第12話『魅惑の植物園』

 植物園の中に入ると、家族連れや私達のような若い女性のペア、年配のご夫婦など、来園客はちらほらといる。ただ、花宮駅や電車の中での人の多さを経験したからか、植物園の中にはあまり人がいないように思えた。ゆったりと植物園を楽しむにはこのくらいの方がいいか。

 チケットを買ったときにもらったパンフレットに書いてある通りの順路で回ってみることに。

 まずは熱帯地域の植物コーナー。その名の通りとても暖かいな。寒い時期にはうってつけの場所かも。

 熱帯地域だけあって、見たことのないような植物ばかり。とても遠いところに来た感じがする。


「ここを歩いていると、何だか不思議な感覚になるよ。南国の森林に来た感じがしてさ。水が本物の小川みたいに流れてて。ただ、見上げるとしっかりと屋根があるのが分かって」

「室内であることを忘れちゃいますよね。私も東京じゃない場所に来ている感覚になるといいますか。空気の暖かさ。周りに広がっている緑の多さ。植物の匂い。ただ、綾奈先輩の手をずっと握っていて。先輩と南国に旅行に来ている感じです」

「ははっ、旅行かぁ。同じ学年だと修学旅行で一緒に行けるけど、後輩の百合とはそういう機会がないんだよね」

「こればかりは仕方ないですね」


 学年が違うことの悲しさ。ううっ。

 ということは、同じ学年である会長さんは小学生と中学生のときに綾奈先輩と一緒に修学旅行に行ったんだ。いいなぁ、羨ましいなぁ。


「百合と一緒に旅行に行くのも面白いかもね。例えば、温泉とか」

「温泉旅行ですか!」


 綾奈先輩と一緒に温泉旅行か。ということは食事をするときも、温泉に入るときも、寝るときもいつも側には先輩がいるんだよね。そんな中で先輩と色々なことをしちゃうのかな。


『ねえ、百合。旅行なんだから体を洗ってほしいなぁ』


『ねえねえ。せっかくの旅行だし一緒のおふとんがいい。できれば、ふとんの中で色々なことをしたいから、百合のことを寝かせたくないよ』


 みたいなことがあればいいな……なんて。


「百合、顔が赤いけれど大丈夫? 暑くて気分が悪くなっちゃった?」

「いえいえ、そんなことないです! 旅行って楽しそうだなと思ったら体中が熱くなっただけで!」

「あははっ、そっか。百合は面白いなぁ」


 綾奈先輩はいつも通りの爽やかな笑みを浮かべる。今みたいにいかがわしい想像をしちゃったのは、先輩のサキュバス体質の影響なんだろうか。

 その後も熱帯地域のコーナーを見て、一旦、ロビーに戻ってくるととても涼しい。


「涼しいね。さっきに比べると、百合の顔の赤みが取れてきたね。良かったよ」

「ご心配お掛けしました。でも、熱帯だけあってか暑かったですね」

「そうだね。私もベスト着ているからか、ちょっと汗掻いちゃった」


 綾奈先輩の顔を見てみると、ちょうど首筋に汗が流れるのが見えた。それがとても艶やかで。唾を一口飲み込んだ。


「もう一つのコーナーって何だったっけ?」

「ええと、日本の植物ですね。その中には季節の花コーナーというのもあるみたいです」

「じゃあ、もしかして白百合の花も見ることができるかな」

「百合は今ぐらいの時期から咲く花ですし、可能性はあるかもですね」


 私がそう言った瞬間に目の色が変わる。綾奈先輩、本当に白百合の花が好きなんだ。


「そっか。さっそく行ってみる?」

「ええ、行ってみましょう」


 私達は日本の植物コーナーに足を踏み入れる。その名の通り、見たことのある植物がたくさんあって。熱帯地域のコーナーの後だからか爽やかな感じもして。こっちの方が好きかな。


「そういえばさ、百合。前から訊きたいと思っていることがあるんだけれど」

「はい、何ですか?」

「百合の名前の由来ってやっぱり、花の百合なの?」


 名前の由来か。訊きたいと思っていることがあるって言うからドキドキしちゃったよ。


「そうですよ。私の産まれた病院の近くにお花屋さんがあって。両親曰く、私が産まれる時期に売られていた花の中で、最も印象にあった花が百合だったので百合にしたんだそうです。兄と妹も同じような理由で名前を付けたみたいです」


 産まれたときのことを思い出しやすいように花の名前にしたとも聞いたことがある。花が好きな両親らしいというか。


「そうなんだ。素敵な由来だね」

「この名前は気に入っているので両親には感謝ですね。ちなみに、先輩の名前の由来は?」

「ああ……両親が出会った頃に流行っていて、2人とも好きなドラマのヒロインの名前から取ったんだって」

「な、なるほど。とても素敵だと思います」


 好きな芸能人から取ったっていう地元の友達はいるけれど、フィクションに影響されたという名前の由来は初めて聞いたな。


「おっ、名前の話をしたからか百合の花が見えてきたよ」

「あそこにありますね。段々と花の匂いも香ってきました」


 互いの名前の由来を話している間に、季節の花コーナーの場所に辿り着いたようだ。百合は色々な種類があって、花びらも綺麗で人気があるから植えられているのかも。


「やっぱり、好きだな……」


 綾奈先輩は百合の花を見て、柔和な笑みを浮かべながらそう呟く。そんな彼女の姿を見て、初めて自分の名前が嫌だなと思った。花の名を持つ人の宿命なのだろうか。

 目の前に凛と咲く百合の花を見て嫉妬したけど、そんなことをしてもどうにもならないと思ってすぐに止めた。それに、こういうことを理由に百合の花を嫌いになりたくない。


「いい花ですよね、百合って」

「そうだね。でも、百合っていう女の子おかげでもっと好きになったよ」

「……そうですか」


 できれば、百合っていう花のおかげで、百合っていう女の子のことを好きになったって言ってほしかったな。

 でも、望むだけじゃなくて行動しないと叶わないこともあるよね。周りに人は全然いないし、百合の花のおかげでいい雰囲気だし今が絶好のチャンスなのかもしれない。


「あ、綾奈先輩!」

「うん?」

「わ、私は、その……」


 言うんだ。言わないと。言わなきゃ!


「好きです! ……ゆ、百合が……」


 大きな声でそう言うと、綾奈先輩はふふっ、と上品に笑った。


「そっか。初めて話したとき、名前と似ているからっていう理由で白百合の花が好きだって言っていたよね。改めて言うなんて本当に好きなんだね」

「は、はい……」


 好きですって言うことができたけど、勇気を出しきれなかったよ。一番好きなのは『綾奈』なのに、『百合』って言っちゃった。


「百合、また顔が赤くなってるけれど……」

「大好きな百合の花の前で興奮しちゃったんですよ! それだけですから」


 何度も顔が赤くなっちゃって恥ずかしいよ。


「それならいいけれど。今日の百合は植物園に来てからより楽しそうだから、さすがは園芸部だなって思ったよ」

「いつかは来てみたかったところでしたからね。それに、綾奈先輩と一緒に来ることができたのでより楽しくて、嬉しかったというか……」

「嬉しい言葉だね。私も百合とここに来ることができて楽しかったよ。さっ、出口はあそこだし行こうか」

「はい」


 出口に近づく度に、百合の花の香りが段々と弱くなっていって。そのことに寂しさを覚えながら日本の植物コーナーを後にした。

 ロビーに戻り、パンフレットを眺めることに。主なコーナーはこれで全部見たし、行くとしたら売店とかかな。


「綾奈先輩。売店に……って、どうしたんですか? そんなところに立って」


 さっき出てきた日本植物コーナーの出口の近くで、綾奈先輩が立ち止まっていたのだ。


「ねえ、百合。今日のメインの植物園は見終わったけど、これからどうする?」

「正午も過ぎていますし、お昼ご飯がいいかなと思います。確か、この植物園の近くにパスタ屋さんがあるんですよね?」

「そうだね。ちなみに、2人きりがいい? それとも3人がいい?」

「3人で食べても私はかまわないですが、知っている方だと嬉しいです」


 すると、綾奈先輩はふっと笑い、


「……そっか、分かった。じゃあ、呼ぼうかな。……そこにいるのは分かっているんだよ、愛花」

「えっ、会長さんがいるんですか?」

「そうだよ。愛花、怒らないから出ておいで」


 綾奈先輩がそう言うと、出口からロングスカートにブラウスという服装の会長さんが気まずそうな様子で姿を現したのであった。

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