいい。バイトをしているときは特にしっかりとしている。ただ、私と2人きりになると太ももを触りたがるし、触ると嬉しそうな笑みを浮かべるので納得はしきれないかな。


「お待たせしました。娘さんの治療が終わりました」


 すると、治療室から白衣を着た女性が出てきた。綾奈先輩以上に背が高く、黒髪のロングヘアが印象的な綺麗な方だ。あと、色気が凄い。この方が美紀さんの言っていたサキュバス体質のことでお世話になっている先生かな。


「先ほどよりも人が増えていますね。御両親に妹さん、こちらの金髪の子は……昔に娘さんが入院したときに会ったことがありますね。確か、有栖川さんでしたか。それで、こちらの黒髪セミロングの子は……とても可愛いですね。あと、お初だと思います」


 そう言うと、女性は私のことを見ながら落ち着いた笑みを見せてくる。


「この病院に来たのは今日が初めてですからね。初めまして、白瀬百合といいます。ここに運ばれた神崎綾奈の通う高校の後輩で、あと……恋人になりました」

「おぉ、サキュバス体質を持った彼女に女の子の恋人ですか。初めまして、花宮総合病院で内科担当している樋田香苗といだかなえといいます。神崎綾奈さんと神崎美紀さんのサキュバス体質について担当しています。以後、お見知りおきを」

「よろしくお願いします」


 やっぱり、この方が綾奈先輩のサキュバス体質についての主治医なんだ。先輩がサキュバス体質であると分かってからずっと診てくれているそうなので、なかなかの年齢なんだろうけど、見た目がとても若々しい。


「樋田先生。娘の容態はどうなのでしょうか?」

「命の危機は脱しました。そこは安心してください。おそらく、処方した精神安定剤を服用したことや、心臓が停止してから蘇生するまでの時間が僅かであったことがその要因であると思われます」

「そうですか……」


 命に別状はないと分かってひとまずは安心した。


「しかし」


 樋田先生は真剣な表情になり、


「長時間に渡ってサキュバスの姿になっていたことでかなり衰弱しており、僅かな時間ではありましたが、心停止したことで脳へのダメージが懸念されます。また、そのことでいつ意識が戻るかは分かりません。5分後に意識が回復する可能性もありますし、意識が回復することのないまま亡くなる可能性もあります。それについてご承知ください。もちろん、我々は最善を尽くします」


 命は助かったけど、いつ意識が戻るかは分からない。しかも、戻らないまま亡くなってしまう可能性があると言われてしまうと、何とも言えない気分になる。先輩の御両親は落ち着いた様子だけど、会長さんや香奈ちゃんは沈んだ表情になっている。


「体質のこともありますので、これから娘さんは個室での入院生活となります。今から病室の場所を案内しますが、病状が安定するまでは面会謝絶です。明日になれば大丈夫だとは考えていますが。その際にはご連絡します」

「分かりました。綾奈のことをよろしくお願いします」

「いえいえ。全ての患者さんを助けたい気持ちはありますが、娘さんのことは小さい頃から知っていますので、より一層助けたいと思っています」


 樋田先生がそう言ってくれるので、何とか気持ちを保つことができる。ここはサキュバス体質のことをよく知る先生のことを信じるしかないか。



 その後、綾奈先輩は807号室の個室に入院することになった。

 先輩はすっかりと元の姿に戻っており、今にも眼を覚ますかもしれないと思わせてくれるような安らかな寝顔をしていた。それなのに、一生目覚めることのないまま亡くなる可能性があるなんて。虚しさや悲しさとかよりも、信じられないという気持ちの方が強いのであった。

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