第38話『はじめて』
冷たい雨に打たれる中、私はようやく寮に帰ってきた。徒歩3分の道のりがとても長く感じた。
201号室の自分の家に戻ると、電気も点けずにそのままベッドに身を投げる。会長さんや美琴ちゃん達に告白の結果についてメッセージを送らなきゃいけないけど、今は何もする気になれない。
「フラれちゃったんだな……」
その事実を乗せた声は、家の中に虚しく響いた。泣きそうだなと思ったときには既に涙が頬に伝っていた。もしかしたら、恋人として付き合いたくないと綾奈先輩に言われたあのときから、ずっと涙が流れ続けているのかもしれない。
「一応、送っておこう」
みんな、告白がどうなったか気になっているだろうし。フラれたって口にしたら、ほんのちょっとだけ心が軽くなったから。
『綾奈先輩に告白しましたが、フラれました』
シンプルなその言葉を会長さんや美琴ちゃん達にメッセージで送った。フラれたという事実を文面で見ると……よりヘコむ。応援してくれたので申し訳ないという気持ちでいっぱいになってくる。
ただ、一番に申し訳ないのは綾奈先輩だ。サキュバスという特殊な体質を持つ綾奈先輩の気持ちを考えずに、好きだという自分の気持ちばかり考えて先輩へ告白してしまった。そのせいで先輩のことを悩ませて、苦しませてしまった。先輩に恋をすることはもう止めた方がいいのかな。
「さすがに返信はすぐに来ないよね……」
スマートフォンを確認すると、会長さんとのトーク、美琴ちゃん達のグループトーク、園芸部のグループトークそれぞれに『既読』マークは付いていた。グループトークについては、私以外の人数の数字も。みんな、メッセージは見たけれど、返信の言葉が見つからないってことかな。気を遣わせちゃっているな……と心苦しくなる。
このまま起きていてもネガティブな気持ちに苛まれるだけだから、いっその事寝た方がいいかな。明日と明後日は休みだからいくらでも寝られる。眠りに入る自信が全くないけど。
――プルルッ。
スマートフォンが鳴ったので確認してみると、会長さんから1件の新着メッセージが届いていた。
『そうだったの。残念な結果になってしまったわね。まずは告白お疲れ様でした。あと、一昨日の私みたいに、電話で話せば少しでも気持ちが楽になるかもしれないよ。いつでも連絡してきていいからね』
さすがに私と同じ経験をしただけあってか、会長さんが送ってくれた言葉はすっと心に入ってきた。ただ、会長さんに電話に掛けるほどの元気はなかったので、
『ありがとうございます』
と、お礼のメッセージを返信しておいた。時間が経って、気持ちに余裕ができたら会長さんに電話を掛けようかな。
このままでいると制服に皺ができちゃうから、部屋着に着替えてから再びベッドに戻る。
それからは、ウトウトとしながら何もしない時間を過ごしていく。ただ、目を瞑っても眠らせてはくれない。だからなのか、時計の針の動く音が段々とうるさく思えてくる。
――ピンポーン。
玄関のインターホンが鳴っている。その前にエントランスからの呼び出し音が鳴らなかったので、寮に住んでいる美琴ちゃんか夏実ちゃんが鳴らした可能性が高そうだ。
あまり出る気にはなれないけれど、私のことを待ってくれているので出ないわけにはいかない。
「はーい……」
腕で涙を拭って玄関をゆっくりと開けると、そこにはTシャツに半ズボン姿の美琴ちゃんがいた。彼女の優しげな笑みを見てちょっと安心する。
「美琴ちゃん……」
「百合がどうしているかなって。中は暗いけれど、もしかして起こしちゃった?」
「寝てみようかなって思ったんだけど、あんなことがあったからなかなか寝られなくて。ベッドの上でゴロゴロしてるだけになっちゃった」
「そっか」
美琴ちゃんは私の頭をそっと撫でてきた。それが気持ち良くて、ベッドで横になっているときよりも正直眠たくなった。
「……上がって、美琴ちゃん」
「うん、お邪魔します」
「何か飲み物を出そうか?」
「大丈夫だよ。練習した後にたくさん水分補給したし。今は百合のことを抱きしめたい気分なんだ。それでもいいかな」
「……もふもふタイムね。もちろんいいよ」
すると、美琴ちゃんに手を引かれる形で、部屋の中に戻っていく。
帰ってからずっと暗い中で過ごしていたからか、電気を点けるととても眩しく思えた。ただ、そんな中で美琴ちゃんの姿が見えることにほっとする。
普段とは違って、今日は向かい合う形で美琴ちゃんに抱きしめられ、頭を優しく撫でられる。美琴ちゃんの温もりや甘い匂いが感じられて、告白が失敗したことによる心のざわめきが落ち着き始める。だからなのか、また涙が流れる。
「ごめん、美琴ちゃん……」
「いいんだよ、百合。……さっきのメッセージ読んだよ。その……まずはお疲れ様。告白できたことは凄いと思うよ。百合に何ができるかあかりや夏実と相談して、あたしが百合の側にいることに決めたんだ。それを提案したのはあたしなんだけどね」
「……そうなんだ。ありがとう。2人にもあとでお礼を言わなきゃ」
3人が私のことを考えてくれたことの嬉しさと申し訳なさで、更に涙が出てしまう。美琴ちゃんの胸の中に顔を埋める。
「やっぱり、神崎先輩にフラれたことにはサキュバスのことが関係しているの?」
「……うん」
「そっか。百合の話しか聞いていないけど、これまでに色々とあったそうだもんね。告白されて想うところはあったんだろう」
「うん。私のことが好きだからこそ、辛い目に遭わせたくない。私の先輩に対する好きだっていう気持ちが本心なのかどうか分からなくて恐い。だから、どうしても付き合いたくないって……」
「……なるほどね」
そう言った瞬間、美琴ちゃんはそれまでよりも私のことを強く抱きしめてきたような気がした。美琴ちゃんからはっきりとした熱が伝わってくる。
「ねえ、百合。……こういうときに言うのは卑怯かもしれないけどさ」
「えっ?」
「……あたし、どんなときでも今みたいに百合の側にいたいよ。楽しいときは一緒に楽しんで、百合が悲しくなったときはこうして側にいるから」
美琴ちゃんは真剣な表情で私のことを見つめて、
「あたしは百合のことが好きだよ。出会ってすぐから百合に恋をしてる。あたしと恋人として付き合ってください」
そう言って、私に唇を重ねてきた。
これがキスなんだ。唇から独特の柔らかさと優しい温もりが感じられて。キスの相手が美琴ちゃんだからなのか、凄くドキドキしてくる。
そういえば、以前に美琴ちゃんは私が綾奈先輩と付き合ったら、一緒に居る時間が減るから嫉妬するって言っていたな。もう、あのときには私に女の子としての好意を抱いていたんだ。
ゆっくりと唇を離すと、美琴ちゃんは再び唇を重ねてくる。ただ、今度は彼女の舌が私の口の中をゆっくりとかき回してきて。
「んっ……」
思わずそんな声が漏れてしまって恥ずかしい。
練習後にスポーツドリンクでも飲んだのか、美琴ちゃんから砂糖の甘味が感じられて。美琴ちゃんにこんなことをされて嫌だとは思わない。
ただ、こういキスをしていると、一昨日……サキュバスの姿から普段の姿に戻すために、会長さんが綾奈先輩にキスしたことを思い出してしまう。会長さんの唾液を摂取させないといけないから、こういう深くて甘いキスをしたんだよね。私も綾奈先輩とこんなキスしてみたいよ。綾奈先輩と色々なことがしたいよ。恋人として付き合いたいよ。
そんなことを考えていると、今度は美琴ちゃんの方から唇を離した。そのときの美琴ちゃんはいつになくうっとりとした表情になっていた。
「これがあたしのファーストキスだよ。それを百合にあげることができて良かった」
「私だってこれが初めてなんだよ。美琴ちゃんったら、もう……」
「……強引な感じでしちゃったね、ごめん」
「……美琴ちゃんだから、許す。多分、美琴ちゃんか会長さんじゃなかったら許さなかったと思う」
「神崎先輩ならともかく、そこで有栖川先輩の名前を出すなんて。嫉妬するな。……それで、あたしの告白についてはどう? 恋人として付き合ってくれる?」
美琴ちゃんは再び真剣な表情で私のことを見つめてくる。そんな彼女の瞳は潤んでいてとても美しい。惹き込まれそうだ。
美琴ちゃんに告白されて、お互いに初めてのキスをして想ったことがある。
「私のことを恋愛的な意味で好きなのは嬉しいよ。だけど、ごめん、美琴ちゃん。私、美琴ちゃんとは恋人として付き合えない」
「……どうして?」
「今でも綾奈先輩のことが一番好きだから。美琴ちゃんにキスしたときに、綾奈先輩のことをたくさん思い浮かべて。綾奈先輩ともキスしたい。恋人として付き合いたい。そのくらいに大好きなんだって想ったんだ。私のことを好きだって言ってくれた先輩のことを諦めきれないの。だから、美琴ちゃんとは……これからも親友として私とずっと仲良くしてくれませんか?」
「百合……」
身勝手だな、私。綾奈先輩が身勝手だと言った理由も分かる気がしてきた。
美琴ちゃんは涙を流しながらも、いつもの爽やかな笑顔を私に見せてくれる。
「百合にそう言われちゃったら、受け入れるしかないじゃないか。百合とは距離ができることを覚悟して告白したのに、これからも親友でいてくれるなんてさ。あと、これからも百合のことを応援するよ。百合と同じ経験をしたから、これまで以上に寄り添えると思う」
「……うん。ありがとう」
私は美琴ちゃんと強く抱きしめ合った。美琴ちゃんがすぐ側にいて本当に良かったなと思う。
「そうだ。明日の部活は普段よりも遅く始まるし、今日は百合の家で泊まってもいいかな。今日はずっと百合と一緒にいたい気分なんだ」
「もちろんいいよ。美琴ちゃんが側にいてくれると安心する」
「ありがとう、百合」
その後、私は美琴ちゃんと一緒に夜ご飯を食べ、一緒にお風呂に入り、同じベッドで一緒に眠った。美琴ちゃんが側にいてくれたおかげで、綾奈先輩のことで深く悩んでしまうことはなかったのであった。
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