第2話

蒸気自動車が排蒸気を噴き出し、目の前を走り抜けるのを待ってから本署へと自転車を押して入る隅田。


 途端にいつもの喧騒が目と耳に飛び込む。


 タイプライターを素早く打つけたたましい打鍵音に、大きなベルをがなり立てるようにして鳴らす卓上電話の呼び出し音。


 取調室からは怒号が響き、机を叩く大きな音がしており、受付では猫を探してくれと泣きつくおばあさんを女性公安官が親身になって宥めている。


 隅田はその喧騒を聞いて薄く笑みを浮かべ、署の裏手にある駐輪場へ回る。


 そして駐輪場の所定場所へ自転車を置き、帰署報告をしてからロッカー前で装備を下ろしている隅田に電話が入った。


「お~い、隅田上等公安官いるか?」


「……何でしょうか?」


「電話だ、板橋さんて言ってるが?」


「分かりました……すぐに、行きます」


 装備をロッカーへ仕舞い、その声に応じる。


 隅田が制服のまま電話のある事務所へ行くと、受話器が外された状態で置かれていた。


 その受話器を隅田が取ると、すかさず板橋少佐の声が響く。


『今日軍への移動辞令を出す』


「……はい」


『さして荷物はないだろうが、準備をしておくように』


「分かりました……」


 それだけ告げると板橋は一方的に電話を切る。


 彼からの指令は、隅田の教育が今日で終わった事を告げていた。


「……私は結局……何者だったんだろう……?」


 受話器を持ったまま佇む隅田の自問自答は、しかし次の瞬間中断される事になる。


 突如凄まじい地響きに次いで、破壊的な爆発音が南海市に響き渡ったのだ。


 びりびりと空気を振わせる振動が隅田を揺さぶる。


 本署の窓ガラスが割れ、周囲の家屋が衝撃で揺れる。


 さすがに無表情ながらも驚いて振り返れば、真っ白な蒸気を天空に吹き上げる南海市蒸気発電所の姿があった。


 再び襲ってきた衝撃波に悲鳴が上がる。


 付近にあった蒸気自動車や簡易蒸気機関が共鳴爆発したのだ。


 署内に怒号とも紛う命令が飛び交い、状況確認に公安官達が飛び出して行く。


「……これは?」


 電話の受話器を置き、視覚機能を最大限にして黒々とそびえ立つ発電所を見る隅田。


 そこには施設のあちこちで爆発を起こし、盛んに設備の破片と蒸気を吹き上げている発電所の姿があった。


「……つ、うっ!?」


 突如能吏に光と痛みを感じてうずくまる隅田の脳裏には、8年前の出来事が蘇っていた。


「こ、これは……?」


 戸惑う隅田の脳裏にはかつてその身体の持ち主だった須田誠一郎が帯剣した出来事が次々と再生されていたのだ。


 理由は分からないが、共鳴爆発した事だけは覚えている。


 いきなり赤く発光し、爆発する巨大な蒸気缶。


 吹き飛ばされる人々。


 そこには自分の同僚と家族の姿があった。


 警備任務で南海市に派遣された須田誠一郎は、自分の晴れ姿を見せようと家族を発電所に呼んだ。


 そしてその時事故が起きたのだ。


 須田誠一郎の父と母が、彼の目の前でバラバラに吹き飛ばされ、また仲の良かった同僚が蒸気に炙られ、焼き尽くされてゆく。


 さっきまで冗談交じりに発電所の説明をしていた職員が、布交じりの肉塊となって壁に張り付いている。 


 そんな光景が一気に蘇ってきたのだ。


「ぐ……わ、は?」


 そして思い出される昨日の会話。


「……小学生達が」


 痛む頭を振り、振動が早まった胸を押さえて隅田は立ち上がり駐輪場を目指す。


 その時南海市の防災無線から非常サイレンが鳴らされ、次いで避難命令が出された。


『発電所において爆発事故が発生し、南海市全域に避難命令が出されました。市民の皆さんは公安官や軍、市職員の指示に従い避難して下さい。慌てずに落ち着いて行動して下さい。避難先は南海市東部地域となります。繰返します……』


「い……行かなければ……」


 その時隅田の目の前の電話が鳴った。


 それを思わず取った隅田の耳に再び板橋少佐の声が届く。


『隅田!直ちに南海市から脱出しろ!』


「……お断りします」


 しかし隅田の口から出たのは板橋の想像に反したものだった。


『な、何っ?』


「小学生を……助けなきゃいけません」


『まさか……記憶を取り戻したのか?』


 驚き慌てる板橋に対し、隅田は落ち着いた声色で言葉を返す。


「記憶は記憶ですが、私の記憶じゃありません。私の基となった須田誠一郎と言う人の記憶は……私の記憶じゃありませんから……」


『人格が戻ったわけではないようだな……だが何故だ?』


「私は……今まで世話になった人の為に頑張ります……お世話になったこの町の為に力を尽くしたいの……です」


 この土壇場で答えが出てしまった。


 悔いはない。


 軍に追われる事になろうが、今の職や立場を失う事になろうが構わない。


 今出来る事を為し、恩を返すのだ。


 人形であり、偽りの須田誠一郎でしかなかった自分に暖かく、そして優しく接してくれた全ての人々の恩に報いるのだ。


『隅田……まさか貴様っ!』


「板橋さん、今まで面倒を見てくれたあなたには感謝していますが……これは私が人としてやらなくてはいけない事です」


 そして自分が何者であるかに答えを出した隅田。


『貴様は人じゃ無い!自動人形だ!戻れ!貴様に一体どれ程の歳月と費用、技術がつぎ込まれていると思っているんだ!』


「知りません……知りたくもありません」


『隅田ーっ!』


 耳を外した受話器から、板橋の絶叫が響くが意に介さず電話を切る。





 隅田は電話を置くと、屋上目掛けて一気にかけ出した。


「市内が避難者と救助者で混乱して道路が使えない……ならば」


 隅田は混乱する署の屋上階へ上ると、背中の排気管を塞がないよう制服の前ボタンを外してその背中部分を露出させた。


 色眼鏡を外して置き、青く目を光らせつつぐっと力を込める隅田の背中から水蒸気が一気に吹き出す。


 ドンッという衝撃と共に屋上の床を蹴り飛び上がると、隅田は圧縮されていた蒸気を吹き出して空を飛ぶ。


 目標は外しようがない、あの巨大な発電所だ。








 蒸気機関発電所の見学者室では、案の定太田少年達が取り残されていた。


 案内役の職員は泡を食って逃げ出したところを噴出した水蒸気に焼かれて溶け落ちた。


 あちこちで高温の蒸気が圧力管から漏れ出しており、危険極まりない中そういった発電所に関する設備のないここはある意味一番安全だったのだ。


「ああ~ん!」


「こわいよ~うわ~ん!」


「おかあさ~んっ」


「だ、大丈夫だって!」


 泣き出してしまった級友を宥めつつ、太田少年は自分も泣き出しそうになっていた。


 先導役の女教師は爆発が起こった時既におらず、はぐれてしまった。


 案内役の職員は……あれでは死んだだろう。


 出口は落ちてきた鋼管で塞がれている。


 奥へ入り込む勇気はないし、第一高温の水蒸気あちらこちらから吹き出していてとても進めるとは思えない。


「……ううっ」


 警報と轟音、爆発音が重なり合って頭に響き、正常な判断力を次第に子供達から奪っていく。


 1人の女の子はフラフラと立ち上がったところを慌てた太田少年に引き倒された。


 相当な勢いで転んだが、痛みを感じていないのか泣く事もしないで虚ろな瞳を中空に向けている。


太田少年が限界と無力感を感じたその時、見学室の壁が轟音と共に破砕された。


「太田君……大丈夫か?」


 開かれた穴から顔を出したのは、商店街の公安官事務所のお巡りさん、隅田だった。


「隅田の兄ちゃん……?」


「良かった……無事みたいだね」


 隅田は制帽こそ身に着けていたが何時もと違い眼鏡をかけず、不思議な青い光を放つ目を晒している。


 また背中には無骨な排気口があり、はだけた制服から覗く胸元に赤く激しく脈動する円形の不思議な金属を貼り付けていた。


「お巡りさん!」


「うわ~ん」


「え~ん、怖かったよう!」


 かなりの異相だが、普段見知っている大人である隅田が現れた事で子供達が一斉に群がった。


 鼻水を垂らして泣きじゃくる小学生達に囲まれ、困ったように笑みを浮かべる隅田を見て太田少年は驚く。


 今まで笑った隅田を見た事がなかったからだ。


 隅田は周辺に落ちていた石炭の欠片を口に幾つか放り込むと、呆けている太田少年に声を掛けた。


「太田君……時間が無い、背中以外の場所に捕まってくれ」








 発電所の外で避難誘導していた公安官がふと空を見上げる。


「……何だありゃ?」


 その公安官が目にしたのは、公安官の制服らしき物を来た人影が子供を身体中に貼り付けてゆっくり白い蒸気を背中から吐き出しつつ降りてきている姿だった。


「……東署日隈駅前事務所の隅田上等公安官……です」


「お、おう?」


 太田少年達8名の小学生を下ろした隅田が現場責任者と思しき公安官に官職氏名を名乗るが、その公安官は驚きで碌な返事を返せない。


 既に周囲は不思議な公安官が空を飛んで来て、この場に降り立った事で騒ぎになっている。


 隅田の格好はどう見ても公安官だが、青く光る目に背中の排気口、何より空を飛んで来たその異能に周囲の人は恐れおののいたのだ。


「……この子達の保護と避難をお願いしたい」


 隅田が太田少年の背を押してそう依頼した瞬間、また大きな爆発が起こった。


 周囲の人々が悲鳴を上げて逃げ惑い、また付近の蒸気機関が共鳴爆発を起こす。


「くっそ!自動車や機械から人を遠ざけるんだ!」


 後方から金色の線が入った制帽を被っているカイゼル髭の偉丈夫が駆けつけて周囲の公安官達を指揮し始めた。


「……職員や住民の避難は……どの程度済んでいますか?」


 物怖じせず、現状に怯えた様子もなく小学生を周囲に張り付かせて尋ねる異相の隅田を見て、カイゼル髭の偉丈夫公安官は眉を顰めた。


「ああ、お前見た事があるな……大分面差しが変わったが、確か東署の隅田だろう」


「……西署の松江署長です……か?」


「おう、そうだ……避難は進んでいない、避難しようにも自動車や船の蒸気機関が危なくて使えないんだ」


 隅田の問いに応じつつ松江署長は顔を再び顰めて言う。


「私が発電所を……止めます」


「どうやってだ?」


「これを……見て下さい」


 そう言って制服を開いた隅田の胸を見て松江署長は再び顔を顰める。


 そこには赤く光り、激しく振動する円形の金属が埋め込まれていたのだ。


「……うん、これは……日緋色鉄か?悪趣味だな」


「はい……私の身体は人間のものでありません……残念ながら」


「それは……見れば分かるな」


 周囲の市民や公安官も隅田の身体を見て息を呑んでいるが、全員がその異様な姿を見て彼の言葉を信じたようだ。


 その様子を確認してから隅田は淡々と言葉を継ぐ。


「日緋色鉄は……共鳴爆発もしますが……共鳴した物の一方が作動停止すれば片方も停止します」


「……それは本当か?理論上は可能でも実際は無理と聞いた事がある」


 それは簡単な理由で、異常を起こしている動状態の日緋色鉄に、静状態の物が引き摺られてしまうからだ。


 しかし理論上軽い動状態の日緋色鉄に異常を起こしている日緋色鉄を共鳴させ、静止させる事は可能とされている。


 ただ実証実験は未だ成功しておらず、未知の技法と言えるだろう。


「証明する時間や手段はありません……が、おそらく大丈夫だと思います。ただ完璧はありません、私は人間ですので……」


「確かにな、人間に失敗はつきものだ」


 隅田の言葉に重々しく頷いて相づちを打つ松江署長。


 その言葉と態度に薄く笑みを浮かべて隅田は言う。 


「避難を進めて下さい。私が失敗しても良いように」


「待て、それで止められた場合隅田、お前はどうなるんだ?」


 隅田の言葉に不穏な物を感じた松江署長が問うと、少し寂しそうな雰囲気を醸し出した隅田が答えた。


「……私の機能は停止するでしょう。私が停止しなければ発電機も……止まりません」


「馬鹿な……命を懸けるのか!」


 松江が発した命という言葉を聞き、嬉しそうに微笑む隅田。


「命……はい、そうです……私は命を懸けます、人の命を救う為に……これ程人間らしい事はありません」


 そしてそう満足げに答えた隅田に怒声が飛ぶ。


「待て隅田!そんな事は許さんぞ!」


「板橋少佐……?」


 驚く隅田の前に、群衆をかき分けて板橋少佐とその上司の技術少将が現れた。


「隅田!私と一緒に来るんだ!」


「お断りします……」


「貴様あ~人形の分際で逆らおうというのか!」


 隅田の拒絶に技術少将が切れるが、隅田も無表情のまま負けじと言い返す。


「私は……私は人間……です」


「黙れ機械人形が!その姿でどうやって人間だというのだ!」


 技術少将は隅田の胸元や目を指で示して嘲るように言った。


「こ……これは」


 自分の姿を指摘されて狼狽える隅田に、技術少将が追討ちをかける。


「分かっただろう!お前は人間などではない!人間を基礎とした機械なのだ!


「隅田……今更お前が機能停止をかけて何をやろうとも無駄だ。この南海市は滅びる、最大規模の共鳴爆発でな……原因は分からんが残念な事だよ」


 激しく童謡した隅田に対し、今度は板橋少佐が諭すように言う。


 しかし隅田は一旦下に向けていた顔をゆっくり上げて言葉を継いだ。


「しかしそれ以外にこの町を救う術はありません……意図的に日緋色鉄の機能停止を行える機能を持った機関は……今ここには……私の心臓部分の物しかないのです」


 隅田の青く光る目には揺るぎない信念があった。


 しかしそれに気付かないまま技術少将は嘲りを多分に含んだ言葉を投げ槍に放つ。


「だから無駄だと言っているだろう……南海電力との協力もこれで反故になるだろうからな、ここでお前まで失っては大損だ」


「うるさいぞおまえ!」


「そうだお巡りさんを悪く言うな!」


 黙り込んでしまった隅田に変って声を上げたのは、太田少年達。


 次いで様子を見守っていた群衆から怒りの声が上がる。


「何もしてない軍が偉そうに言ってんじゃねえ!」


「格好どうこうより志だろう!」


「兄さんにやらしてやれよ!」


「機械がこんな思いを持つのかよ!」


 一気に騒ぎ立てられ、狼狽える板橋少佐と技術少将に更に言葉のつぶてが飛ぶ。


「帰れ!」


「軍は帰れ!」


「愚民どもがっ……誰がこの国を守ってると思っている!」


「うるせえ!」


「それが守るって態度か!」


 怒りに顔を赤くする技術少将や板橋少佐を制止し、松江署長が言った。


「まあまあ……ここは隅田に任せてみましょう」


「何を勝手な事を!口出し無用!ヤツは軍の管轄だ!」


 興奮を抑えきれないまま技術少将が怒鳴りつけるが、松江署長は片眉を上げただけで冷静に応じる。


「おや?彼は公安官ですが……何かおかしな事を言っておられる」


「ぐっ、この……署長風情がっ」


「残念ながら今この場を仕切っているのはその署長風情でしてな……おい、軍将校様方が避難される、案内して差し上げろ」


「はい」


 松江署長の命令で公安官が2人を取り囲むが、技術少将と板橋少佐は往生際悪くわめき散らして手を振り回し、連行されるのを防がんと抵抗する。


「離せ、木っ端役人どもが!」


「はいはい、その木っ端役人が先導を務めさせて頂きましょう」


「触るな!」


「うるさいよ」


 公安官が尚も抵抗する技術少将と板橋少佐の2人を半ば強引に連れ出した。


 驚く様子を見せている隅田に、松江がほほえみかけた。


 松江だけではない。


 群衆や太田少年達も隅田を見て笑顔を浮かべていた。


 その様子にはっと我に返り、隅田は頭を下げる。 


「松江署長……太田君、皆さん、ありがとうございます」


「兄ちゃん、頑張ってくれよ!」


「早く行け……市民の皆さんは速やかに避難するように!」


 隅田の礼に太田少年はそう元気に言うと公安官の先導で避難し、松江署長は周囲の指揮監督に戻った。


 市民達も避難を再開している。


 この人達を救う為にも、元の生活を取り戻す為にもやり遂げなければならない。


 隅田は覚悟を決め、背中の排気口から蒸気を噴き出させて飛び上がる。


 目指すは蒸気機関発電装置のある発電所の最奥部だ。





 先程太田少年達を助ける為に開いた見学室の破砕口から再び発電所内へ進入する隅田。


 その心臓部は限界が近い。


「やはり……共鳴が強くなって……いる」


 ただ最初の段階では全く別の離れた場所で稼働していた為に、今まで共鳴の度合いが低かったのだ。


 現在は距離も近くなっており、共鳴度合いは強くなってしまっている。


「急がなければ……」


 間に合わなければ自分の心臓部が先に共鳴爆発を起こし、全て終わりである。


 焦って前に進んだその途端、隅田の顔面に高温高圧の水蒸気が噴きかかった。


「ぐあっ……」


 顔面の片側を焼かれたが、何とか機能停止に陥らずに済んだ。


 そのまま慎重に最奥部を目指す隅田。


 今度は階段部分において圧力管から水蒸気がずっと漏れ出している。


 しかしこの道以外に最奥部へと向う通路はない。


「……保ってくれ」


 祈るようにして高温の水蒸気が噴き出す階段へと進む隅田の手足はたちまち焼け爛れ、背中の排気口が溶解する。


「うぐう……ぐぐぅ」


 歯を食いしばり、這うようにして前へと進む隅田。


 その道程はまだまだ遠い。





熱蒸気に身体を焼かれ、高温化した鉄の床や手すりに手足を焼き潰されながらも隅田は進む。


 やがてその片方のみとなった隅田の目の前に、大きな赤銅色の固まりが入ってきた。


 南海市蒸気機関発電装置の心臓部だ。


 それと同時に隅田の心臓部が激しく振動する。


「うぐ……ぐう……」


 苦しげに呻き、ただれた右手で心臓部を握る隅田。


「……頼む……静まってくれ……」


 既に十分共鳴しきっている隅田の心臓部と蒸気機関発電装置の日緋色鉄は、甲高い音を互いに響かせながら赤く光りを放つ。


 自己の機能を停止させるべく隅田は自身の背中から溜めていた水を廃棄し、心臓部に対する石炭粉の供給を止めた。


 隅田の青く光る目は次第に光を失い、そしてそれに伴い振動が少しずつ弱まる。


 やがて隅田の日緋色鉄を主体としている機能は停止し、それに呼応するように発電装置の振動がおさまっていった。








 南海市全域に広がっていた日緋色鉄の暴走共鳴が次第に止み始める。


「これは……隅田が、成功したのか?」


 避難誘導を成功させ、最後の市民を送り出した後の市中警戒に就いていた松江署長は、全ての蒸気缶が停止した事に気付く。


 なぜなら普段の蒸気機関による喧騒が全て消えていたからである。


「……兄ちゃん」


「上手くいったのかなあ……」


 近くの一時避難所に避難していた太田少年達も、異常がおさまりつつある事に気付いていた。


 そして視線を未だうっすらと赤い光を放ち続けている蒸気機関発電所へと向ける。





身体の機能が停止し、残余の電力だけで意識を保つ隅田の前に1人の女が現れた。


 正装を身に着けたその女は恨みがましい目で隅田を見つめて口を開く。


「どうして……あなたは私の、私たちの邪魔をするの?」


「……あなたは?」


 本来あり得ない場所に常態の人物が居る事に驚く隅田の問いに答えず、その女は言葉を紡ぎ出す。


「8年前もあなたは邪魔をした……」


「8年前……」


 女が発した言葉に、残り少ない隅田の電力を使って記憶が呼び起こされる。


 隅田の記憶に流れ込んだ8年前の凄惨な光景はこの女が惹起したのだ。


 そうだ……思い出した。


 8年前の隅田とその両親、同僚達はこの女が発生させた共鳴爆発によって命を絶たれたのだ。


 そして今回も。


「何故こんな事を?」


「今は昔と違う、こんな方法でしか……私たちの思いは、是正措置はなし遂げられない……」


「そんなはずは……」


 言いかけた隅田の言葉を遮りその女、井辺教諭は薄く色の入った眼鏡を外した。


「いいえ、あなたには分からない……私達の思いは……」


 そう言いつつ大きく見開いた目の奥底には赤い色。


「鵺の……一族?」


 驚く隅田の前で鵺の一族の女である教師、井辺は両手を広げて歌うように言う。


「闇は必要、この国の闇は表の世界を制御してきた……でも私達の力は衰えた」


「……それで8年前にも」


呻くように漏らした隅田の言葉に満足そうな笑みを浮かべて井辺が言う。


「そう、8年前も試みた……産業革命の時に日緋色鉄の特性と利用法を教えたのも鵺の一族。でもこの国はやり過ぎた……やり過ぎたのよ」


 井辺は嘆くように言うと、反応を示さない隅田に頓着する事なく言葉を続けた。


「でももう全てが終わり、この国を修正出来ると思っていたのに、またあなたに邪魔されてしまったわ」


「多くの人を犠牲にしてまで為すべき措置とは……思えません」


 隅田のきっぱりした言葉に井辺は怒りの表情で反論した。


「それは思い上がり……今是正しなければもっと多くの人が死ぬ……戦争で」


「そう……ですか」


 確かに戦争は近づいている。


 それは軍主要部にしっかりとした繋がりのある板橋が言っていたのだ、間違いあるまい。


「だからと言って……許される事ではありません」


「許して貰おうとは思わないわ……これは私達の崇高な、建国以来の使命」


 そう言うと井辺は笑顔で周囲を見回してから再び怒りの表情で隅田を見据える。


「ふふふ、鵺の一族による是正はここで終わり、私ももうここで終わり……でも、あなたは、あなただけは許さないわ!」


 腰から抜いた赤銅色をした日緋色鉄製の短刀を振りかざす井辺。


 その切っ先は真っ直ぐ隅田の心臓部を向いていた。


「死ぬと良い!」


 がつん


 固い物同士がぶつかる音が響き、隅田の心臓部が二つに割れた。


 そして……


「あ……な、なんで?」


 同時に井辺の持つ日緋色鉄製の短刀が燃え上がりその身体を包み込んだのだ。


 日緋色鉄の発した極めて高温の炎は、一瞬で井辺の全てを焼き尽くした。


「日緋色鉄は共鳴金属……私の人を思う心は……まだ消えていない」


 胸に短刀を突き断たせたまま隅田はそう言うと燃え滓と化した井辺を悼ましそうに見て言う。


 そして、反対の場所にある大きな蒸気発電機を見上げた。


「……再起動は……しないな?」


 発電機の停止を見届け、薄く笑う隅田の目から青い光が完全に消えた。








 20年後、南海市雑賀区、南海電力発電所





「太田博士、順調かな?」


「松江社長」


 酷薄そうな笑みを浮かべる南海電力株式会社の松江社長に、太田博士、かつての太田少年は屈託ない笑みを返す。


 その笑顔をまぶしそうに見てから目をそらし、松江が言う。


「まさか一旦成形した日緋色鉄を分割して制御装置として使用するというのは、本当に画期的な方法を思いついたものだ」


「片方を起動させ、もう片方を静止させた状態で保てば安定した状態が得られる事が分かりましたので……それでも研究には随分と時間が掛かりました」


「ふむ……なるほど、それでも研究開始から僅か5年ほどで実用化するとは、並大抵の事ではない」


「まあ、そうですね……やらなければいけませんでしたので」


 感心したように何度も頷いていた松江は、しばらく太田の実施する作業を見守ってから徐に声を発した。


「しかし、世の中分からないものだ」


「ええ」


 巨大な発電装置と、その制御核となる部分に目をやる2人。


 その視線の先には歪な亀裂を元に、二つに分かたれた円形の日緋色鉄が多くの導線や装置が付属させられていた。


 これまで不安定で事故を起こしがちだった日緋色鉄を使った発電装置や蒸気機関もこの制御装置の実用化で安定し、出力も上がって人々の生活は一段と向上している。


「最後まで人であろうとした、人ではない身体を持った人の遺志がありましたので」


「……全くもって大した遺志だ、それを継いで為し遂げた君の意志も素晴らしいがね」

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汽動公安官 あかつき @akiakatuki

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