第5話 阿修羅

 慶次郎は言った。

「このものは阿修羅で御座る。よって、身から剣を離すことはありません。また、御身達が敵とあらば何の躊躇いもなく斬りかかるでありましょう。四条河原の斬り合いでは瞬時に二人の首を落としております。また、この者にとって我らの茶の作法なぞ何事でもないのです。この者の立ち居振る舞いは自ずと理に適っております。誰が教えた分けではないのです。茶の心が一期一会ならば、この者の一瞬一瞬の生がそれなのです。我が茶室にて御身達の心に無礼あらば、今日までの命と候らえよ。心してこの者の姿を愛でられるがよい。」


 慶次郎の発する軽やかな言葉の紋(あや)の中に身の毛もよだつ鋭利な刃(やいば)が見え隠れした。


 光悦と素庵は目をひんむいてりんの端座する姿を見た。


 りんは二人の素性を知らなかった。その目は背後の庭を見るように、二人の全体の姿を捕らえていた。死生の狭間を見る目であった。光悦達は初めて殺気というものに身の毛がよだった。町人で商いを営む彼らの周りには、このような目で彼らを見る者はいない。

 武家に参上したときでも、粗相があれば手討ちになろうという緊張感はあるが、寸鉄を帯びぬ者の論理がある。だが今はそのような論理は通らぬ。りんの手が動けば彼らの命は絶たれるのだ。生きたむき出しの剣(つるぎ)が静かにそこに居た。触れば斬られる。だが、その剣はどこまでも美しいのである。

 ここに来たのは正に命がけの酔狂となった。


 光悦は自らの生業(なりわい)の対象である日本刀の美しさの秘密を、常日頃考えていた。ただ、人を斬るという機能しか持っていない刀が、なぜこのように美しいのか、いやそれだから美しいのだというところで思考が留まっていた。自ら試し物や人を斬ることはしないが、その美を十分分かっていると考えていた。


 だが、本当にそれを持ち、命を預け、相手を斬り殺す立場の者の心を知ろうとは思わなかった。血で穢れた闘争は無縁だと思っていた。心のなかでは戦うしか能のない侍を軽蔑していたのだ。だからこそ芸術によって普遍を目指した。財を使って世の万人の為に事業を興そうとした。角倉家を支援し治水事業を計画した。


 だが、今日、斬り殺されるかも知れぬ。それがいやなら、自らも剣を取ってそれに命を預けなければならぬ。剣は、従容と主と共にその運命に従う。


 だから持ち主は剣を美しいと思うのである。


 光悦は慶次郎の不思議な雰囲気の理由を理解した。彼は剣に命を託す側の人間だったのだ。生死をともにする分身がいるからこそ、死を前にしてもその平静を失うことはないのだ。

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