第39話『Tsunami』
6月23日、土曜日。
目を覚ますと、部屋の中がうっすらと明るくなっていた。美琴ちゃんが泊まりに来たからか、昨日は意外と早く眠りにつくことができた。
部屋の時計を見てみると、午前8時過ぎか。平日だったら今すぐに仕度をしないとまずい時間だ。バドミントン部の練習は10時半かららしいので、美琴ちゃんももうちょっと寝ていても大丈夫か。
「百合ぃ……」
美琴ちゃんは私のことをしっかりと抱きしめて、胸に頭を埋めていた。昨日、私に告白したし、今もこうして私を抱きしめているので夢にも出てくるのかな。
「柔らかくて気持ちいい」
美琴ちゃんは頭をすりすりさせている。まったく、どんな夢を見ているんだか。ただ、それは自由なので起こしたりすることはしない。
そういえば、私はどんな夢を見ていただろう。美琴ちゃんや綾奈先輩が出ていたような気がするけど、内容は全然覚えていない。
「うんっ……」
そんな声が聞こえ、美琴ちゃんはゆっくりと体を起こした。
「あっ、百合……おはよう」
「おはよう、美琴ちゃん」
「おはよう。何だか凄くいい夢を見たな。百合のことをもふもふして、全身で百合の柔らかさを堪能したんだ」
美琴ちゃんは幸せそうな笑みを浮かべている。
「やっぱり、そういう夢を見ていたんだ。私のことをぎゅっと抱きしめただけじゃなくて、頭を胸に埋めてすりすりしていたんだから」
「じゃあ、ある意味で正夢になったんだね。今日の練習はいつも以上に頑張れそう」
「ふふっ、頑張ってね」
昨日、私に告白してフラれてしまったけど、この様子なら美琴ちゃんは大丈夫そうかな。ただ、少しの間、気にかけておこう。
スマートフォンを確認すると、夜遅くに若菜部長や莉緒先輩から、告白お疲れ様という旨のメッセージが届いていた。
しかし、綾奈先輩からは何もなかった。
私と美琴ちゃんが特別なだけで、振ってしまった相手へすぐに電話やメッセージはできないか。そう思っていても、小さくため息が出てしまうのであった。
私の作った朝食を一緒に食べて少しゆっくりとした後、美琴ちゃんは部活へ行くために私の部屋を出発していった。
さて、今日は何をしようかな。月曜日に出さないといけない課題はもうやったし。期末試験まで1週間以上はあるけど、早く対策をするに越したことはないから試験勉強かな。
そう決めて、試験範囲の広い数学から始めるけど……全然集中できない。雨の音がやけに大きく聞こえてくるし、昨日、フラれたときの涙を浮かべている綾奈先輩の顔が思い浮かんでしまうからだ。
「……止めよう」
このまま勉強を続けようとしても、きっと頭には何も入ってこないだろう。時間の無駄になってしまうだけだと思った。
こういうモヤモヤを消すには、綾奈先輩にまた告白するのが一番の近道だと思う。
ただ、昨日の今日で告白しても、また綾奈先輩のことを悩ませて、目に涙を浮かばせてしまうだけかもしれない。そうなるのは避けたい。
「う~ん……」
このままだと、また沼に嵌まってしまいそうな気がする。こういうときは会長さんと話そうかな。さっそく、会長さんのスマートフォンに電話を掛けてみる。
『百合ちゃん』
「昨日はメッセージありがとうございました。会長さんの声を聞けば気持ちがまとまるかなと思って。今、大丈夫ですか?」
『もちろんいいよ。……昨日はお疲れ様』
「ありがとうございます。あれ以降、綾奈先輩から何か連絡はありましたか?」
『特に……ないね』
「そうですか……」
会長さんの告白を振ったことも、私には話さなかったもんね。きっと、私のことを考えて私の告白を振ったことは誰にも話していないんじゃないだろうか。
『百合ちゃんさえよければ教えてほしいんだけど、恋人としては付き合えないって言ってたの?』
「そうです。私のことを好きだとは言ってくれました。ただ、前に会長さんが言ったように、サキュバス体質の影響もあってか、私の『好き』が本心なのかどうか分からないみたいで。サキュバスの影響を受けているだけかもしれないと。あと、恋人になったことで、一昨日のような目に遭わせたくないと。だから、これからも今まで通り先輩後輩、友達として仲良くしたいと言っていました」
『なるほどね。私とは違って、好きだからこそ百合ちゃんのことを振ったんだ。私には好きだって言わなかったよ。だからこそ、百合ちゃんと付き合えないっていう綾奈の気持ちも分からなくはないけど……』
「私も先輩の言うことは分かるんです。だからこそ、告白して先輩のことを悩ませたり、苦しませたりしちゃったのかなって……」
『……うん。ただ、告白しなかったら、綾奈が百合ちゃんのことを好きだってことは分からなかった。お互いに好きだっていう想いを共有できただけでも、告白したことに大きな意味があったと思うよ』
そういう考え方もできるのか。今まで、告白したことで綾奈先輩のことを悩ませて、泣かせてしまったということしか考えなかった。
綾奈先輩は私の恋人として付き合えないことだけではなく、私のことが好きだとも言ってくれたんだ。それは会長さんには言わなかったこと。そう考えるとドキドキしてきた。綾奈先輩のことが本当に大好きなんだなって思い知る。
「会長さん。フラれてから一晩経ちましたけど、綾奈先輩のことが今でも好きですし、諦めることができません。また、綾奈先輩に告白してもいいものなのでしょうか」
昨日の綾奈先輩のことを考えたら、私の方から動かない限り先輩と恋人として付き合う未来はないと思っている。
『タイミングは考えるべきだと思うけど、告白することはいいと思うよ。何せ、お互いに好きなんだから』
「……はい」
これからまた、綾奈先輩と一緒に楽しい時間を過ごしていって、先輩に好きなんだってことを分かってもらって。それで、恋人として付き合って欲しいとまた告白してみよう。
――ププッ、ププッ。
キャッチホンの通知音が聞こえた。画面を確認してみると、香奈ちゃんから電話がかかってきている。
「すみません、香奈ちゃんからキャッチホンが入りました」
『分かったわ。こっちは切っちゃっていいから香奈ちゃんの方に出て』
「分かりました。失礼します」
会長さんとの通話を切って、香奈ちゃんと通話状態にする。綾奈先輩から告白のことを聞いて、私に電話を掛けてきたのかな。
「おはよう、香奈ちゃん」
『おはようございます。あの、今すぐにあたしの家に来てくれませんか! お姉ちゃんが大変なんです!』
「えっ!」
『昨日の夜からあまり体調が良くなくて。今日になってお姉ちゃんの様子を見たら、お姉ちゃんがサキュバスの姿になっていて。話を聞いたら、昨日、告白してくれた百合さんのことを傷つけたって……』
「……そっか。分かった、今すぐに行くね。あと、サキュバスの姿になったときは会長さんのおかげで元の姿に戻ったから、会長さんにも連絡してくれるかな?」
『分かりました! では、お待ちしています!』
「うん!」
私はスマートフォンと傘を持って、綾奈先輩の家へと走り始める。今日は一日中弱い雨が降り続くって予報だったのに、どうしてこういうときに限って強く降るのか。
きっと、告白した私を振ったことで罪悪感が生まれ、負の感情がどんどん溜まっていってサキュバスの姿になったんだ。
水曜日にサキュバスの姿から戻ったときは息が激しくなっていたし、小学生のときは倒れたと言っていた。昨日の夜から体調が悪くなり始めたそうだから、一刻も早く元の姿に戻さないと、綾奈先輩の命が危うい状況になってしまう。
綾奈先輩の家に行くと、玄関の前に香奈ちゃんが立っていた。
「香奈ちゃん! お待たせ!」
「百合さん、来てくださってありがとうございます。愛花ちゃんはついさっき来ました」
「そっか。綾奈先輩の体調はどんな感じなの?」
「サキュバスの姿になったまま、高熱を出して息苦しそうにしています。お医者さんから処方されている精神安定剤を朝に飲んだんですけど、あまり効果がなくて……」
「そうなんだね、分かった。とりあえず綾奈先輩のところに行ってみよう」
薬を飲んでも効果がないというのはかなり重症な気がする。だから、香奈ちゃんは私のことを呼んでくれたんだと思うけど、そんな状態の綾奈先輩に何かできることが果たしてあるのだろうか。
綾奈先輩の部屋に行くと、寝間着姿の先輩はサキュバスの姿になったままベッドで横になっている。頬が赤くなっており、息も荒い。鷲尾さんと再会したとき以上に黒いオーラが出ていて。そんな先輩のことを御両親や会長さんが見守っている。
「お姉ちゃん。百合さんが来てくれたよ」
綾奈先輩はゆっくりと視線を私の方に向ける。
「百合……」
「綾奈先輩、大丈夫ですか?」
綾奈先輩の手をそっと掴むと、先輩は儚げな笑顔を見せてくる。
「……罰が当たったのかもね。これまで……たくさんの女の子からの告白を振って傷つけた。その上、好きな百合のことを自分勝手な理由で泣かしたんだ」
「そんなことありません。綾奈先輩は先輩なりに、一つ一つの告白に向き合っただけです。様々な理由があって、私と恋人であることが怖いと思う気持ちも分かります」
「百合……」
「先輩のことを諦めようも思いましたけど、先輩のことは諦められません。だって、綾奈先輩が私のことが好きだって言ってくれましたから。もし、私がサキュバス体質の影響を受けなくなっても、綾奈先輩が普通の女の子になっても、そのときはまた先輩のことを好きになりたいです。辛いことがあったとしても、先輩と離れることが一番辛いです。それほどに先輩のことが好きです。だから、私と付き合ってください」
それが、綾奈先輩にフラれたことで分かった彼女に対する想いだった。
すると、綾奈先輩は涙を流しながら柔らかな笑みを浮かべて、
「……百合がそう言ってくれて嬉しいよ。そんな百合のことなら信じられそう。あと……私も好きだよ。白百合の花に水をあげていた百合の姿を見たときから、百合のことが気になってた。……これから、恋人としてよろしくお願いします」
ゆっくりと体を起こして私にキスしてきた。美琴ちゃんとしたときはまた違った柔らかさと温もりが唇から感じられて。綾奈先輩と恋人になって、キスできるなんて。嬉しくて愛おしい。
ただ、今は綾奈先輩に私の唾液を接種させて、早く元の姿に戻させないと。
しかし、先輩へ私の唾液を送り始めてすぐのことだった。
「せん、ぱい……?」
唇が離れたことに気付いたときには、綾奈先輩はベッドの上に仰向けの状態で倒れていた。目は瞑っており、顔は青白くなっていき、さっきまで出ていた黒いオーラがなくなっていた。
「綾奈先輩、起きてください。まだ、元の姿に戻っていないですよ。先輩! 綾奈先輩!」
「……息がない。お父さん、救急車を呼んで!」
「ああ、分かった!」
「お姉ちゃん! お姉ちゃああん!」
「愛花ちゃん! 綾奈に人工呼吸するから手伝って!」
「わ、分かりました!」
それから、私は号泣する香奈ちゃんに抱きしめられながら立ち尽くしていた。
美紀さんや会長さんが必死になって人工呼吸をしたことで、綾奈先輩はすぐに息を吹き返した。
ただ、意識が戻ることはなく、綾奈先輩は本降りの雨の中、救急車で花宮総合病院へと搬送されることになったのであった。
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