第7話『好きな人との距離』
6月7日、木曜日。
生徒会のお手伝いの疲れがあったからか、昨日はぐっすりと眠ることができた。
今日は一日ずっと雨が降り、昨日の蒸し暑さから一転して肌寒くなるそうだ。今後も雨の日が続くので、今日にも梅雨入りが発表されるかもしれないとのこと。
長袖のYシャツにベストを着て家を出ると、昨日の暑さが嘘のように寒い。こういうとき、徒歩3分で学校に行ける寮生で良かったと思う。
学校に行き、今日も授業を受けることに。
しかし、昨日の生徒会室での綾奈先輩と会長さんのことを何度も思い出したり、しとしと雨が降る空を眺めていたりしていたので、一昨日や昨日のようにあまり集中することができなかった。
会長さんと一緒にいるときの綾奈先輩はそれまでと比べて可愛かったな。そんな先輩の姿を見ることができて嬉しいけれど、会長さんだからこそ引き出せた顔じゃないかと思うと寂しくもあって。
きっと、恋をしてなかったら、先輩にも可愛いところがあるくらいにしか思っていなかったのかもしれない。恋をするっていいことばかりじゃなくて、辛かったり、寂しかったりするものなんだと思い知っている。
『俺、白瀬のことが好きなんだ。俺と付き合ってください!』
人生唯一。中学生のとき、クラスメイトの男子からされた告白は全く心に響かなかった。それは彼のことを全く魅力的に思っていなかったからだろう。だから、その場で丁重に断った。
『……そうか。突然すまなかった』
彼はとても悲しそうな笑みを浮かべながらそう言って立ち去った。
悪いことをしてしまったかなとは思った。ただ、翌日から普段と変わらない様子に戻っていたので大丈夫なんだと考えてしまって。
でも、今なら私にフラれたときの彼の気持ちがちょっとは分かる気がする。胸が苦しくて、好きな人が遠くに行ってしまう寂しい気持ち。もしかしたら、彼はそんな気持ちを今も抱き続けているのかもしれない。彼の心の中には今日のような雨がずっと振り続けているのかもしれない。
恋は嬉しさと悲しさという表裏一体の性質を持っている。そんなことまでも考えながら、今日の授業は静かに終わっていった。
今日は木曜日で園芸部の活動もないから、この後はどうしようかな。みんなは部活があるから、一緒にどこかへ遊びに行くこともできないし。
綾奈先輩に声をかけて一緒の時間を過ごせれば最高だけど、バイトかもしれない。昨日は生徒会のお手伝いという形で先輩と一緒にいて楽しめたし、今日は真っ直ぐ家に帰ろう。冷蔵庫の中を確認して、スーパーでお買い物しようかな。
「どうしたの、百合。こんなところで立ち尽くして」
肩をポンと叩かれたので後ろに振り返ると、目の前には綾奈先輩がいた。そのことに色々な意味でドキドキしてしまう。
「あ、綾奈先輩、こんにちは」
「こんにちは。今日は部活がないんだっけ」
「はい。火曜日と木曜日は園芸部の活動が元々ないんです。なので、今日の放課後はどうやって過ごそうかなって考えていたんです」
「そうだったんだ。私も今日はバイトもないし、愛花から生徒会の手伝いをしてほしいって言われてもないから、この後どうしようかなって考えていたんだよ」
「私と一緒ですね」
そんな綾奈先輩とこのタイミングで会うことができるなんて運がいいな。
「もし良かったら、この後、私と一緒にどこか遊びに行く? もちろん、百合の好きなところで」
「いいんですか? ではお言葉に甘えて。そうですね……どこがいいかなぁ」
というか、これっていわゆるデートなのでは? そう考えるとドキドキが増してきて、どこに行けばいいのか分からなくなってくる。引っ越してきてまだ2ヶ月半くらいで、花宮駅の周辺くらいしか分からないし。
「雨も降っていますし、私の家に来ませんか?」
「えっ?」
行きたい場所が思いつかなかったから、ついそう言っちゃったけれど……お家はまずかったかな。綾奈先輩、目を見開いているし。
「いいの? 百合の部屋にお邪魔しちゃって」
「先輩さえ良ければ」
そうは言ったけど、どこかに遊びに行くよりもよっぽどドキドキすることじゃない! 今になって、自分の言ったことの重大さを知ることに。
「じゃあ、百合のお言葉に甘えてお邪魔させてもらおうかな。寮の部屋に入ったことは一度もないし」
「そうなんですね。じゃあ、さっそく行きましょうか」
「うん」
私は綾奈先輩と一緒に家に帰ることに。その途中、コンビニで先輩が抹茶味のチョコレートを買ってくれた。
「ここが私の部屋です」
「おおっ、素敵な部屋だね」
「そうですよね。さすがは東京の高校の寮って感じがしました。数人くらい友達の部屋に行きましたけど、みんなこういう感じの部屋でしたね」
「そっか。こういう部屋なら、3年間気持ち良く過ごせそうだ」
「ですよね。飲み物を出しますけど、紅茶かコーヒー、麦茶のどれがいいですか?」
「コーヒーがいいな。今日は寒かったから温かいブラックコーヒーをお願いできるかな」
「分かりました。用意しますので、先輩は適当にくつろいでください」
「うん。じゃあ、お邪魔します」
そう言って、綾奈先輩はバッグを勉強机の近くに置き、ベッドの側にあるクッションに正座をした。ベッドで横になってくれてもいいのに。
好きな人が自分の家にいるっていいな。しかも2人きり。綾奈先輩と出会ってから一番ドキドキしている。
綾奈先輩がコーヒーなら私も同じにしようかな。チョコレートもあるし。
2人分の温かいブラックコーヒーを淹れて、綾奈先輩のところに持って行く。
「お待たせしました、先輩」
「うん、ありがとう。さっき買ったチョコも食べようか」
「はい、いただきます」
綾奈先輩の近くに座り、先輩が買ってくれたチョコレートを1粒食べる。チョコレートの甘さと抹茶のほろ苦さがちょうどいい。
「チョコレート美味しいですね」
「でしょう? このチョコは好きでたまに買っているんだ。……コーヒーも美味しいね。今日、梅雨入りしたけれど、寒かったから温かいものが身に沁みるよ」
「昨日が蒸し暑かったからか、かなり寒く感じますよね」
私もブラックコーヒーを一口飲む。チョコレートを食べたからかとても苦く感じるけれど、たまにはこういうのもいいかなと思う。先輩が側にいるからか美味しい気がして。
「そういえば、先輩ってバイトをしているあの喫茶店に行って、コーヒーを飲んだりするんですか?」
「そうだね。たまに行くかな。愛花が一緒のときもあるよ。バイトの特典で割引されるし。もちろん、美味しいからっていうのが一番の理由だけれど」
「ふふっ、そうですか。いつか、綾奈先輩と一緒に喫茶ラブソティーに行ってみたいです」
「……うん。近いうちに行こうか」
綾奈先輩は優しい笑みを浮かべながらそう言ってくれた。そのことがとても嬉しくて、気持ちが舞い上がってしまう。
綾奈先輩と2人きりでこんなにも近くにいるからか、思わず好きだと言ってしまいそうで。先輩に心を引き寄せられている感覚もあって。先輩から視線を離すことができなくて。そんな私とは対照的に、綾奈先輩は私の脚の辺りをチラチラと見ている。
「どうしたんですか? 私の脚の方を見ていますけど」
「白くて綺麗な脚だなと思ってさ。特に太もも。……実は私、女の子の太ももフェチで」
「へ、へえ……意外ですね」
「百合の太ももは特にいいと思うよ。もし、百合さえ良ければ触ってもいいかな?」
「……綾奈先輩ですから、いいですよ」
「ありがとう」
まさか、綾奈先輩にそんな性癖があったなんて。きっと、会長さんの太ももも触っているんだろうな。
綾奈先輩の手が私の太ももに触れる。先輩の手、温かくて気持ちいい。ただ、指がスカートの中に少し入り込んでいるから厭らしく見える。
「ひゃあっ」
擦られてくすぐったかったので、ついそんな声が漏れてしまう。ううっ、恥ずかしい。他に誰もいなくて本当に良かった。
「予想通り、百合の太ももはスベスベしていて気持ちいいね」
「そう言ってくれて良かったですよ」
「うん。いい太ももだからさ……是非、裏の方も触りたいんだけれどいいかな」
「……もう、特別ですよ。触りやすいように立ちますね。ただ、触っているときにパンツを覗き見しないでくださいね」
「うん、気を付けるよ」
私はゆっくりと立ち上がって、綾奈先輩に背を向けるようにして立つ。すると、すぐに両脚の太もものあたりに温かい感触が。あと、先輩の吐息がかかってくすぐったい。
「いいね、百合ちゃんの裏太もも。白くて美しい」
「今の言葉だけ聞くと先輩がとんでもなく変態さんに思えてきますよ。……あっ」
さっきよりもくすぐったくて、また変な声が出てしまった。しかも、今回は体をビクつかせてしまう。声だけでも抑えようと両手で口を押さえる。くすぐったいけれど、ちょっと気持ちいい。きっと綾奈先輩の触り方が上手なんだろうな。
「……うん、このくらいでいいかな。素敵な太ももだったよ。ありがとう、百合」
「いえいえ……」
くすぐったい時間が続いたからか、触られるのが終わるとすぐに疲れが襲ってきて、仰向けの形でベッドの上に倒れ込んだ。
「百合ちゃん、大丈夫? 触り過ぎちゃったかな」
「いえ、いいんですよ。綾奈先輩ですから」
すると、綾奈先輩は私のことを覗き込むような形で見てくる。先輩に包まれている気がして嬉しいな。綾奈先輩の香りが抹茶チョコの匂いと混ざってドキドキするよ。
「太ももを触っているときに漏れた声、凄く可愛かったよ」
「……そういうこと言わないでください。恥ずかしいですよ」
「そっか。あと、今の百合は……艶やかでそそられる」
見つめられながら綾奈先輩にそう言われるのは嬉しいけれど、どうしてもあの人のことを思い浮かべてしまう。
「……会長さんみたいだからじゃなくて? 彼女は美人で大人っぽくて、艶やかな雰囲気もありますから」
「確かに、愛花も素敵な女の子だと思っているよ。ただ、百合に名前を言われるまでは愛花のことは思い浮かべなかった」
「そうですか、嬉しいです。そういうことを普段と変わらない様子で言える先輩は、とてもかっこよくて……素敵だと思います」
「……そっか」
綾奈先輩は嬉しそうな表情を見せてくれる。そして、彼女の瞳が赤くなっている。せっかく一緒にいるんだから訊いてみよう。
「あの、綾奈先輩。瞳の色が赤くなっていますけど、本当は何色なんですか? 普段は黒いですけど、白百合の花の前で初めて話したときも赤かったので」
私がそう訊くと、綾奈先輩からは笑みが消えて私から視線を逸らした。もしかしたら、触れたらいけないことだったのかな。
「すみません。ただ、純粋に気になったから訊いただけで、色々な理由がありますよね! だから、その……」
「いいんだよ、百合。そうだな……百合には話しておこうかな」
綾奈先輩は普段通りの落ち着いた笑みを見せてくる。一度、大きく深呼吸をして、
「実は私、サキュバスの体質を持っているんだ」
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