第34話『漆黒なる代償』

「綾奈、愛花。ひさしぶり」


 鷲尾さんは彼女の通う花宮高校の制服を着た女子や、うちの制服を着た女子など数人を引き連れていた。


「ひさしぶりだね、奈々実」


 綾奈先輩は真剣な様子で鷲尾さん達の方を見ているけど、会長さんは複雑そうな表情を浮かべて俯いてしまっている。

 私が協力しないと言ってから、私に話しかけてくるのはおろか、姿さえも見せていなかったけれど、私達3人が揃うところをずっと狙っていたのかな。


「奈々実。君と一緒に愛花や私をいじめた人達を引き連れているけれど、何を企んでる?」

「綾奈と愛花に小学生のときのいじめについて謝りたくて。そのために白瀬さんに協力してもらえないかどうか話したんだけど、協力してもらえなくて。白瀬さんに色々と言われて謝るかどうか迷ったけど、やっぱり謝ろうって決めたの。綾奈、愛花。あのときは本当にごめんなさい」


 鷲尾さんは本当に申し訳なさそうな様子で、綾奈先輩と会長さんに向かって深く頭を下げた。ただ、そうしたのは鷲尾さんだけで、一緒にいる女子達は軽く頭を下げるだけだった。

 そんな鷲尾さん達を目の前にして、綾奈先輩はさっきよりも鋭い目つきになっており、瞳の色が赤く変化していた。きっと、怒りの感情を強く抱いているんだ。


「奈々実だけは、愛花と私に謝罪する気持ちがあることは分かった」

「綾奈……」

「ただ、愛花や私をいじめた人間全員に対して絶対に許さない。奈々実は私の体質を知っているらしいけれど、この体質は一生持ち続ける可能性が高いと医者から言われている。今でも、奈々実達にいじめられたときのことを思い出して胸が苦しくなることがあるよ。愛花のことも傷つけたからね。数年経った今になって本当に後悔や罪悪感を抱いたのかもしれない。でも、その想いを奈々実達は死ぬまでずっと持って、心がスッキリしないまま生き続けな。それが愛花や私をいじめたことへの代償だよ!」


 そう言ったときの綾奈先輩の怒った様子は、私へ執拗に問いただした小宮先輩に怒ったときの比ではなかった。ただ、サキュバスの姿を見せた当時の先輩は今以上の怒りを示していたんだと思う。


「何よそれ、ひどい!」

「謝っているのに許さないってどういうこと?」

「苦しむまま一生を過ごせって言う方がひどいと思うんですけど」

「ねえ、有栖川さんや白瀬さんからも神崎さんに何か言ってよ!」


 今の綾奈先輩の言葉が気に入らなかったのか、鷲尾さんの後ろに立っている女子達が怒りを露わにしてそんなことを言ってきたのだ。

 なるほど、無理矢理にでも綾奈先輩や会長さんから許しの言葉をもらうために、鷲尾さんは先輩方をいじめていた人達を何人も連れてきたんだ。ただ、鷲尾さんは今の状況に戸惑っているようだった。


「綾奈、どうしよう……」

「大丈夫だ、愛花は私が守る。彼女達の言葉で心をねじ曲げる必要ないよ」

「……うん」


 会長さんは綾奈先輩の手をぎゅっと握りしめている。そんな彼女の脚はブルブルと震えていた。

 綾奈先輩と会長さんは、鷲尾さん達から受けたいじめのことを私に話してくれたんだ。今、そんな先輩方を守れなくてどうするの。


「綾奈先輩の言うことはもっともだと思います」

「百合……」

「いじめられたことを許すかどうかは、被害者である綾奈先輩や会長さんだけが自由に決めることができるんです。そんな2人に謝ったから許せと強要するのは暴力であり、いじめの1つとも言えます。それを大勢でやるなんて卑怯です! 止めてください!」

「部外者が口出ししないでよ!」

「うっ……!」


 引き連れた女子達のうちの1人から、傘の先端で鳩尾の部分を思いっきり突かれてしまった。それがとても痛くて、息苦しくて、胸を押さえてその場で跪いてしまう。


「百合!」


 背後から美琴ちゃんの声が聞こえてくる。

 ゆっくりと振り返ると、怒った様子の美琴ちゃんが私の方に向かって走ってきていた。


「百合、大丈夫!」

「……胸が痛くて、息苦しい……」

「そうか。あたしが来たからもう大丈夫だよ」


 すると、美琴ちゃんはスマートフォンを取り出して、私のことを傘で突いてきた女子のことを写真で撮る。


「アンタの態度次第では、このことを学校と警察に言うからな」

「くそっ! また部外者か。ただ、神崎さん。あなたが魔女だから、一緒にいる人間がこうやって傷付いていくんだよ!」


 私のことを傘で突いてきた女子が嘲笑しながら、綾奈先輩にそう罵倒してくる。鷲尾さんはともかく、彼女と一緒に来た女子達は全く反省していなかったようだ。


「愛花だけじゃなくて、百合までも……」


 綾奈先輩は低い声で呟くと、鋭い目つきで鷲尾さん達のことを睨み、


「よくも百合まで傷つけたな!」


 そう叫ぶと、綾奈先輩の体から黒いオーラが湧き出し、頭から黒い角、背中には黒い羽、腰からは黒くて細長いしっぽが生えた。これが綾奈先輩のサキュバスとしての姿なんだ。


「あのときと同じ……」


 会長さんはそう呟いた。あのときと同じということは小学生のとき、この姿を見せていじめが止まったんだ。会長さんがかっこいいと言っていたのも分かるけど、とてつもない怒りを露わにしているからか恐ろしい。


「綾奈、落ち着いて! 今の姿のままだと、あのときみたいにまた倒れちゃうかもしれない!」

「私の体なんてどうでもいい! この女達は、愛花だけじゃなくて百合までも傷つけたんだ! 痛みをたくさん味わわせて、自分達がやってきたことがどんなことなのかを分からせてやる! 覚悟しろ!」


「もう逃げよう! 気分が段々おかしくなってきたし、逃げようよ! こんな奴にはもう二度と関わらない方がいいって!」

「きゃあああっ!」


 鷲尾さん達は私達の元から走り去っていく。その際、鷲尾さんは怯えた様子で全身が震えていたけど、2人の女子に手を引かれていた。


「逃げるな! 待てよ!」

「美琴ちゃん、後ろから綾奈先輩を押さえて!」

「分かった!」


 すると、美琴ちゃんは鷲尾さん達のことを追いかけようとする綾奈先輩のことを羽交い締めにして、身動きを取れなくさせる。

 ただ、そんな美琴ちゃんのことを振り解こうと、綾奈先輩は必死に抵抗する。


「泉宮さん、離して!」

「嫌です! 先輩方の事情はよく分からないですが、神崎先輩を離したらダメだってことくらいは分かるんで!」

「会長さん! 綾奈先輩の気持ちを少しでも早く落ち着かせてください! 会長さんだったら絶対にできますから!」

「……分かった!」


 会長さんは綾奈先輩の前へと回り込んで、先輩にキスした。その瞬間に、美琴ちゃんに対する綾奈先輩の抵抗がピタッと止まる。きっと、キスによって会長さんの唾液が綾奈先輩の体内に入っていき、興奮した気持ちが収まり始めているんだ。

 美琴ちゃんが綾奈先輩から離れると、今度はキスしている会長さんが綾奈先輩のことを抱きしめる。


「どうして、神崎先輩はあんな姿になっているんだ? それに、有栖川会長がキスしたら急にもがくのが止まったし。百合、いったい何が起きているの?」

「詳しいことは後で話すよ。ただ、綾奈先輩は女の子の性欲を引き出すサキュバス体質を持っているの。その体質によるものなんだ……」

「サキュバス……」


 美琴ちゃんもさすがに何とも言えない表情を浮かべている。私も綾奈先輩からサキュバスのことを教えられたときに、美琴ちゃんのような表情をしたのだろうか。

 周りを見てみると、綾奈先輩の依然として放っている黒いオーラのせいか、多くの女性がうっとりした様子でこちらを見ていた。


「綾奈ちゃん、愛花ちゃん……」

「多分、これが負の感情が限界に達したときのサキュバスの姿だろう。綾奈と美紀さんが前にそんなことを言っていた。きっと、愛花は綾奈の気持ちを押さえるためにキスしているんだろう」


 さすがに、サキュバスの事情を知っているだけあって、店長さんや副店長さんは落ち着いているようだった。


「んっ……」


 会長さんの甘い声が漏れる。

 会長さんのキスの効果もあってか、綾奈先輩から放たれる黒いオーラが減っていく。気持ちが落ち着いてきたのか、綾奈先輩は会長さんのことを抱きしめる。

 それにしても、この光景を見ると胸が痛くなる。綾奈先輩に唾液を接種させるためだと分かっているけど。そんな私とは裏腹に、近くにいる女性達が興奮した様子で2人のことを見ており、中には黄色い声を上げる人も。

 やがて、黒いオーラは消えて、角、羽、しっぽもなくなり綾奈先輩は普段の姿へと戻っていった。瞳の色も赤から黒に戻る。


「はあっ、はあっ……もう大丈夫だよ、愛花。ありがとう」

「……う、うん。それなら良かった」


 会長さんは綾奈先輩から抱擁を解かれると、何歩か後ろに下がる。さすがにキスしただけあってか、うっとりとした表情になって右手で唇を触っている。緊張や照れくささなのか、視線をちらつかせる。


「……はあっ、はあっ。百合、大丈夫? さっき……思い切り傘で突かれたけど」

「痛みも息苦しさもまだ残っていますけど、突かれたときに比べたらだいぶ楽になりました。いずれはなくなるかと」

「……そっか。それなら良かったよ」


 綾奈先輩はようやく私にも笑顔を見せてくれた。ただ、サキュバスの姿になったことの副作用か、息づかいがかなり荒く、肩を上下させている。


「泉宮さんもありがとう。あと、さっきはごめん」

「いいですよ。あのときの神崎先輩の気持ちもちょっとは分かりますし。特に百合のことを傘で突いた女子のことはぶん殴ってやりたいですから」

「……そう言ってくれると気持ちも少しは楽になるよ」

「綾奈、大丈夫か? 体調の方は……」

「まだ、息苦しさはありますけど、家でゆっくりと休めば大丈夫だと思います。御迷惑をおかけしました」

「気にしないでいいのよ、綾奈ちゃん。お大事に。じゃあ、まだ営業中だし、私と清恵ちゃんはお店に戻るわね」


 店長さんと副店長さんは店の中に戻っていった。

 そういえば、お店の中からお客さんがこちらを見ているな。これで綾奈先輩に特殊な体質を持っていると広まってしまいそうな気がする。


「先輩、多くの人の前でサキュバスの姿を見せてしまいましたけど……」

「いいよ、過ぎたことだし。それに、数年前にも教室でサキュバスの姿は見せたから。あと、百合のおかげで本当に助けられたし、勇気をもらえたよ」

「綾奈の言う通りね。百合ちゃんがいてくれて本当に心強かった。あと、綾奈はまた助けてくれた。ありがとう。いつも優しくて、今日みたいなときに勇ましく守ってくれる綾奈のことを私はずっと前から好きなんだよね。本当に……」


 会長さんがそう言うと、時間が止まったような気がした。綾奈先輩は会長さんのことをじっと見つめている。


「愛花……」

「……あっ」


 ようやく自分の言ったことがどういうことか分かったのか、会長さんは急に顔を真っ赤にする。


「……綾奈と恋人になりたいって誰よりも長く、そして強く思ってきたつもり。だから、気持ちを落ち着かせるためとはいえ、綾奈とキスできて良かったって思ってる。返事はいつでもいいから」


 そう言うと、会長さんはバッグを持って私達の元から走り去ってしまった。さっきとは違って、そんな彼女のことを綾奈先輩が追いかけるようなことはしない。


「……そうかもしれないとは思っていたよ。愛花が私に好意を抱いているって」


 綾奈先輩は切なげな笑みを浮かべながらそう呟いた。10年近くも一緒にいれば、会長さんの気持ちに気付くか。


「私達も帰ろう。2人とも今日はすまなかったね。特に百合は」

「綾奈先輩のせいじゃありませんよ。お家まで送りましょうか?」

「ありがとう。でも、大分落ち着いたし大丈夫だよ」

「分かりました。じゃあ、途中まで3人で一緒に」

「そうだね」


 私達はようやく喫茶ラブソティーを後にする。

 途中で綾奈先輩と別れるまではずっと無言だったけれど、別れたときに普段の爽やかな笑みを浮かべて「じゃあね」と言ってくれたので、ちょっと安心できたのであった。

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