Dメロ
雨が降っている。冷たい雫が髪を、肌を、服を濡らす。傘を持っていく、という発想は無かった。
「こら、こんな場所で何をしている!」
「ここは子供が住む場所じゃないんだ、早く家に帰りなさい」
「やめてよ! 腕を引っ張らないで、痛いから!」
「わたしたち、帰る家なんかないんだもん! ここに居させてよ、お願い!」
子供達の悲鳴と、大人の怒号が聞こえてくる。黒っぽい制服を着た警察官が、ストリートチルドレンの皆を公園から強制的に追い出そうとしているらしい。
「良かったわぁ、これで安心して公園が使えるわね」
「これであとは、あのケーキ屋さえ居なくなれば良いんだけど」
くすくすと嗤う住人達。邪魔だ。人混みを掻き分けて、制止する警察官をも押し退けて、私は前へと進む。
私は、もう立ち止まらない。
「ちょ、ちょっとそこのキミ!」
「メルおねえちゃん! 助けて!!」
子供達が、警察官が、そして街の住人達が私を見る。視線が私に注がれる。気持ちの良いものではないけれど、仕方がない。
両手を胸の前で組んで、私は歌う。私に出来るのは、世界をほんの少しだけ揺らすだけ。蝶の羽ばたき程度で何が変わるというのか。ずっとそう思っていた。でも、いつだったか誰かが言っていた言葉を思い出す。
蝶の羽ばたきは、時に嵐を生むこともあるのだと!
『――――』
私が感じた思いを、願いを、全てを込めて祈る。大きく息を吸って、遠い場所まで聞こえるように声を飛ばす。
これで世界が変わるなんて思わない。ただ、街の人達が少し何かを感じれば良い。子供達が強く生きる糧になってくれれば上等だ。
そして……ここに居ない彼にも届けば。なんて、そこまで欲張ってはいけないか。
「わあ……!」
「信じられない、なんて綺麗な歌声なのかしら」
女の子が口元を押さえて、若い女性が涙を一つ零した。歌なんて、無力だと思ったことがある。歌ではお腹を膨らませることも、雨風を凌ぐことも、病気を治すことも出来ない。
でも、目に見えないものだからこそ。誰もが想像出来ない奇跡を起こすのだ。
「……見て、虹だ!」
私が歌い終わると同時に、雨が止んで虹が出ていた。これはちょっと出き過ぎかも。でも、少しは皆に何かを伝えられたらしい。
子供達も、警察官も住人達も皆、同じ表情で一様に空へかかる七色の橋を見上げていた。これ以上、私が何かをすることは出来ない。必要も、無いだろう。
そう、この世界での役目は終わった。時計の針はもう動かない。
旅立つ時だ、次の世界へ。私は踵を返して、公園から出る。世界を渡るには、人の居ない場所を探さないと――
「――メル!」
「え?」
名前を呼ばれて、後ろから抱き締められる。赤みの強い茶髪が、頬を擽る。彼の腕が、身体が熱い。
まだ熱が下がらないのか。それとも、雨のせいで私が冷え切ってしまっているのだろうか。
「行って、しまうのかい? このまま、すぐに?」
「……うん」
「ずっと一緒に居て欲しい、って言ってもだめ?」
子犬のような彼に、頷く。色々、言いたいことはある。もう二度と寝不足で倒れないでよ、とか。炊き出し、もう手伝ってあげられなくてごめん、とか。
でも、何も言えない。口を開いたら、弱音が零れてしまいそうで。泣いてしまいそうで。
「……これ」
「なに?」
「プリン。材料が無くてさ、一個しか作れなかった。全然足りないと思うけど」
そう言って、手に押し付けられる小さな紙袋。離れていく彼の温もり。ねえ、私を作った無責任な神さま。もしも、ここで泣きじゃくったら私をここで解放してくれる?
――答えは、いらない。
「僕……絶対に負けないよ! 今よりもお店を大きくして、皆が安心して暮らせる孤児院を作る!! この街が、どんな人でも安心して暮らせるようにしてみせる。きみがいつ来ても良いように、プリンも山程作っておくから! 約束するから!」
「私も、負けない! どこに居ても、あなたに届く程の歌を作る。世界を丸ごと平和で幸せに出来るまで歌い続ける! そして、会いに行くから……あなたの名前を呼ぶから! 約束だから!」
熱くて大きな手を握り締める。そうだ、ここで立ち止まるわけにはいかない。手を離し、私達はそれぞれの道へと足を向けた。
引き留めるのではなく、お互いの背中を押して。止めていた足を、一歩ずつ前へと進む。それから、紙袋の中身をそっと覗く。
驚いて、思わず目を大きく見開いた。
「おお……! すごい、これはスペシャルなやつだ」
たった一個、最後の彼のプリン。でも、前に食べたものとは違って生クリームやフルーツが山のように添えてある。絶対に美味しい。
その場で食べて感想を言えば良かった、とも思ったが。それは、またの機会にしよう。今まで、同じ世界に再び舞い戻れたことはないのだけれど。
でも、それでも。私は信じる。メル・アイヴィーは、奇跡の歌姫だから。
「このプリンの感想は、約束を果たせた時に」
これは、次の世界に渡ってから食べよう。水溜まりを踏み付け、石畳の道を駆ける。負けない、絶対に。
そうだ。どうせなら、一曲作ろうかな。いつまでこの旅が続くかはわからないけれど、彼に再会出来た時に聞かせてあげられるように。
その曲のタイトルは、そう――
プリン、おいしかったです。の歌 風嵐むげん @m_kazarashi
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