第8話『サキュバス』

 ──実は私、サキュバスの体質を持っているんだ。


 綾奈先輩のその告白は、当然耳を疑ってしまう内容で。はいそうですか、と素直に受け入れられることではなかった。サキュバスという言葉のせいなのか。それとも、ベッドの上で綾奈先輩に覗き込まれてドキドキしているからなのか。


「とりあえず、このままの体勢でいるのはアレですから、さっきみたいにクッションに座りましょう。あと、コーヒーを飲んで気持ちを落ち着かせたいです」

「うん、分かった」


 私はベッドから起き上がり、クッションに座り直す。

 冷めかけたコーヒーを飲むと気持ちが落ち着いてきた。ただ、そのせいかさっき以上に『サキュバス』という言葉が非現実的に思えてくる。


「百合、どうかな」

「……コーヒーのおかげで落ち着いてきました」


 先輩もコーヒーを飲んだからか、瞳の色が黒に戻っている。


「それなら良かった。じゃあ、改めて言うけれど、私はサキュバスの体質を持っているんだよ」

「また言われると、あまり現実味がないですね。それこそ、ファンクラブ以上に創作の世界の話って感じです。サキュバスということは、その……欲情させる女性ってことですか」

「簡単に言えばそうだね。男性の性欲を引き出すサキュバス体質の女性が普通なんだけれど、私の場合は女性の性欲を引き出すサキュバス体質を持っているんだよ」

「女性の……」


 それを言われて真っ先に思ったことは、花宮女子に通う多くの生徒に人気があるのは、サキュバス体質が関わっているんだろうということ。私もその中の1人にしか過ぎず、綾奈先輩への恋心は彼女の持つサキュバス体質により抱いたものなんじゃないかって。

 ただ、先輩のいないところでも、先輩のことを思うと好きな気持ちが膨らんで、気持ちが温かくなる。サキュバス体質に関係なく恋をしているのかな。考えれば考えるほど、自分自身が分からなくなっていきそうだ。

 そんな自分のためにも、まずは綾奈先輩が持っているサキュバス体質について詳しく知ることからかな。


「体質ということですから、生まれながらに持っているんですか?」

「多分ね。母親もサキュバス体質を持っていてさ。辿っていくと母方の親戚の女性の何人かが、サキュバス体質を持っていることが分かったんだ。私も母親からサキュバス体質を受け継いだんだよ」


 サキュバス体質の血を引く家系か。あと、今の話だと女性全員がサキュバス体質を持っているわけではないらしい。


「先輩のお母様は、先輩のように女性の性欲を引き出すんですか?」

「ううん、お母さんは男性の方。女性の性欲を引き出すのは親戚の中では私が初めてみたいで。お母さんのことも診たお医者さんにかかったけど、これは初のケースだって言われた」

「そうなんですか……」


 サキュバス体質を持っているだけでも珍しいだろうに、女性の性欲を引き出す人は初めてと言われたら、私なら不安でいっぱいになって、しばらくは引きこもってしまうかもしれない。


「自分にはサキュバス体質があることをいつ頃気付いたんですか?」

「小学5年生くらいかな。成長期が始まった頃から、クラスメイトの大半の女の子の様子が変わってきたんだ。顔が赤くなったり、うっとりとした表情になったり。中には私に積極的にスキンシップをする女の子もいた。当時の担任は30過ぎの女の先生でね。一度、放課後に呼び止められたとき、強く抱きしめられて頬にキスされたことは今でも鮮明に覚えてるよ。そのことをお母さんに相談したら、サキュバス体質のことを教えられたんだ」


 成長期を迎えたことをきっかけに、サキュバス体質の影響が出始めてしまったのかな。女性らしい体になっていくから。クラスメイトの女の子だけじゃなくて、担任の女の先生まで急に変わってしまうのは恐いな。


「小学5年生ということは、会長さんとは一緒のクラスですよね。会長さんはどうだったんですか?」

「愛花は……それまでと全然変わらなかったかな。ずっと仲が良くて、スキンシップもしてくるときもあったし。それがサキュバス体質の影響じゃないとは言いきれないけれど。もちろん、個人差もあって全く影響のないクラスメイトもいたよ」

「なるほど……」


 そういえば、昨日の放課後に生徒会のお手伝いをしているとき、副会長さんは落ち着いていて、綾奈先輩が気になっている様子はなさそうだったな。


「ただ、クラスメイトの女の子の態度が変わって私に集まってくるから、私に色々と言ってくる子がいてね。男子やサキュバスの影響があまりない女子を中心に、私のことを『魔女』だと揶揄していじめてきた。私のことを守ろうとした愛花のことは、『魔女の使い』って揶揄してね。愛花の場合は、彼女が気に入っている金色の髪についても悪く言われたんだ。私と愛花の親友だった子が中心になってね」

「そんな……」


 女性の性欲を引き出すサキュバスは確かに珍しいけど、そんなことでいじめるなんて。

 昨日、花宮女子高校には同じ中学出身の人がいると言ったとき、先輩方が儚げな笑みを浮かべていたのはこれが原因だったのか。


「そのことが悔しくて、虚しくて、悲しかった。でも、体質のことだからどうすればいいのか分からなくて。死ぬしかないのかなって思うこともあったよ。ストレスが溜まっていって、それが限界に達したとき『これ以上、愛花や私に何かしたら絶対に許さない!』ってクラスメイト全員がいる場で怒鳴ったんだ。そのこと機に、いじめていた子を中心に距離はできたけれど、私達へのいじめはなくなったんだよ」

「そうだったんですか。先輩の想いが届いたのでしょうかね」

「……それはどうかな」


 すると、綾奈先輩は寂しげな笑みを浮かべた。


「怒鳴った後、私は具合が悪くなって倒れたんだ。数日後、体調が快復したときに愛花から、怒鳴ったときに私の目が赤くなって、角と黒い羽、尻尾が生えていたって言われたんだ。そんな私を見て恐れたから嫌がらせがなくなったんだって思ってる。ただ、私はおろか、愛花にさえ謝る人はいなかったよ。ただ、結果としていじめがなくなっただけ良かったかなって。それからは愛花も少しずつ元気になっていったし」


 サキュバス体質のことでいじめが始まり、サキュバス体質による姿を見せたことでいじめが終わるなんて。何とも言えないな。


「色々とあったんですね。瞳が赤くなるのはサキュバス体質によるものだったんですね」

「そうだよ。興奮するときや怒りの感情などを強く抱くときに瞳が赤くなるんだ。体が成長して、気持ちをコントロールできるようになったからか、前よりは赤い瞳になることは少なくなったよ。普通に楽しいときや、愛花や妹とかに叱るときとかは黒い瞳のままだし」

「そうなんですね。じゃあ、白百合の花の前で初めて話したときや、さっき瞳が赤くなったのは……」

「今回は百合の部屋に来たことや、百合の太ももに触って興奮したからね。白百合の花の前で初めて話したときに瞳が赤くなったのは……百合と話すことができてとても嬉しかったからだと思う」

「そう言われると何だか照れちゃいますね」


 ただ、私に関してとても嬉しい気持ちを抱いてくれるのは嬉しい。

 瞳の色が赤くなったら、何か強い感情を抱いているサインだと思っておけばいいんだ。


「そういえば、先輩には妹さんがいるんですね」

「うん、1人いるよ。3歳年下の中学2年生なんだ。妹は私がサキュバス体質だと分かった年齢になっても何も変化がなかったから、多分、普通の人間だと思う。妹やお母さんは私のサキュバス体質の影響は受けないよ」

「そうですか。ちなみに、私も3歳年下の妹がいます。あと、4歳年上の兄も」

「へえ、百合ちゃんには兄妹がいるんだね」

「ええ」


 この寮に引っ越す日、妹よりもお兄ちゃんの方が私のことを心配していたな。引っ越してから1週間くらい確認のメッセージを送ってきていた。

 家族に学校の先輩のことが好きになったって話したらどう思うだろう。お母さんや妹は分からないけれど、お父さんとお兄ちゃんは好意的かも。


「家族のことを話したら、久しぶりに実家に帰りたくなった?」

「いえ、特には。ただ、夏休みやお正月には帰省しようかなと思ってます。話は戻りますけど、サキュバス体質のことは、会長さんは知っているんですか?」

「もちろん。サキュバス体質を持っていることが分かって、お母さんと一緒に愛花には説明したよ。その他に家族以外で知っているのは、かかりつけの医者と花宮女子の一部の教職員だけ。ただ、小学生のときの一件があったし、特に中学以降は多くの女性から告白されたから、私が普通の人間じゃないと思っている人は結構いるんじゃないかな」

「そうですか。でも、どうして地元の女子校である花宮女子に進学しようと決めたんですか? こう言ってはいけないんでしょうけど、体質のこともありますし。それに、地元ですと小学生のときにいじめていた子が通っている可能性も……」


 体質のことを考えたら、共学の方がいいんじゃないかと思えてしまって。


「百合の考えていることは分かるよ。現に、私や愛花をいじめた子も花宮女子に通ってる。ただ、徒歩で通学できるし、偏差値も私の実力に合っているし、何よりも愛花も花宮女子に進学したいって言っていたから。愛花と同じ高校なら、きっと3年間大丈夫だろうって思えたから。周りは女の子ばかりだけれど、この体質だから、色々なことはあると割り切ることにしたんだ。そのときはしっかりと対応しようって決めてね」

「なるほど……」


 サキュバス体質があると分かってから、色々な経験をした上でそう考えたのかな。中学生になってからは特に多くの女性から告白されてきたことで、周りにいる女性とどう接すればいいのかが身についていったのだろう。あと、幼なじみであり親友でもある会長さんが側にいるということが大きいか。


「色々と話してくれてありがとうございます。先輩のことを知ることができて嬉しいです」

「いえいえ。でも、サキュバス体質のことは誰にも言わないでね」

「分かりました。あと、どうして、家族以外にはほとんど話さないサキュバス体質のことを、初めて話してから日の浅い私に話してくれたんですか?」


 家族はもちろん、会長さんは綾奈先輩にとって長い付き合いのある信頼できる人だ。教職員も見守ってくれる大人だから話したんだろう。

 それなら、私は? 出会ってから、私の想像した以上に先輩と一緒に過ごしたけれど、会長さん達に比べたら浅くて。それでも私に話してくれた先輩の心に触れたくなったのだ。


「そうだね……」


 そう呟くと、綾奈先輩は優しい笑みを浮かべながら私のことを見つめて、


「百合ならサキュバスのことを話しても、それまでと変わらずに私と接してくれるんじゃないかって思ったんだ。それに、体質のことを知ってもらった上で、これからも百合と楽しい時間を過ごしたいなって思ったから。どんな関係としてなのか上手く言葉が見つからないんだけれどさ。……自分で言っておいて何だけど、わがままだね、私」

「そんなことないです。綾奈先輩が私を信じて話してくれたことが嬉しくて。ですから、その……これからも楽しい時間を綾奈先輩と過ごさせてください」

「うん、よろしくね、百合」


 すると、綾奈先輩は私に右手を差し出してくる。

 私がしっかりと握手を交わすと、先輩は初めて、はにかんだ笑みを見せてきた。それがとても可愛らしくて。先輩の手から伝わってくる温もりが愛おしく思えて。きっとこれが、私だからこそ見せてくれる心の一面なのかもしれない。



 綾奈先輩のサキュバス体質について深く知り、改めて綾奈先輩に対して抱く『好き』という感情がどこから来たのか考えると、はっきりとした答えは見つからない。自ら抱いたものなのか、彼女の体質によって引き出されたものなのか。

 ただ、綾奈先輩に好意を抱いていることは確かなことで。その想いをいつまでも抱き続け、育てていきたい。そう強く想うのであった。

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